(出雲大社本殿、写真はすべてウィキペディア「出雲大社」より引用。)
出雲大社については古事記、日本書紀に記載がある。だが、江戸期に八百万の神が神無月(10月)に出雲大社に大集合すると言われるようになってから、ようやく全国の信仰を集めるようになったらしく、それ以前のことがほとんど分かっていないのは、松江城と似ている。
平成12年、境内から3本の大柱が発掘され、出雲大社はもとは高層建築だったと分かった。
(発掘された柱。直径1メートルほどの大木が3本組まれている。)
発掘された柱は鎌倉時代のものと考えられ、わずかに鎌倉時代のことでさえ、ほとんど分かっていないことに驚かされる。当時、山陰は都から見れば辺境だったのかも知れない。
(柱から推定された、当時の社殿の構造。長い階段が前面にあったと考えられている。)