院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

私のコンピュータ事始め(4)(PC-8801/PC-9801シリーズ)

2014-05-25 00:40:55 | コンピュータ

名古屋エコ買取HPより引用。)

 その後、日立や東芝からもワンボードマイコンが発売されて、それらはテレビに接続してBASIC言語を使うことができた。だが、それらの寿命は一時で、すぐ1982年にはNECがPC-88と翌年にはPC-98を急きょ発売して、ワンボードマイコンは短い寿命を終えた。これらには入出力にキーボードとテレビが標準装備されていた。

 NECのPCシリーズは日本を席巻したが、20万円も30万円もしてけっこう買うのがきつく、私はPC-98は中古を買った。88にはOSとBASIC言語が合体したような奇妙なOSが付いていた。だが、それがマイクロソフトのビル・ゲイツが巨万の富を築くきっかけだった。

 98にはMS-DOSというOSが付いて、すべてのアプリケーションソフトがMS-DOS上で動くようになった。このとき発売されたワープロソフト「一太郎」が大ヒットして、作者は大儲けしたが、いまはどうなったか。私は手書きで論文の原稿を書くのをやめて、「松茸」というワープロソフトで書くようになった。(学会が論文をワープロ原稿しか受け付けなくなったのは、もっとあとになってからである。)

 実用ソフト以外に、さまざまなゲームソフトも開発された。パソコン通信も始まった。(だが、まだインターネットの「イ」の字もなかった。)

 EPSONという会社がPC-98シリーズのコピー機を1,2万円安く発売し始めて、ある程度のシェアを取ったが、コピー機会社に過ぎず2流の感は否めなかった。苦節何年だったのだろうか?いま、EPSONはプリンタメーカーとして押しも押されもせぬ地位にいる。ご同慶の至りである。

 その後、アップルのマッキントッシュが一世を風靡し、やがてマッキントッシュのスペックをまるごとコピーしたWINDOWSの天下になったことは、みなさんご存じのとおりである。当然、アップルはWINDOWSを「盗作」として訴えたが、顛末は知らない。ともかくWINDOWSは今、大手を振ってまかりとおっている。