昭和40年ころの高校時代、私は『月刊ガロ』と『月刊COM』を購読していた。『月刊COM』には一コマ漫画をコンテスト欄に投稿して、毎号掲載された。一席になったこともあった。評論家がコメントを書いてくれたが、内心「自分で描けないくせに、なにを偉そうに」と思っていた。
そのころすでに、水木しげるは大人気で、私も単行本をもっていたが、それが何の漫画だったかは忘れた。少なくとも「ゲゲゲの鬼太郎」ではなかった。「ゲゲゲの鬼太郎」は元は「墓場の鬼太郎」といって、もっと毒があった。それがテレビに取り上げられたときには「ゲゲゲの鬼太郎」という軟弱な題名になって、それゆえか大ヒットした。
(同じころ、『月刊ガロ』につげ義春の漫画が載った。あまりに面白いので発売日が待ち遠しかった。つげ義春は元は水木のアシスタントで、背景が細かく黒っぽくて人物が白っぽいところは二人に共通する。)
そんな思い出もあって、境港の「ゲゲゲの鬼太郎ロード」に立ち寄った。鬼太郎や目玉の親父や各妖怪のキャラクターが小さなブロンズ像になって、道路の各所に置かれていた。GWだからだろうか、けっこうな人通りがあった。
(ゲゲゲの鬼太郎像。筆者撮影。)
この道がなければ、境港は何の特色もない寂しい港町である。ロシア語の看板を出したスナックがあったから、ロシア人船員が立ち寄るのだろうか?
正義の味方になって毒が抜けた鬼太郎なんて面白くも何ともない。同時代に鬼太郎を知っている私たちが死に絶えたら、「鬼太郎ロード」も忘れ去られるだろう。そして近くのスナックのママは、再びロシア人船員のお相手をして糊口をしのぐことになるのだろう。
そのころすでに、水木しげるは大人気で、私も単行本をもっていたが、それが何の漫画だったかは忘れた。少なくとも「ゲゲゲの鬼太郎」ではなかった。「ゲゲゲの鬼太郎」は元は「墓場の鬼太郎」といって、もっと毒があった。それがテレビに取り上げられたときには「ゲゲゲの鬼太郎」という軟弱な題名になって、それゆえか大ヒットした。
(同じころ、『月刊ガロ』につげ義春の漫画が載った。あまりに面白いので発売日が待ち遠しかった。つげ義春は元は水木のアシスタントで、背景が細かく黒っぽくて人物が白っぽいところは二人に共通する。)
そんな思い出もあって、境港の「ゲゲゲの鬼太郎ロード」に立ち寄った。鬼太郎や目玉の親父や各妖怪のキャラクターが小さなブロンズ像になって、道路の各所に置かれていた。GWだからだろうか、けっこうな人通りがあった。
(ゲゲゲの鬼太郎像。筆者撮影。)
この道がなければ、境港は何の特色もない寂しい港町である。ロシア語の看板を出したスナックがあったから、ロシア人船員が立ち寄るのだろうか?
正義の味方になって毒が抜けた鬼太郎なんて面白くも何ともない。同時代に鬼太郎を知っている私たちが死に絶えたら、「鬼太郎ロード」も忘れ去られるだろう。そして近くのスナックのママは、再びロシア人船員のお相手をして糊口をしのぐことになるのだろう。