私は東京生まれの東京育ちである。
被差別のことを何も知らずに育った。今でも、東京のどこが被差別であるのかを知らない。
名古屋市役所に就職したとき、研修で被差別の劇映画と講習会があった。それまで被差別の存在すら知らなかった。知らないまま過ぎたほうが幸せだったかもしれない。
被差別には、知らせないままひっそりと忘れられていくのがよいという派と、積極的に知らせて開放を求めていかなくてはならないという派があるらしく、知らせていく派のほうが元気があって、ついにエセが出現するまでになった。
私は知らせない派に与する者である。解放運動は役目を終えた。あとは知らせないで、忘れさせるのがよい。
私が実体験として知っているのは、被差別より朝鮮人である。幼いころから朝鮮人には行かないようにと大人に教えられた。そばを通るときには走って通り抜けた。
ひどく貧しいだった。朝鮮人は過酷な差別を受けていた。だから今の朝鮮半島の人々の反日感情は理解できる。
私が小学校2年生のとき、父親は私に「にあんちゃん」という本を与えた。在日朝鮮人の少女の日記で、悲惨な日常が書かれていた。確か映画にもなったと思う。いろんな境遇の子がいるのだと思った。
被差別のことを何も知らずに育った。今でも、東京のどこが被差別であるのかを知らない。
名古屋市役所に就職したとき、研修で被差別の劇映画と講習会があった。それまで被差別の存在すら知らなかった。知らないまま過ぎたほうが幸せだったかもしれない。
被差別には、知らせないままひっそりと忘れられていくのがよいという派と、積極的に知らせて開放を求めていかなくてはならないという派があるらしく、知らせていく派のほうが元気があって、ついにエセが出現するまでになった。
私は知らせない派に与する者である。解放運動は役目を終えた。あとは知らせないで、忘れさせるのがよい。
私が実体験として知っているのは、被差別より朝鮮人である。幼いころから朝鮮人には行かないようにと大人に教えられた。そばを通るときには走って通り抜けた。
ひどく貧しいだった。朝鮮人は過酷な差別を受けていた。だから今の朝鮮半島の人々の反日感情は理解できる。
私が小学校2年生のとき、父親は私に「にあんちゃん」という本を与えた。在日朝鮮人の少女の日記で、悲惨な日常が書かれていた。確か映画にもなったと思う。いろんな境遇の子がいるのだと思った。