院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

個人に対する医療と集団に対する医療

2013-06-10 05:31:46 | 医療
 向精神薬は、だいたい50%の人に効けば相当によい薬である。しかし、患者さん本人にとってみれば、自分が効く50%に入るのか、効かない50%に入るのかは大問題だ。

 薬を飲む前に、その薬が効くか効かないかを知るすべはない。だから、実際に服用してみるわけだが、効かない50%の人にとって、その薬はなんの意味もない。だからと言って、その薬は無価値とは言えない。

 これが90%の人に効く薬であっても実は同じことが言える。効かない10%の人にとっては、やはり無意味なことに変わりはない。

 マスとしての人口に対してどう効くかということと、個人に対してどう効くかということとは、関係がない。

 マスと個人はしばしば背反する。ワクチンの例がもっとも分かりやすいだろう。

 1本千円の高いワクチンと、1本百円の安いワクチンがあったとする。両方とも同じ病気のワクチンである。

 ある国の富みの量が一定だとする。その国では、1本百円の安いワクチンなら国民全員に接種することができる。しかし、千円の高いワクチンだと人口の1割にしか接種できない。その病気は2%の致死率がある。

 千円の高いワクチンには副作用がまったくない。百円の安いワクチンには副作用があって、接種した人の1%が副作用で死ぬとする。その場合、どちらのワクチンを選択するべきか?

 その国の指導者は、当然百円の安いワクチンを採用する。安いワクチンでも射っておいた方が、国民全体での死亡率が減るからである。これが公衆衛生の基本的な考え方である。

 ここで注意しておかなければならないのは、ワクチン射たないで病気で死ぬ人と、ワクチンを射って病気にはかからなかったのに副作用で死ぬ人は、たぶん別人である。

 でも、医療は国民をマスとして考え、同じ予算なら、トータルとして死ぬ%が少ないほうを採らなくてはならない宿命がある。

 このワクチンの例は、かえって読者を混乱させてしまうだろうか?