20年ほど前、若い女性の知人が「将来、エステティシャンになりたい」と言っていた。
別の若い女性にその話をすると「エステは一時の流行に過ぎません。本当に効果があるのか分からないし、資格も必要がないです。したがって、エステティシャンになりたいという希望は、時流に流された甘い考えだと思います」と答えた。
私は後の方の女性が思慮深いと思った。ところが現在でもエステはすたれる気配がない。チェーンのエステサロンもあって、けっこう繁盛している。20年前の私の予想とは違っている。
だが、エステサロンで雇われている女性に話を聞いてみると、ノルマがあって遅くまで働かされる割に収入が少なく、辞めたいと思っている従業員が多いのだそうだ。
エステは経営者だけ儲かって、従業員は使い捨てにされているのだろうか?エステの従業員は若くて美人な娘が多い。従業員を若さとルックスで選んでいるようにも見える。その意味では、20年前に「甘い」と評価した女性の方が正しかったのかもしれない。
同じく20年前、体力づくりの道具として「自転車こぎ機」が流行って、スポーツジムに置かれた。私は前に進まない自転車なんて、ハツカネズミの輪のようなもので、じきに飽きられてしまうだろうと思った。ジムもやがてすたれるだろうと考えた。
ところが「自転車こぎ機」は依然としてなくならないどころか、ルームランナーという、ベルトコンベアのようなものの上を歩く装置まで出てきた。
今、スポーツジムは繁盛している。若者から老人まで、ジムを愛用している人は私の周りにも沢山いる。ジムは体育大学卒業生の重要な就職先のようである。
今やエステもジムも盛んである。20年前の私には、多くの大衆がこれほど自分の肉体を磨くようになるとは想像もできなかった。自分の肉体に大金をかけられるほど、日本は裕福になったということか?
もっとも20年前には、病床をもたないで精神科や心療内科が地方都市で開業できるかどうか、いまひとつはっきりしなかった。つまり、地方の人々が自分の精神衛生にお金をかけられるかどうか、また、精神科、心療内科という敷居が高い科の門を気軽に叩けるようなるかどうか、まだまだ予測不能な面があったのである。
別の若い女性にその話をすると「エステは一時の流行に過ぎません。本当に効果があるのか分からないし、資格も必要がないです。したがって、エステティシャンになりたいという希望は、時流に流された甘い考えだと思います」と答えた。
私は後の方の女性が思慮深いと思った。ところが現在でもエステはすたれる気配がない。チェーンのエステサロンもあって、けっこう繁盛している。20年前の私の予想とは違っている。
だが、エステサロンで雇われている女性に話を聞いてみると、ノルマがあって遅くまで働かされる割に収入が少なく、辞めたいと思っている従業員が多いのだそうだ。
エステは経営者だけ儲かって、従業員は使い捨てにされているのだろうか?エステの従業員は若くて美人な娘が多い。従業員を若さとルックスで選んでいるようにも見える。その意味では、20年前に「甘い」と評価した女性の方が正しかったのかもしれない。
同じく20年前、体力づくりの道具として「自転車こぎ機」が流行って、スポーツジムに置かれた。私は前に進まない自転車なんて、ハツカネズミの輪のようなもので、じきに飽きられてしまうだろうと思った。ジムもやがてすたれるだろうと考えた。
ところが「自転車こぎ機」は依然としてなくならないどころか、ルームランナーという、ベルトコンベアのようなものの上を歩く装置まで出てきた。
今、スポーツジムは繁盛している。若者から老人まで、ジムを愛用している人は私の周りにも沢山いる。ジムは体育大学卒業生の重要な就職先のようである。
今やエステもジムも盛んである。20年前の私には、多くの大衆がこれほど自分の肉体を磨くようになるとは想像もできなかった。自分の肉体に大金をかけられるほど、日本は裕福になったということか?
もっとも20年前には、病床をもたないで精神科や心療内科が地方都市で開業できるかどうか、いまひとつはっきりしなかった。つまり、地方の人々が自分の精神衛生にお金をかけられるかどうか、また、精神科、心療内科という敷居が高い科の門を気軽に叩けるようなるかどうか、まだまだ予測不能な面があったのである。