院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

山陰駆け走り旅(3)(季語「神の留守」)

2014-05-09 22:29:46 | 俳句

(出雲大社境内。筆者撮影。)

 10月ころには日本全国の八百万の神々が出雲大社に大集合するために、日本じゅうから神様がいなくなるので10月を「神無月」という。だから、11月ころの季語に「神の留守」という言葉がある。(逆に出雲ではこの月を「神在月」という。)

 「神の留守」には(神様さえいなくて)寂寞としているという意味がある。現代ではこの季語にはいくぶん滑稽な響きがある。この言葉は芭蕉の時代にすでに季語として成立していた。次のような俳句がある。

     留守の間にあれたる神の落葉かな  芭蕉

 ただし、各地に神社が建てられた1,000年以上前には必ずしも出雲大社がすべての神社の中心というわけではなかった。神々が出雲に蝟集すると言い始めたのは、つい最近、江戸時代が始まる前後の出雲大社の神主らしく、むろんPRだった。

 一神主のPRが日本人の宗教観に影響し、月の呼び名や季語にまで採用されてしまったとは面白い。