院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

利用者による施設の掃除

2006-09-23 09:33:44 | Weblog
 昔、私は精神障害者リハビリ施設の2代目所長をしていたことがある。そのころ、施設での活動が終わると、利用者、スタッフが共同で、便所掃除も含めて施設の掃除をしていた。先代からの慣わしだった。

 私はスタッフの会議で異議を唱えた。「利用者に施設の掃除をさせるのは、おかしいのではないか?それは利用者の使役に当たるのではないか?」。

 そうしたら、ある保健婦さんから猛然と反発の意見が出た。「自分が利用した施設を掃除するのは当たり前ではないですか?掃除くらいできなくては社会復帰もおぼつきません」とのことだった。

 私は「入院患者に病室の掃除をさせる病院がどこにあるか?」と反論したが、その保健婦さんには「リハビリ」という名目で受け入れてもらえなかった。

 強硬な保健婦さんだったので、私は過去の知見を捜した。そうしたら、『学校掃除』(学事出版、沖原豊編著、1978)という本を見つけた。この本は、学校で生徒に教室の掃除をさせることの意義、ないし害を論じ、世界的には学校掃除はどのようになっているのかを研究した本である。名著だから、まだ絶版になっていないかもしれない。

 本書によれば、欧米では生徒に学校の掃除をさせない。掃除はあくまでも掃除人がやるものである。そこには古代ギリシャ・ローマ時代から、掃除は奴隷がする卑しい仕事であって、生徒にさせるのはもってのほかという考え方があるらしい。

 わが国では、そのような思考はなく、掃除は仏教、神道においても尊い仕事とされている。アジアでは、韓国、フィリピン、インドネシア、タイで生徒が学校の掃除を行っており、フィリピンはキリスト教、インドネシアはイスラム教だが、生徒による掃除に抵抗はないようである。

 一方、欧米では生徒に掃除なぞをさせると親が怒鳴りこんでくるという。日本でも大正時代から、生徒による掃除を嫌う層が特に「上流」にあったらしく、「上流」の子女に掃除をさせるとは何事か・・・と考える人たちがあった。

 昭和37年に、わが国で「生徒に掃除をさせるな」という訴訟があったらしい。結果は却下だった。

 学校での生徒による掃除は、宗教的背景もあり、是非については今後も議論して欲しいと思う。でも、リハビリ施設での利用者による掃除は、絶対に止めて欲しい。リハビリのために、掃除は何の役にも立たないと信じているからである。