(テルマエロマエ2HPより引用。)
昭和30年代の幼少期、私は東京都心に住んでいたが、風呂は薪で炊いた。風呂桶は文字通り木の桶でヒノキの香りがした。薪割りは父親の仕事だった。薪は魚屋から魚の箱をもらってきたりした。(当時、魚は木の箱に容れられて運ばれた。発泡スチロールはまだなかった。)
内風呂があっても、しばしば銭湯に行った。内風呂は沸かすのが大変で、銭湯に行った方が簡便だった。
小学校3年のころに、タイル張りの風呂に替えた。同時に火力はガスになった。タイル張りの風呂は冷たく、湯が温まるのが遅かった。むろん、木の香りもしなかった。
大学卒業後、10年くらいしてから、名古屋の山奥に中古住宅を買った。その家の風呂はプラスチック製だったが、どんなセンサーも付いていなかったため、水を溢れさせたり、沸かし過ぎて沸騰させたりしてしまった。
現在の風呂は、水位センサーも温度センサーも付いているから、ほっておいても平気だ。「追い炊き」というボタンがあって、湯が冷めたらそのボタンを押すだけでよい。
昨日使った湯を取り換えないで、また沸かすことを「立て返し」という。現在の風呂には「追い炊き」ボタンしかないから、それを押して立て返しをする。そのためだろう、妻は「立て返し」のことも「追い炊き」と呼ぶ。
(恩師よれば、東京の銭湯の主の祖先は70%が石川県出身なのだそうだ。)