院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私の床屋嫌い

2013-06-20 04:36:08 | 生活
 私が子どもの頃、多動児だったことはいつぞや述べた。教室で隣りの子にちょっかいを出したり、話しかけたりして、教師からしょっちゅう叩かれたり廊下に立たされたりしていた。

 今で言えば体罰だが、教師が根っから私を憎んでいるわけではないと分かっていたから、現在、教師に恨みはない。

 廊下に立たされるのは、猛烈に恥ずかしかった。誰かが通りかかると、物陰に体をずらしたりしていた。恥をかかされることのダメージは、叩かれる痛さよりも大きかった。

 廊下にまで出されたのは、私だけだった。廊下に出すということは、授業を受けさせないということで、今なら大問題になるところだ。でも、私は授業を受けなくても常にクラスで一番だったので、教師も安心して私を廊下に出したのだろう。

 あるときクラスメートの男子が私が行きつけの床屋に居た。彼がほとんど動かないことに私は驚嘆した。私ならもじもじして、あんなにじっとしていることはできない。すごい根性だと思った。

 そのころ達磨大師が洞窟で何年も座禅をして、ついに足がなくなってしまったという話を聞いて、私は戦慄を覚えた。そんなに動かないとは、死刑にされるよりもつらいではないか。

 床屋で動かないクラスメートは、もしかしたら達磨大師のような偉人なのかもしれないと思った。

 同じころ、キリスト教だか仏教だか忘れたが、「無言の行」というものがあると聞かされた。これも私には信じられないことだった。一日中、なにもしゃべってはいけないなんて、拷問みたいじゃないか。

 多動児の片鱗が残っているのだろうか、私は今でも床屋が嫌いである。客商売をしているから、定期的な散髪は欠かさないが、毎回、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで床屋の門をくぐっているのだ。