(光文社新書。)
本書によれば「無職博士」が12,000人いるといいます。オーバードクター(3年以上博士課程に行ったが博士号がない者)はその数倍いて、毎年「無職博士」が5,000人生産されるそうです。
大学の常勤職員になる道が閉ざされ、彼らの多くは時給雇いの非常勤講師とコンビニなどのバイトなどで食いつないでいるそうです。月収は15万円くらいで、社会保険はありません。著者自身も非常勤講師で、契約が更新されるかどうか分からない不安定な身の上だとか。
こうした「ニート博士」が量産されたのは個人のせいではなく、平成3年から定員どおりに院生を入学させる方針になったからだと著者は主張します。そうなったのは、少子化で大学のポストがなくなるのを恐れた大学教員が謀って、自分たちの既得権を守ろうとしたからだそうです。経営側も院生という「消費者」がいなくなると困るので、教員側と思惑が一致したそうです。
だから「モラトリアム」なぞと言って「ニート博士」を貶めるのは筋違いだと、著者は主張しています。
確かに博士課程の学生が多くなり過ぎたとは言えるでしょう。ですが、大学院博士課程まで子どもを行かせられる家庭は、平均よりもかなり裕福だということに注意しなくてはなりません。
有名大学に入れる学力があるのに大学にさえ行けなかった人を、私は複数知っています。学費がないなら奨学金などの手があると思われるかもしれません。しかし、彼らになかったのはお金だけではなくて、時間でした。その時間に働いて家族を養わなくてはならないのでした。
多くの大学生は、修士課程にさえ行きません。それは、4年間で卒業したらすぐに働いて、親の負担を軽くしてやらねばならないからです。私の高校の同級生には日本の頭脳といえるような人材がごろごろいましたが、ほとんど大学院には行きませんでした。
そんな現状で博士過程まで行くのは、よほどの金持ちか趣味人と私は考えてしまいます。著者はこのような考えを嫌っているようですが、この事実は争えないと思います。趣味で博士号を取って、まともな職がないと騒ぐのは、私には甘えとしか思えません。
著者はアカデミズムでは非常勤講師として冷遇されているようですが、少なくとも本書のように極めて読みやすく、かつ説得力がある書物が書ける「博士」はそんなに多くありません。そちらのほうで活躍した方がよいと思います。
本書によれば「無職博士」が12,000人いるといいます。オーバードクター(3年以上博士課程に行ったが博士号がない者)はその数倍いて、毎年「無職博士」が5,000人生産されるそうです。
大学の常勤職員になる道が閉ざされ、彼らの多くは時給雇いの非常勤講師とコンビニなどのバイトなどで食いつないでいるそうです。月収は15万円くらいで、社会保険はありません。著者自身も非常勤講師で、契約が更新されるかどうか分からない不安定な身の上だとか。
こうした「ニート博士」が量産されたのは個人のせいではなく、平成3年から定員どおりに院生を入学させる方針になったからだと著者は主張します。そうなったのは、少子化で大学のポストがなくなるのを恐れた大学教員が謀って、自分たちの既得権を守ろうとしたからだそうです。経営側も院生という「消費者」がいなくなると困るので、教員側と思惑が一致したそうです。
だから「モラトリアム」なぞと言って「ニート博士」を貶めるのは筋違いだと、著者は主張しています。
確かに博士課程の学生が多くなり過ぎたとは言えるでしょう。ですが、大学院博士課程まで子どもを行かせられる家庭は、平均よりもかなり裕福だということに注意しなくてはなりません。
有名大学に入れる学力があるのに大学にさえ行けなかった人を、私は複数知っています。学費がないなら奨学金などの手があると思われるかもしれません。しかし、彼らになかったのはお金だけではなくて、時間でした。その時間に働いて家族を養わなくてはならないのでした。
多くの大学生は、修士課程にさえ行きません。それは、4年間で卒業したらすぐに働いて、親の負担を軽くしてやらねばならないからです。私の高校の同級生には日本の頭脳といえるような人材がごろごろいましたが、ほとんど大学院には行きませんでした。
そんな現状で博士過程まで行くのは、よほどの金持ちか趣味人と私は考えてしまいます。著者はこのような考えを嫌っているようですが、この事実は争えないと思います。趣味で博士号を取って、まともな職がないと騒ぐのは、私には甘えとしか思えません。
著者はアカデミズムでは非常勤講師として冷遇されているようですが、少なくとも本書のように極めて読みやすく、かつ説得力がある書物が書ける「博士」はそんなに多くありません。そちらのほうで活躍した方がよいと思います。