院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

能楽師の経済

2008-03-16 09:02:02 | Weblog
 私も妻も能楽に興味がある。

 妻は謡と鼓をもう5年以上やっている。私にはミュージカルとしての能は、いまひとつ退屈だが、囃し方の演奏はすごいと思う。こんなにすばらしい伝統音楽が、世間ではあまり顧みられないのが残念だ。

 私も能管(笛)を習い始めた。いつまで続くか分からないが、小さいときから木管楽器をやっていたので、音を出すのに苦労するということはない。

 私の能管の先生は40代前半で独身である。1回のレッスン料が30分弱で2500円。床屋さんより安い。生徒もそう大勢はいない。どうやって食べているのだろうか?

 素人が自己満足で舞や謡の発表会を開くことがある。そのときは、プロの能楽師を大勢バックに呼ぶのであるが、100万200万単位の金を支払う。お客さんはパラパラ。でも、能楽師はこれで少しは潤うだろう。

 能の公演というのは定期的に行われているけれども、なにせ愛好者が少ない。能楽堂は収容人員が少ないから、満員になったとしても公演収入は知れている。

 大正15年生まれの、大先輩の女医さんがいて、その人も長いこと鼓をやっている。金持ちで自宅に能舞台がある。彼女に能楽師の経済のことをきいてみた。

 そしたら答えは「みなパトロンがいるのよ。私だってある能楽師をかかえているわよ。公演なんかの収入は知れてるわよ」とのことだった。

 私が将来、金持ちになったら、能管の先生のパトロンになれるだろうか?

痴漢冤罪事件

2008-03-15 08:27:18 | Weblog
 このほど、ある人の痴漢冤罪事件が解決した。

 痴漢は劣等な行為である。しっかり取り締まられるべきだと思うけれども、行き過ぎて冤罪を多く生んでいるらしい。

 私は実は痴漢をしたいと思ったことがある。それは思春期のころで、ホルモンが活発な時期である。

 だが、運よく痴漢をしないで済んだ。それは、当時の交通事情が劣悪だったからである。満員すし詰めの電車、バスというのは当たり前だった。

 否応なしに体を密着させることになる。お爺さんやお婆さんと密着するのはイヤだったが、若い女性と密着するのはイヤではなかった。

 いい匂いがする。胸やお尻を押し付けてくる。(正しくは押し付けざるをえない)。そういう状況では、痴漢という行為そのものが不問にふされてしまう。

 当時、痴漢といえば体に触るのではなく、「のぞき」だった。詩人・歌人の寺山修司も「のぞき」で逮捕されたことがある。

 若かった私は「のぞき」をする勇気がなかった。

自衛隊を陵辱するなかれ

2008-03-14 08:28:33 | Weblog
 イージス艦が小さな漁船と衝突して、漁師2人が行方不明になっているとして問題になっている。

 マスコミの論調はNHKも含めて、イージス艦が悪いという感じである。だが、地元の漁師の感覚では、イージス艦のような巨大な船が来たら、それを避けるのが小舟の鉄則だという。大型船が舵を切ったら、それこそ何が起こるか分からないそうだ。

 マスコミは小舟がよけるだろうと思って、イージス艦は舵を切らなかったと責めるが、現場の海上では大型船がやたらに舵を切ると困るのだという。

 まあ、事実関係はここではどうでも良い。問題は、自衛隊をあまりに陵辱すると、いざ有事の際に国民のために動いてくれないだろうということである。

 誰が自分たちを責めた者たちを守るだろうか?これは常識でも分かることである。自衛隊でもそうである。あまりに陵辱すると、危険である。

 自衛隊にもっと敬意を払え。

 そうでなければ、自衛隊の士気は落ちるばかりだろう。マスコミがそれを言わないどころか、逆に責めるから、私がここで密かに自衛隊を擁護しておく。

昼間の花火

2008-03-13 08:36:17 | Weblog
 昔、昭和30年代の初め、まだ隅田川の花火大会が中止になる前の話である。(隅田川の汚染により中止になった花火大会は最近、再開された)。

 TVもない当時は花火見物は娯楽の華で、みな昼間のうちから集まって夜の花火大会が始まるのを待っていた。桟敷や舟で待つのである。

 夜まで何時間も待つというのは、たいくつなものである。そこで、誰かが昼間の花火を考え出した。

 それは、煙の花火である。色がついた煙を上空から落とすのである。なにで落とすのかというと、パラシュートの小さいもの、すなわち日傘より一回り小さい紙でできたパラシュートに煙管をぶら下げて落とすのだ。

 航空ショウなどで見るように、煙には色を付けることができる。赤、青、緑、黄。いろんな色の煙がパラシュートで落ちてくる。

 一度に何個ものパラシュートを打ち上げて、あとは風任せで落ちてくるので、形状は色が付いた柳のようになる。色はまちまちだから、そのような花火を「五色柳」といった。

 今ではそのような花火を見ない。交通の激しい道路にパラシュートが落ちてくるのはまずいのだろう。当時はそんなことはなかった。大人たちがこぞってパラシュートを取ろうとしていた。幼い私もパラシュートが欲しかった。

虚構の人・野口英世

2008-03-12 10:52:17 | Weblog
 意外に思われるかもしれないが、野口英世の業績は「梅毒菌の純粋培養に成功した」、ただそれだけである。

 さまざまな疾患の病原体を発見したと、当時、世界中で騒がれたが、今ではそのことごとくが誤りと分かっている。典型的なのが「狂犬病の菌の発見」である。狂犬病は菌ではなくウイルスだから、当時の顕微鏡で見えるわけはない。だから、現在では世界で野口を顧みる学者はいない。

 アメリカから彼が一時帰国したおり、彼は国民から熱狂的に迎えられた。当時は誰でも彼の病原体ハンターとしての名声を信じていたからである。

 噂だが野口は借金の名人だったという。彼に悲しい眼をされて懇願されると、金持ちはコロリと参ったそうだ。むろん返さない。

 彼は自分の発見を信じていたのだろう。だから詐欺師ではない。でも、名声が大好きな俗物と思われる。

 それが今やわが国の千円札に載っている。野口はさぞ満足なことだろう。

正規社員と非正規社員

2008-03-11 08:35:08 | Weblog
 TVで非正規社員が待遇を正規社員に近づけよという番組をやっていた。

 正規、非正規という区別はいつからできたのだろうか?番組によれば、確かに非正規社員の待遇はひどく悪い。

 仕事には得意不得意、向き不向きというのがある。不向きな人は本当に役に立たない。偏見かもしれないが、不向きな人は非正規社員にしかなれないのではないか?私が経営者だったら、デキる人はすぐに正規社員にしてしまう。

 このほど非正規社員による組合ができたという。デキない者が集まって作るのが組合というものだと昔から私は思っている。でも、委員長クラスならデキる。

 委員長クラスならすぐに正規社員になるから、非正規社員の組合がこれまでできなかったのだろう。

 ということは、最近ではデキる人も非正規社員に甘んじなくてはならない時代になったのだろうか?

 組合とか団体交渉というのが私は嫌いである。さいきん影をひそめてきたと思ったら、今度は非正規社員の組合だと・・。

 人材派遣業ばやりである。私は人材派遣業者を何人か知っているが、みな品格に問題なしとしない。昔の手配師と同じような顔をしている。

 やっぱりわが国の雇用形態がおかしくなっているのだろうか?

反捕鯨活動と鯨の味

2008-03-10 08:39:16 | Weblog
 アメリカの環境団体の行動は暴力的でかげき過激である。このたびも、わが国の調査捕鯨船を襲撃して、マスコミが糾弾した。もう言われていることなので、その問題についてはここでは言わない。

 今日は鯨の味について述べたい。私たちの年頃の連中の鯨と言えば、学校給食で出た鯨の立田揚げだろう。

 アルマイトの食器に鯨の揚げたのがゴロンと入っている。噛むと硬い。むろん、おいしくない。それでも腹が減っていたから食べた。私たちの世代は学校給食に良い思い出をもっている人はいないだろう。

 長じて鯨料理専門店に行ったことがある。鯨のどこそこの部分の刺身だとか、いろんな料理が出た。でも、感動するほどおいしくはなかった。狭い経験だが、鯨の肉というのは、さほどおいしくはないのではないか?

 鯨のベーコンはおいしいと思った。しかし、硬くて噛み切れず、よく噛んでからぐいと飲み込んだ。

 私は鯨料理専門店のリピーターとはならなかった。だって、言われるほどおいしくないのだもの。

 鹿肉もそうだ。昔、スイスの田舎で鹿肉を食べたことがあった。まずくはなかったけれども、ぜひもう一度食べたいとは思わない。わが国は鹿による作物被害で鹿を駆除している。なのに、鹿肉専門店というのはない。

 やっぱり、食べておいしいのは牛、豚、鶏だ。それ以外の肉は、珍味かもしれないが、いつも食べたいとは思わない。鯨肉もそうである。

 だから、私個人としては、捕鯨をやっても止めても、なんの痛痒も感じない。しかしながら、マグロを禁止されたら、さすがの私も立ち上がるだろう。

ハシカやインフルエンザはなぜ撲滅されないのだろうか?

2008-03-09 08:45:42 | Weblog
 もう何年か前、WHOから天然痘ウイルス撲滅宣言が出された。天然痘ウイルスは一部の研究所以外にはなくなってしまった。

 今年、またハシカが大流行だという。アメリカでは日本人が来るとハシカを持って来るのでイヤだという人さえいる。

 天然痘が撲滅されて、なぜハシカが撲滅されないのだろうか?不思議である。

 天然痘のワクチンに比べてハシカのワクチンは効果が弱いのだろうか?それとも、ハシカのウイルスはどんどん変異するのだろうか?

 インフルエンザを撲滅できないのは、どんどん変異するからだと言われているが本当か?天然痘のウイルスは変異しないのだろうか?

 私はハシカやインフルエンザのワクチンは効かないのだと見ている。それを言うのは一部の人だけだから、私もここに賛同の意を示しておく。

被差別部落と朝鮮人部落

2008-03-08 08:34:41 | Weblog
 私は東京生まれの東京育ちである。

 被差別のことを何も知らずに育った。今でも、東京のどこが被差別であるのかを知らない。

 名古屋市役所に就職したとき、研修で被差別の劇映画と講習会があった。それまで被差別の存在すら知らなかった。知らないまま過ぎたほうが幸せだったかもしれない。

 被差別には、知らせないままひっそりと忘れられていくのがよいという派と、積極的に知らせて開放を求めていかなくてはならないという派があるらしく、知らせていく派のほうが元気があって、ついにエセが出現するまでになった。

 私は知らせない派に与する者である。解放運動は役目を終えた。あとは知らせないで、忘れさせるのがよい。

 私が実体験として知っているのは、被差別より朝鮮人である。幼いころから朝鮮人には行かないようにと大人に教えられた。そばを通るときには走って通り抜けた。

 ひどく貧しいだった。朝鮮人は過酷な差別を受けていた。だから今の朝鮮半島の人々の反日感情は理解できる。

 私が小学校2年生のとき、父親は私に「にあんちゃん」という本を与えた。在日朝鮮人の少女の日記で、悲惨な日常が書かれていた。確か映画にもなったと思う。いろんな境遇の子がいるのだと思った。

コンビニ弁当

2008-03-07 08:37:50 | Weblog
 コンビニの売り上げのかなりの部分を弁当が占めているという。

 あんなにまずい弁当を誰が買うのか不思議である。店頭でレンジで温めてくれる。でも、漬け物まで温まってしまう。駅弁のほうがまだマシである。

 スパゲティー弁当にいたっては、伸びきっていて極めてまずい。

 それでも、みな時間がないから仕方なく買うのだろうか?わが息子も仕事が忙しく、コンビニ弁当暮らしである。

 コンビニ弁当には「おふくろ」の心がない。それでも売れる。わが国は、飽食の国と言われるけれども、コンビニ弁当が売れているうちは大きな顔はできない。

 コンビニ弁当よりも、ほっかほっか亭のほうがまだマシである。

わが国にもいた漂泊民

2008-03-06 08:57:23 | Weblog
 ついこの前の大戦まで、わが国には漂泊民がいたらしい。

 彼らは戸籍を持たず、山中や川辺でひっそりと暮らしていた。そして、常に移動していた。まったく政府の管理の外にいたのである。彼らをサンカという。

 川べりに竹の柱に粗末な布と油紙をかけて雨露をしのいだ。夏は川魚漁、冬は籠作りで生計を立てた。彼らは人里とまったく孤立していたわけではない。川魚や籠を「常民」に売りにいった。

 彼らの身分は「平民」でもなく「エタ」でもなかった。だって、そもそも戸籍がないのだから、分類のしようがない。現代流に言えばアナーキストである。

 彼らに興味を寄せた民俗学者は少なかった。明治大正には柳田國夫が彼らを調べた。でも、移動民なので直接的な調査はできなかったようである。

 サンカの発祥はいつごろからか?柳田は日本原住民が、外来人によって山に追いやられたものと考えた。つまり太古の昔からいたのだという説である。

 沖浦和光は、天命の大飢饉のときに村里から食を求めて避難した者たちが、サンカの源流だと考えた。

 柳田は明治大正の人である。沖浦は86歳であるが現代の人である。そのせいか、柳田民俗学よりも沖浦民俗学のほうが格段に面白い。ヘタなミステリーより、よっぽど面白い。

 サンカに関する話は沖浦の「幻の漂泊民サンカ」(文春文庫)で知った。一読をお勧めしたい。

動物愛護運動

2008-03-05 08:48:51 | Weblog
 動物愛護運動はけっこうなことです。文句は言いません。牛肉や豚肉をたくさん食べて、そのエネルギーでどうぞ動物愛護運動に励んでください。

 娘が幼いころ、TVで鹿だったか何だったか忘れたが、動物が殺されるのを見て、「可哀そう」と言った。

 私は「おまえだって牛さんや豚さんを食べているじゃないか」と娘に言った。

 そうしたら、娘はしばらく考えて「お肉になっていれば、いいの!」と反発した。でも、反発しても、幼いながら自己矛盾に気付いたと私は思う。

 以来、肉食獣や人間による狩りのシーンを見ても、娘は「可哀そう」とは言わなくなった。

キレる

2008-03-04 09:21:44 | Weblog
 昔、頭がキレると言えば、頭が良いという意味だった。今は少し違う。キレるというと、すぐ興奮する、怒るという意味になった。

 最近の若者はキレやすいとよく言われる。それには、栄養が偏っているせいだとか、TVゲームばかりやっているからだとか、まことしやかな理由が付けられる。

 でも、いずれも見当外れだと私は思う。昔から相変わらず若者は血の気が多く、キレやすかったのだ。

 現在は、キレてもそれを制裁する仕組みがなくなっているのかもしれない。要するに、若者を甘やかす文化になってしまったのではないか?

 キレた若者には制裁を課す。それが文明文化というものではないか?キレた若者は、肥えだめに放り込めばよいだけの話だが、今では肥えだめそのものがなくなってしまった。

HPでの誹謗中傷が無罪だとは!

2008-03-03 08:28:27 | Weblog
 ある個人が自分のHPに、あるラーメンチェーン店の誹謗中傷を書いた。ラーメンチェーン店はその人を名誉毀損で訴えた。

 判決は無罪だった。こんなのってアリか?

 判決理由は裁判官の無知を示すものでしかないと私は思う。

 理由その1:HPは個人の発言であり、マスコミのような「権威」がない。

 (だったら、マスコミには権威があると言うのか?)。

 理由その2:HPは限られた人しか見ない。広報性が少ない。

 (裁判官はネットの威力を過小評価しているのではないか?今やマスコミよりネットのほうが情報訴求力がある)。

 理由その3:表現の自由を妨げて、ネットでの発言を萎縮させてはならない。

 (表現の自由に誹謗中傷が入るのだろうか?)。

 私はこの裁判官の常識を疑う者である。ネットの普及によりマスコミが危機に瀕している時代だ。ネットでの発言は、もっと厳重に監視しなくてはならない。私も一再ならぬ誹謗中傷をネットで受けて、怒り心頭に発している。

 理由その4に「反論の機会があった」と言うけれども、売られた喧嘩を買っていてはキリがない。

 広報性が少ないというのは、まったく裁判官の無能をさらけだしている。自分の家の塀に誹謗中傷を書いて貼っておいても、「広報性が少ない」といって、その裁判官は無罪にするのだろうか?ビラ配りはどうか?看板はどうか?

 これらに比べて、ネットは格段に広報性が高い。裁判官に非常識な者がいるという噂が絶えないが、この裁判官もその一人か?

三浦和義元社長逮捕に関するマスコミの姿勢

2008-03-02 08:33:00 | Weblog
 ロス疑惑で有名な三浦和義元社長がサイパンで逮捕された。わが国のマスコミは、なぜこれに抗議しないのだろうか?

 三浦はわが国の三権のひとつ最高裁で無罪が確定した人物ですぞ。限りなく黒に近い灰色だったとしても、最高裁で無罪が確定したら、タテマエとしては善良な日本国民ですぞ。

 善良な日本国民が外国で拘束されたら、すぐさま非難の声をあげ、身柄の引き渡しを求めるのがスジではないか?

 マスコミはタテマエが大好きだ。だったら、ここでもタテマエを貫いて、三浦逮捕の不当性を声高に叫ぶべきである。なぜ、三浦の場合だけタテマエを捨てるのだろうか?

 三浦の場合だけタテマエを用いないなら、三浦の少年時代の犯罪についても一言触れるべきである。

 三浦は高校時代、いちはやく火事を通報して、地元の新聞に「お手柄少年」として紹介され、その地方で一躍有名人となった。

 だが、後にその火事は三浦自身が放火した自作自演だったことが分かり、三浦は少年院送りとなった。

 そのとき、裁判官が三浦に「君は司法修習生より頭がよいのだから、その頭脳をよいことに使いなさい」と諭したそうだ。(少年事犯では知能テストを行う)。

 以上のような三浦の特異なキャラクターについて、マスコミはかたくななまでに言わなかった。少年事犯には触れないというタテマエを守ったのである。それなら、今回もタテマエを守れと言いたい。すなわち、マスコミ一丸となってアメリカに対して、三浦逮捕に抗議すべきである。

 このようなことをまだ誰も言っていない。日本政府も何も言わない。だから、今のうちに私が言っておく。