紅白歌合戦が始まる前に、Eテレで5万人の高校生を対象に流行歌に対する態度についてアンケート調査を行った番組をやっていた。そこで興味深い結果が報告されていた。
高校生の大多数が流行歌のメロディーにではなく、歌詞に強く共感しているようだった。たとえば「愛しているのになかなか言い出せない」とか「壁は高いほうが登る甲斐がある」といった文言に癒されているようなのだ。
現在、メロディにーはメッセージを強化する効果しか期待されていなようである。メロディーが将来に渡って残りそうもない流行歌がヒットする理由が、ここにあった。YUIさんとか西野カナさんが支持されるわけが分かった。
彼女らの歌詞の特徴は、きわめて陳腐なことだ。「なかなか言い出せない」、「壁は高いほうがよい」といったメッセージはあまりに直接的過ぎて興ざめなのだが、隠喩や暗喩では若い人には通じないのかもしれない。プロの作詞家なら恥ずかしくてとても言えないような歌詞である。
作詞家のなかにし礼さんは、若いころ売れまくっていた。彼には一度流行歌に出てきた表現は二度と使わないという信念があって、過去の流行歌全部に目を通したという。彼は「ヒットの源泉は歌詞かメロディーか?」と問われて、すでに「歌詞に決まっているじゃないですか」と答えていた。
私が高校生のころ、(私だけかもしれないが)歌詞にはあまり反応しなかった。歌詞はメロディーの付け足しに過ぎなかった。だから、メロディーが先にできていて、歌詞を後から付けたという流行歌も多かった。
そんなころ、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」が出た。この曲はほどんど歌詞なしで大ヒットしたが、スキャットはアメリカ産ですでに歌詞を無視したエラ・フィッツジェラルドの超絶技巧のスキャットが日本に入っていたので、さほど感動しなかった。現在また海外でヒットしているというのはご同慶の至りである。(美しいスキャットを歌うグループにスウィングル・シンガーズというのがあった。でも、これはアドリブではなかったから、口三味線と言うべきかもしれない。彼らの演奏に歌詞がついていたら、かえってつまらなくなることがご理解いただけるだろう。)
歌詞もメロディーも関係なく、性的な魅力だけで売っている歌手は昔も今もある。AKB48や嵐がそれで、彼/彼女らのファン層は異性に限られている。
今回、紅白歌合戦を見て、現在はメロディー不在の時代だという感を深くした次第。
高校生の大多数が流行歌のメロディーにではなく、歌詞に強く共感しているようだった。たとえば「愛しているのになかなか言い出せない」とか「壁は高いほうが登る甲斐がある」といった文言に癒されているようなのだ。
現在、メロディにーはメッセージを強化する効果しか期待されていなようである。メロディーが将来に渡って残りそうもない流行歌がヒットする理由が、ここにあった。YUIさんとか西野カナさんが支持されるわけが分かった。
彼女らの歌詞の特徴は、きわめて陳腐なことだ。「なかなか言い出せない」、「壁は高いほうがよい」といったメッセージはあまりに直接的過ぎて興ざめなのだが、隠喩や暗喩では若い人には通じないのかもしれない。プロの作詞家なら恥ずかしくてとても言えないような歌詞である。
作詞家のなかにし礼さんは、若いころ売れまくっていた。彼には一度流行歌に出てきた表現は二度と使わないという信念があって、過去の流行歌全部に目を通したという。彼は「ヒットの源泉は歌詞かメロディーか?」と問われて、すでに「歌詞に決まっているじゃないですか」と答えていた。
私が高校生のころ、(私だけかもしれないが)歌詞にはあまり反応しなかった。歌詞はメロディーの付け足しに過ぎなかった。だから、メロディーが先にできていて、歌詞を後から付けたという流行歌も多かった。
そんなころ、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」が出た。この曲はほどんど歌詞なしで大ヒットしたが、スキャットはアメリカ産ですでに歌詞を無視したエラ・フィッツジェラルドの超絶技巧のスキャットが日本に入っていたので、さほど感動しなかった。現在また海外でヒットしているというのはご同慶の至りである。(美しいスキャットを歌うグループにスウィングル・シンガーズというのがあった。でも、これはアドリブではなかったから、口三味線と言うべきかもしれない。彼らの演奏に歌詞がついていたら、かえってつまらなくなることがご理解いただけるだろう。)
歌詞もメロディーも関係なく、性的な魅力だけで売っている歌手は昔も今もある。AKB48や嵐がそれで、彼/彼女らのファン層は異性に限られている。
今回、紅白歌合戦を見て、現在はメロディー不在の時代だという感を深くした次第。