中学1年生のときに国語の教師から「能を見たことがあるか?」と問われた。
教養人の子弟が多い中学だったが、能を見たことがある生徒はクラスに一人もいなかった。教師は能を簡単に説明した。私は祖母に連れられて歌舞伎や文楽を見たことがあったけれども、能は見たことがなかった。
そのとき、日本の伝統芸能を知っておかなければならないなと、漠然と感じた。
中学3年生のときに、同好の生徒とモダンジャズのバンドを結成したが、日本の伝統芸能を知らずに洋モノだけをやるのはどうかと、これまた漠然と考えていた。
高校生になったときに、水道橋の能楽堂(確か観世会館といったか?)に能を一人で見に行った。高校生が見に行けるのだもの、入場料は知れていたと思う。「葵の上」という演目をやったが、なにがなにやらさっぱり分からずに帰ってきた。ただ、謡いと囃し方の音楽をすごいと思った。
当時、東京に住んでいた私は、中野の能楽堂にも行った。古い能楽堂で、客席はなんと座布団をたたきに敷いただけの桟敷席だった。ここでは「袴能」という面も装束も着けない能を見た。やっぱり、なにがなにやら訳が分からなかった。狂言は分かった。
こんなに分からないのはなぜだろうと思った。もっと古典にさかのぼらねばならないと思い、大学受験の古文の勉強を兼ねて世阿弥の「風姿花伝」を読んだ。いわゆる「花伝書」である。
「源氏物語」が難解なのに比べて、「風姿花伝」は極めて読みやすい古文だった。岩波文庫で読んだが、今でも出版されているはずである。「風姿花伝」には、「花」という概念が述べられていた。当時さかんだったTVのオーディション番組で、阿久悠さんが「君は美人だけど花がないから、芸能界なぞに入らず普通のお嫁さんになりなさい」と言っていたから、「花」という意味はすぐに理解できた。
5年ほど前から妻が能の大鼓を習い始めた。その縁で、何十年ぶりかで能楽堂に足を運ぶようになった。でもやっぱり分からなくて、たいくつして帰ってくるのが常である。
ただし、謡いと囃し方の迫力は高校生のときに感じたのと同じものだった。ミュージカルとしての能が分からないまま、音楽だけを聴きに行くというのは邪道かもしれないが、また来月、名古屋の能楽堂に行く予定である。
教養人の子弟が多い中学だったが、能を見たことがある生徒はクラスに一人もいなかった。教師は能を簡単に説明した。私は祖母に連れられて歌舞伎や文楽を見たことがあったけれども、能は見たことがなかった。
そのとき、日本の伝統芸能を知っておかなければならないなと、漠然と感じた。
中学3年生のときに、同好の生徒とモダンジャズのバンドを結成したが、日本の伝統芸能を知らずに洋モノだけをやるのはどうかと、これまた漠然と考えていた。
高校生になったときに、水道橋の能楽堂(確か観世会館といったか?)に能を一人で見に行った。高校生が見に行けるのだもの、入場料は知れていたと思う。「葵の上」という演目をやったが、なにがなにやらさっぱり分からずに帰ってきた。ただ、謡いと囃し方の音楽をすごいと思った。
当時、東京に住んでいた私は、中野の能楽堂にも行った。古い能楽堂で、客席はなんと座布団をたたきに敷いただけの桟敷席だった。ここでは「袴能」という面も装束も着けない能を見た。やっぱり、なにがなにやら訳が分からなかった。狂言は分かった。
こんなに分からないのはなぜだろうと思った。もっと古典にさかのぼらねばならないと思い、大学受験の古文の勉強を兼ねて世阿弥の「風姿花伝」を読んだ。いわゆる「花伝書」である。
「源氏物語」が難解なのに比べて、「風姿花伝」は極めて読みやすい古文だった。岩波文庫で読んだが、今でも出版されているはずである。「風姿花伝」には、「花」という概念が述べられていた。当時さかんだったTVのオーディション番組で、阿久悠さんが「君は美人だけど花がないから、芸能界なぞに入らず普通のお嫁さんになりなさい」と言っていたから、「花」という意味はすぐに理解できた。
5年ほど前から妻が能の大鼓を習い始めた。その縁で、何十年ぶりかで能楽堂に足を運ぶようになった。でもやっぱり分からなくて、たいくつして帰ってくるのが常である。
ただし、謡いと囃し方の迫力は高校生のときに感じたのと同じものだった。ミュージカルとしての能が分からないまま、音楽だけを聴きに行くというのは邪道かもしれないが、また来月、名古屋の能楽堂に行く予定である。