向精神薬は、だいたい50%の人に効けば相当によい薬である。しかし、患者さん本人にとってみれば、自分が効く50%に入るのか、効かない50%に入るのかは大問題だ。
薬を飲む前に、その薬が効くか効かないかを知るすべはない。だから、実際に服用してみるわけだが、効かない50%の人にとって、その薬はなんの意味もない。だからと言って、その薬は無価値とは言えない。
これが90%の人に効く薬であっても実は同じことが言える。効かない10%の人にとっては、やはり無意味なことに変わりはない。
マスとしての人口に対してどう効くかということと、個人に対してどう効くかということとは、関係がない。
マスと個人はしばしば背反する。ワクチンの例がもっとも分かりやすいだろう。
1本千円の高いワクチンと、1本百円の安いワクチンがあったとする。両方とも同じ病気のワクチンである。
ある国の富みの量が一定だとする。その国では、1本百円の安いワクチンなら国民全員に接種することができる。しかし、千円の高いワクチンだと人口の1割にしか接種できない。その病気は2%の致死率がある。
千円の高いワクチンには副作用がまったくない。百円の安いワクチンには副作用があって、接種した人の1%が副作用で死ぬとする。その場合、どちらのワクチンを選択するべきか?
その国の指導者は、当然百円の安いワクチンを採用する。安いワクチンでも射っておいた方が、国民全体での死亡率が減るからである。これが公衆衛生の基本的な考え方である。
ここで注意しておかなければならないのは、ワクチン射たないで病気で死ぬ人と、ワクチンを射って病気にはかからなかったのに副作用で死ぬ人は、たぶん別人である。
でも、医療は国民をマスとして考え、同じ予算なら、トータルとして死ぬ%が少ないほうを採らなくてはならない宿命がある。
このワクチンの例は、かえって読者を混乱させてしまうだろうか?
薬を飲む前に、その薬が効くか効かないかを知るすべはない。だから、実際に服用してみるわけだが、効かない50%の人にとって、その薬はなんの意味もない。だからと言って、その薬は無価値とは言えない。
これが90%の人に効く薬であっても実は同じことが言える。効かない10%の人にとっては、やはり無意味なことに変わりはない。
マスとしての人口に対してどう効くかということと、個人に対してどう効くかということとは、関係がない。
マスと個人はしばしば背反する。ワクチンの例がもっとも分かりやすいだろう。
1本千円の高いワクチンと、1本百円の安いワクチンがあったとする。両方とも同じ病気のワクチンである。
ある国の富みの量が一定だとする。その国では、1本百円の安いワクチンなら国民全員に接種することができる。しかし、千円の高いワクチンだと人口の1割にしか接種できない。その病気は2%の致死率がある。
千円の高いワクチンには副作用がまったくない。百円の安いワクチンには副作用があって、接種した人の1%が副作用で死ぬとする。その場合、どちらのワクチンを選択するべきか?
その国の指導者は、当然百円の安いワクチンを採用する。安いワクチンでも射っておいた方が、国民全体での死亡率が減るからである。これが公衆衛生の基本的な考え方である。
ここで注意しておかなければならないのは、ワクチン射たないで病気で死ぬ人と、ワクチンを射って病気にはかからなかったのに副作用で死ぬ人は、たぶん別人である。
でも、医療は国民をマスとして考え、同じ予算なら、トータルとして死ぬ%が少ないほうを採らなくてはならない宿命がある。
このワクチンの例は、かえって読者を混乱させてしまうだろうか?