院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

読書の楽しみ減る

2013-06-11 04:31:44 | 読書
 高校のころ国語の教師から、批評と評論とは違うと教わった。批評が対象の善し悪しを論じるのに対して、評論は対象に絡ませて自説を展開することだという。なるほどと思ったが、実際に行われている活動は、両者の中間くらいのものが多いようだ。

 若年のころは、テレビに出る評論家の言説を聞いて、よく勉強しているな、さすがにプロだな思うことが多かった。一方で、「評論家的」という形容詞は、当事者でない無責任な態度を表していた。

 現在、私は評論家の活動を必ずしも「評論家的」だとは考えない。彼らは万巻の書を読み、実地に体験してものを言っているから、彼らの言説を一応は傾聴しなければならない。

 ただ、しばしば「そんなことは私が若いころから考えていたことだ」、「昔はよく言われていたことだ」と思わせるような発言に出会うことがある。そのような場面に遭遇すると、自分も歳を取ったものだと思う。最近は出演者の年齢が表示されることが多いが、年配の評論家でも私より一回りも年下なのだ。若い評論家なら20代である。

 これは自然科学以外の学問に言えることで、人間が考えうる思想は諸子百家に尽きている。そうそう新しい思想が出てくるはずもない。ただ、テクノロジーだけは長足の進歩を遂げている。少年のころに見た図鑑には「未来にはメガネのツルに入るような超小型のラジオができるだろう」とあったが、実現した。

 最近では読書をしていても、テクノロジー以外の分野では「これは新しい」と感心するような言説はない。たとえば自然言語や社会構造などに関する文科系の書物を読んでいると、あるレベルまでは考察が進むのだが、それ以上には進まない。そこまでなら、すでに40年前に誰かが言っていたよ、そこから先に考察を進めるのが難しいんだよ、と思ってしまう。最近、読書の楽しみが減ってきたかも知れない。