(京都コンピュータ学院のHPより引用。)
上の写真は1970年ころの東芝製TOSBAC-3400である。
私が初めて触ったコンピュータはこれだったような気がする。テレビがない。まだ出力装置にテレビは使われていなかったのだ。当然、入力にもテレビは用いられず、入力はパンチカードで行われた。
左の機械に傾斜したガイドが付いているのがお分かりになるだろうか?これは、ガイドにパンチカードの束を積んで、ザーッと読み取る機械である。
出力はラインプリンタだけだった。アルファベットの活字がいくつもついた薄い鉄製のベルトが水平にぐるぐる回っており、その後ろに小さなハンマーが横並びになっている。ベルトの活字がまさに紙の印刷すべき場所に来た時に、そのハンマーがベルトを後ろから一瞬叩く。そうやってバリバリと文字列が印刷されていく仕組みだった。そんな仕組みでは、当然漢字なぞ印刷できない。
右側に並んだ箱にはメモリが入っている。トランジスタでできたメモリで、なんと4Kバイトしかなかった。トランジスタだから当然、熱をもつ。熱のためトランジスタが誤動作することがある。そのため、電算室(当時はそう呼んだ)には常に冷房がかかっていた。
一般家庭に冷房が行きわたっていない時代に、電算室だけは聖域のように冷房が利いていたのだ。
当時、詠まれた俳句に次の句がある。詠み人はサラリーマン俳人だったが名前を忘れた。
電算室に入る椿のやうに濡れ