院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

ジャスミン革命、失敗の様相

2013-01-17 07:13:36 | 社会
 一部の報道によれば、チュニジアのジャスミン革命が失敗の様相を呈しているそうだ。革命前より失業率は上がり、革命前のほうがよかったという声が出ている

 そのようなことは、私がすでにこの欄で予想した。(2012-02-18)

 もっとも私の予想が当たる確率は50%ほどである。今時分はAKB48は影も形もないだろうという予想はすっかり外れてしまった。

入学の象徴

2013-01-16 05:14:55 | 教育
 小学校の新入学生をめあてにランドセルが売り出されている。ニトリやイーオンが学習机を売り出している。これらは役に立つのだろうか?

 体力がない小学校一年生にはランドセルが理想的な鞄なのだろうか?少し重すぎるように思うが、どうか?

 私自身は、小学校2年生までしかランドセルを使わなかった。3年生からはズックの手提げ鞄だった。ランドセルを特段に便利とは思わなかった。

 私が買ってもらった学習机は座卓だった。畳の部屋しかなかったからである。今はフローリングの部屋が多いから、ニトリやイーオンのように椅子に座る学習机が流行るのだろう。

 自分専用の座卓を買ってもらって、少し大人になったような気がしたが、その机を利用しつくすことはなかった。けっきょく炬燵などで宿題をやった。

 ニトリやイーオンの学習机も利用する子供は少ないだろう。肘掛けのない椅子に長くは座れない。机の面積が狭すぎる。いろいろとパーツを組み合わせることができるようだが、余分な機能である。組み合わせをユーザーに任せるということは、家具として完成されていない証拠である。

 それならランドセルや学習机は何のためにあるのだろうか?それは入学の象徴として存在価値がある。実用性は二の次である。

 私が勉強する上で一番役に立った机は、伯父が遺した古いものだが、机の面積が広く両袖に引出しがある大きなものだった。現在その机は弟が使っている。

「ら抜き言葉」を擁護する

2013-01-15 05:17:43 | 日本語
 「切る」の可能態は「切れる」である。「取る」の可能態は「取れる」である。でも、昔は「切られる」、「取られる」が正しい可能態だった。

 「着る」の場合、可能態は「着られる」である。「着れる」というと年長者から文句を言われる。「切れる」がOKで「着れる」がNGなのは矛盾している。

 だから、「見れる」、「食べれる」でよいのだ。「ら抜き言葉」として批判する必要もない。そもそも「見られる」、「食べられる」と言ってしまうと、可能態なのか受け身なのかが区別できない。

 名古屋弁では昔から「見れる」、「食べれる」である。それどころか「行ける」を「行けれる」という。可能態としての「教えられる」を「教えれる」という。

 名古屋弁のほうが「標準語」よりも、よほど論理的だと思う。

俳句の家元制度

2013-01-14 07:42:34 | 俳句
 家元制度については、いつぞやこの欄に書いたが、昨日、山頭火のことを書いたので、俳句の家元制度について述べよう。

 日本に俳句結社は2000ほどあると言われている。それぞれに主宰がいるから、我が国には2000人の主宰がいることになる。

 だが、すべての結社の主宰は家元制度を採っていない。主宰が亡くなると有力な会員が主宰を継承するスタイルが多い。

 中には主宰が死去すると結社そのものが解消される場合がある。山口誓子は虚子の写生主義と袂を分かって西東三鬼とともに立ち上げた俳誌「天狼」を「主宰は一代限り」として、1993年に終刊させてしまった。(誓子は翌年92歳で逝去した。)

 ただひとつ家元制度を採っているのは「ホトトギス」である。「ホトトギス」は明治30年に創刊された総合誌だった。正岡子規の「子規」とはホトトギスの異称である。戦前は夏目漱石、芥川龍之介といった錚々たるメンバーが小説などを寄稿した。小林古径が表紙絵を描いたりもしている。高浜虚子らが俳句の選者だった。

 戦後は俳句雑誌のようになって、高浜年尾が主宰を継ぎ、その死去にともなって現在の稲畑汀子さんが主宰となっている。汀子さんは虚子の孫である。その跡継ぎは汀子さんの子、稲畑廣太郎さんと暗黙の裡に決まっている。

 そして、日本に2000人いる主宰の多くが「ホトトギス」の同人である。とくに九州の結社ははほどんど100%「ホトトギス」系である。

 「ホトトギス」の同人になるのは大変名誉なことである。そうとうの年月と努力を必要とする。「ホトトギス」の同人に推挙されると、その人は勲章でももらったときのように、宴を開く習わしになっている。

 私が所属する名古屋の結社「牡丹」も主宰は3代目だが「ホトトギス」同人である。

 今のところ「ホトトギス」は家元制度を採っているけれども、それがいつまで続くか疑問である。第一に同人たちの高齢化が挙げられる。同人たちに盛り立てられての主宰・稲畑汀子さんである。

 そして、虚子の跡を継いだ年尾もそうだったが、稲畑汀子さんも驚くほどに俳句がうまいというわけではない。昔は家系を重んじるという風習があったから、汀子さんは今のところ高齢の同人たちにほとんど崇拝されているけれども、同人が若返ったら廣太郎さんを崇拝するかどうかは分からない。

 だいたい家元制度というものは、作品がうまいのか下手なのか分からない分野で初めて成立する。お茶とかお華がそうである。

 もうひとつ、ピアノやバイオリンのように幼少時から始めないと上手くならない技芸でも家元制度は成立しうる。例えば、能や狂言がそれである。

 囲碁も昔は家元制度を採っていたが、本因坊家の子供が囲碁が強いとは限らず、昭和13年に本因坊家は本因坊の称号を日本棋院に譲って、実力本因坊制になった。囲碁のように勝ち負けがはっきりしてしまう技芸には家元制度は馴染まなくなったのである。

 俳句は本当は善し悪しがはっきりしているのだが、素人には分かりにくいので「ホトトギス」はこれまで家元制度を維持できたものと思われる。しかし、上に述べたように今後「ホトトギス」の家元制度は衰退していく可能性がある。

山頭火の俳句はほんとうに良いか?

2013-01-13 05:52:48 | 俳句
    うしろすがたのしぐれてゆくか  山頭火

 上の一行を見て、皆さんはどのように思われるだろうか?これは種田山頭火の代表句ということになっている。そして山頭火は無季自由律俳句のさきがけとして、尾崎放哉とともに奉られている。

 私が中学生のころすでに山頭火の名前をどこかで見た。そして最近もNHKの番組や雑誌サライの紙面で山頭火の話が語られていた。昔も現在も変わらずに放浪の俳人として、山頭火は注目され続けている。

 山頭火について語る人は、心から山頭火の一行をよいと思っているのだろうか?昔からあまりに沢山の「知識人」が山頭火山頭火と言うので、私は「まだ自分では分からないが、きっと良さがあるのだろう」と考えていた。

 だが、俳句を始めて25年、やはり山頭火の一行は何の価値もないと分かった。上の一行は山頭火のドラマチックな生涯を知っての上でないと面白くもなんともない。(知っていても面白くない。)

 そもそも、俳句に自由律なんてない。575という制限があるから俳句は俳句たりうるのであって、制限を取り払ったらただのキャッチコピーに過ぎない。

 俳句は俳人の生涯や境遇を知ったうえで味わうものではない。そのことについては先日、子規の句にかんする「鶏頭論争」の記事で述べた。

 山頭火や放哉を称揚する人の審美眼を私は信用しない。そういう人に対する軽蔑の言葉はいろいろ考えられる。「エセ権威主義」「右に倣え」「きどり屋」「ワケ知り顔」「俳句知らず」などである。ちと、ひど過ぎるだろうか?

伝聞サウジアラビア(女性差別編)

2013-01-12 06:46:04 | 文化
 昨年サウジの女性が車を運転することが話題になった。その女性はサウジの女性差別に抗議して確信犯的に車を運転したようだが、このニュースによってサウジでは女性の車運転が禁止されているということが世界に広まった。

 ちょっと昔、日本でも女が車を運転するなんて生意気だという風潮があった。1姫2虎3ダンプという言葉があった。一番怖いのが女性の運転で、2番目が酔っ払い、3番目がダンプカーというほどの意味だ。女性は運転が下手だという根拠のない風潮がまかりとおっていた。

 妻の話では、そもそも街で女性をあまり見かけなかったそうだ。現地には公営バスがなく、移動はもっぱら車にたよるので、女性を見かけなかったのではないかと妻は推理した。

 妻と娘が青果市場に行ったとき、そこは男性しかおらず、裸でも見られるように男たちから一斉にジロジロ見られたので、いたたまれなくなって戻ってきたという。日本でも焼き鳥屋に女性が一人では入りにくいように、TPOみたいなのがあるらしい。

 それが証拠に、ショッピングモールにはたくさんの女性がいたそうだ。そして「完全覆面」の女性は1割にも満たなかったという。イスラム過激派が支配する国では、女性はむろん「完全覆面」で、教育も受けられないそうだ。しかしながら、サウジアラビアはイスラム原理主義の国でありながら(イスラム原理主義イコール過激派ではない)、男女共学の大学が存在するし、アメリカとも友好的である。

 妻と娘家族が夫君とともに金持ちの経営者のラクダ牧場を訪問したおり、妻は全く差別的な待遇を受けなかったばかりか、逆にレディーファーストのようにもてなされて驚いたという。現場にはトイレがなく、トイレを所望すると、物陰の地面に穴を掘って古タイヤで囲って、即席のトイレを作ってくれたので妻は感激した。

 サウジアラビア在住経験がある友人の話によると、友人は奥さんのベールが取れて宗教警察に捕まるのではないかと常に恐れていたそうだ。でも、それは20年以上前の話で、現在のサウジアラビアはずいぶん変化しているのだと、妻の話を聞いて思った。

 イスラム国では日に4回の祈りの時間がある。そのときに拡声器でコーランの詠唱が流されるのは、よく知られている。余談だが、娘の息子(2歳)はコーランの詠唱を聞いて、「焼き芋屋さんだ」と言ったとか。

伝聞サウジアラビア(経済編)

2013-01-11 07:02:32 | 文化
 サウジアラビアには貧富の差があまりないように思われる。というより、国民全体の経済レベルが高いのだ。中流家庭でさえ出稼ぎのコックやメイドがいる。上流階級になると御殿のような家に住んでいる。妻が滞在したコンパートメントの付近は高級住宅地で、豪壮な家がたくさんあったという。

 物価は10日間程度の滞在では分からなかったと妻はいう。買い物はお付きの運転手がやってしまうので、妻自身が買い物をしたのは、わずかに旧市街の商店とショッピングモールだけだった。

 旧市街の商店には土産物はいっさい売っていない。地元の人が使用する商品だけだ。そこもほとんど男の世界で、女性の商店主はいることはいたが、ごく僅かだっだという。ショッピングモールは物資が豊かで、ブランド品の店がたくさんあったという。レジは普通、男性だそうだが、このモールには少数の女性のレジ係(むろん「覆面」をした)がいたそうだ。

 サウジアラビア人の人気の職業は公務員だという。それも大して忙しくないらしい。要するにサウジアラビア人はもっぱら消費するだけで、生産をしないように見える。働いているのは外国人労働者だけではないのか?

 中流過程ですでにコックやメイドがいては、国民は働く余地がない。日本にコックやメイドや運転手をかかえている家庭がどれだけあるだろうか?

 私が思うに、サウジアラビアは石油収入だけで成り立っているのではないか?石油を売って、外国人の労働の成果を吸い上げているだけではないか?

 国民が恵まれている分だけ反乱もないのだろう。チュニジアやエジプトで反乱があったのは、国民が貧困だったからではないか?

 チュニジアにもエジプトにも物乞いがいた。サウジアラビアでは、妻が乗った車を勝手に母子が拭きに来て、施しを求めるようなことがあったというが、それがサウジアラビア人であるかどうか疑わしい。

 石油だけを売る生活をしていると、アメリカのシェールガスや日本近海のメタンハイドレートが実用化されたら、サウジアラビアは一気に傾くのではないか?小さいころから労働の習慣がないというから、もう大変なことになるだろう。同じことがボルネオ島のブルネイにも言えるが。

 イスラム金融というのがあって、イスラムでは貸した金に利子を付けてはいけないらしい。その掟をかいくぐって外国と取引をしなくてはならないから、イスラム国はどのような手を使っているのかに興味があった。しかし、妻の短い滞在ではそこまで掴むことはできなかった。

伝聞サウジアラビア(食べ物編)

2013-01-10 07:00:39 | 文化
 ジッダの人口は300万人だそうである。名古屋が200万都市だから、ジッダは名古屋よりも規模が大きい。

 そのため各国の料理店がそろっている。中華料理、韓国料理、イタリア料理、タイ料理、日本料理など。家ではコックがお好みの料理を作ってくれる。外に出れば好きな国の料理が食べられる。おかげで妻が現地の料理を食べたのは2回だけだったそうだ。

 料理店はむろん現地人のために店を開いている。店は男性用のエリアと女性用のエリアに分かれている。家族連れはどうするのかというと、家族エリアというのがあってそこを使用するのだそうだ。他に客がいるときには写真撮影が禁止されている。

 妻の観察によれば、イスラム圏独特の「覆面」をしている女性は1割くらいで、多くはスカーフだけかぶって顔は出していた。「覆面」も実は忍者の覆面のようなものではなく、黒いスカーフで髪を隠して、あとは鼻と口の上に前掛けのような薄い布を垂らしているだけらしい。そのような女性が人前で食事をするときには、「前掛け」は外さずに、それをそっとめくって食べていたという。

 メッカの方角に、現地人がレジャーで行く山がある。山に登ってしまうと、もう食事をする場所がないので、妻と娘の家族の一行は、山の手前の汚い食堂に入った。そこで出された食事は、タイ米のご飯の上にチキンのローストが乗せてあるだけのものだった。無数のハエがたかるので、それを払いながら食べた。腹がすいていたので、けっこううまかったという。

 2回目に妻が現地の料理を食べたのは、娘の夫君が取引をしている会社のオーナーのラクダ牧場を訪問したときだった。オーナーは60歳くらいの成功者で、60以上の子会社を持っているという。妻の一行は絨毯を敷いたテントに迎えられた。

 一行は下にも置かれぬVIP待遇を受けたそうだ。しばらくすると一匹の羊が引き出され、近くで捌かれて、その肉が供された。妻は羊肉が苦手なのだが、そのときの肉は臭みがなく柔らかくて、妻がいままで食べた羊肉のなかで一番おいしかったという。

 羊の乳も出されたが、妻の口には合わなかったそうだ。都市が発展してしまうと、現地の元来の食事は意外に口にすることができない。妻はお金では買うことができない体験をしてきた。まったくもって羨ましい。

伝聞サウジアラビア(住居編)

2013-01-09 07:24:19 | 文化
 ここに述べていることは、サウジアラビア全体のことではない。サウジアラビア第二の都市ジッダに関することである。第一の都市は首都のリヤドだが、リヤドが保守的であるのに対して、ジッダは国際都市で歴史的に異民族にも開かれていた。

 妻は娘の夫君の住居に泊まった。外国人専用の地域にその住居はあった。外国人の住居が一か所にまとめられており、それをコンパートメントと呼ぶ。ひとつのコンパートメントの中に2,3百所帯が暮らしている。

 ひとつのコンパートメントは塀で囲まれていて、出入り口が一か所あり、門番が付いている。コンパートメント内に公園もスーパーもある。公園では白人の子供を見かけたそうだ。スーパーは品ぞろえが悪く、腐ったような肉(妻の観察)を置いてあるので、買い物はコンパートメントの外に行くこともある。

 コンパートメント内では女性は普通の服装でよく、もちろん「覆面」を着ける必要もない。

 娘の夫君の住居は極めて広く、東京のせせこましいところで暮らしている娘の子供たち(男児5歳2歳)は室内をはしゃいで走り回っていたという。トイレは水洗で、バスルームもホテルのようなしつらえだそうだ。水は海水を淡水化したものを使用するそうだが、飲み水はミネラルウォーターである。

 夫君の家にはフィリピン人のコックと週3日だがソマリア人(?)のメイドがいた。フィリピンは出稼ぎが国是だが、中東への進出も多い。コックはむろん食事を作る人だ。腕は良かったらしい。大晦日には寿司を作ってくれて、それがとてもおいしかったとは妻の感想。紅海で獲れたマグロやイカやエビが出たという。米は日本産。妻はまあ刺身にはうるさいほうだが、マグロが絶品だったという。

 大晦日には紅白歌合戦がライブで見られたそうだ。日本の放送が衛星を通じてサウジまで届いているとは驚いた。もう中東を辺境とは呼べない。ジッダは高層ビルが次々と建てられているのだそうだ。ヒルトンホテルもあったという。鎖国のような国で誰がホテルに泊まるのだろうかと私は疑問に思ったが、妻は訊いてこなかった。

 サウジでは日本人は、みな現地の上流階級のような生活をしている。貧富の格差が目立ったそうだが、貧しいのは本国人ではなくて、移民なのかもしれない。その話はまたいずれ。

伝聞サウジアラビア(入国編)

2013-01-08 05:01:34 | 文化
 妻がサウジアラビア旅行から帰ってきたので、彼女からの伝聞を報告する。私は仕事が忙しいので行けなかった。

 まずビザがなかなか下りなかった。飛行機の切符はとうに買ってあるのに、ビザが発行されたのはその2週間前だった。もし下りなければ、飛行機をキャンセルしなくてはならないし、年末年始のすべての予定を作らずに待っていたのだから、年末年始に何もすることがなくなってしまう。

 ビザが下りるまでに、妻の最終学歴や妻の母親の身元などを訊ねられた。一度に聞いてくれればよいのに、何回かに分けて聞いてくる。そんな情報に意味があるのだろうか?なにより、証拠(卒業証書や母親の戸籍謄本など)を要求されなかった。自己申告で済んでしまう調査って、いったいなんだろうか?

 旅行会社に行けば分かるように、サウジアラビア旅行という商品はない。テレビの旅番組でもサウジアラビアのルポというのは見たことがない。サウジアラビアは事実上、鎖国状態なのだ。妻が娘母子とサウジに行けたのは、娘婿が現地に駐在していて、ファミリーという枠で入国を許されたらしい。しかも女性の外国人は男性ほどには警戒されないそうだ。

 妻はサウジに入国する飛行機の中で、娘婿が用意したアバヤという黒服に着替え、ショールをかぶった。女性は髪を見せてはいけないのだという。年配者だけではなく、ドバイの待ち合わせラウンジでは若い女性でも眼だけ出している人がいたとのことだ。

 こうして妻はなんとかサウジアラビアに入国することができた。

なぜマスクの人にインタビュー?

2013-01-07 05:11:29 | マスコミ
 病気が伝染するとかしないとか以前に、なんとなく顔を隠すためにマスクをしている人が多くなったと先日述べた。

 街をいく人たちを見ると、昔よりはるかにマスクをしている割合が多い。この10年でマスクの売り上げが金額ベースで3倍になっていることからも、それが分かる。

 そこでテレビの放送局の街頭インタビューだが、放送局の人がマスクをかけている人にインタビューするのはなぜだろうか?表情が見えないから、マスクをかけている人を避けるのが普通ではないか?

 マスクをかけていない人が沢山いるのに、よりによってマスクをかけている通行人にインタビューする放送局の人の気持ちが分からない。放送局の人はマスクをかけていても、かけていなくても大差はないと思っているのだろうか?

 インタビューはラジオ用ではなくテレビ用である。マスクをかけている人にインタビューするインタビュアーは、例えばサングラスの人、目出し帽の人にもインタビューするのだろうか?

一回は暗記せよ

2013-01-06 04:34:25 | 教育
 医学部ではむろん解剖実習があった。解剖実習は系統解剖と呼ばれ、病理解剖や司法解剖と違って、きわめて詳細である。解剖実習では、それこそ細い血管の一本から細い筋一本に至るまで詳細に解剖するので、朝から晩まで解剖していたとしても2か月以上はかかるだろう。

 脳の解剖は別に行う。脳は豆腐のようなので、指導者が付きっ切りになって行わないと失敗する。

 医学生は解剖実習で人体の不思議さと尊厳を叩き込まれる。解剖は医学の基礎の基礎で、どんな科に進んでも、一生役に立つ。

 生化学の授業では、TCAサイクルを一回は全部覚えろと命じられた。TCAサイクルは高等動物のエネルギー源になるATP(アデノシン三リン酸)という物質を生み出す化学反応系である。

 戦前にこの反応系を見つけたクレブスという人は、戦後にノーベル賞をもらった。よくぞこんなに複雑な反応系を発見したものだと、学生だった私たちは驚嘆したものだ。

 その反応系を暗記せよという生化学教授の命令だった。ただし、暗記は一回でよい、一回再現できたら、あとは忘れてよいということだった。だから必死に覚えた。

 TCAサイクルを覚えているとき、そういえば同じようなことがあったなぁ、と思い出した。それは、高校で化学の周期律表を記憶させられたことだ。あのときも、一回は全部記憶せよと命じられて、テストがあって、一か所でも間違えるとやりなおしだった。やりなおしは完全に暗記するまで行われた。

 その結果、高校の生徒全員が周期律表を覚えた。周期律表の上に化学があり、その延長線上にTCAサイクルがあるのだ。

 若いうちの教育は、ただ暗記するだけということがあってもよいと、今にして思う。それはピアノを習う小児が芸術性もくそもなく、ただひたすらバイエルを弾くのと同じである。基礎のないところに建築は築けない。

 よくできる看護師、カウンセラー、臨床心理士は、普通の臨床では精神科医と変わらない。ただ一点、精神科医が彼らと違うところは、脳の解剖やTCAサイクルを知っていることだ。だから、薬の脳における作用も原理から分かっているということだ。

 精神科医がそんなことを主張しなくてならないほどに、今のコメディカルは優れている。

放送大学や高校講座

2013-01-05 07:02:12 | 教育
 東京へ行くと「放送大学」というチャンネルがある。東京の人は全国にこのチャンネルがあると思っているかもしれないが、少なくとも豊橋の地デジにはこのチャンネルがない。わざわざBSにしないと「放送大学」は見ることができない。

 私がなぜ地デジで「放送大学」が見られるのを羨ましがるかというと、面白いからである。医学という狭い範囲内でしか教育を受けてこなかった私としては、別の社会科学、人文科学の分野の知識を入れたくて仕方がない。。

 ある授業では「途上国はなぜ二重構造になるか」ということを述べていた。二重構造とは都市と農村の二重構造のことである。途上国は富める都市と貧しい農村を同時に抱え、そのような構造はかなり長期間にわたって続くのだという。とても興味深い話だが、本を買ってそれについて調べるほどの普遍的な内容ではない。

 途上国の都市と農村の間にはスラムが発生するという。スラムは貧しい農村の人が行くと、何とか食べられる場所であり、都市の労働者が失業すると、農村にまで帰らずにスラムで落ち着けるのだという。つまり、スラムは都市の労働力を調節する安全弁の役割を果たしており、それゆえ安定的なのだとのことだった。

 翻って私が子供のころの都市と農村を考えてみると、確かに都市は富んで農村は貧しいという図式はあった。だが、その間にスラムはなかったのではないか?農村の子供は中学を卒業すると都市に出る傾向があった。集団就職がその一形態だった。別に農村の女子が中学を卒業すると、都市の家庭や商家に「お手伝いさん」として住み込むことがあった。

 日本にスラムはなかったのに、なぜ途上国にはスラムが発生したのだろうか?こうして考えていくと、「放送大学」が与えてくれる「授業」はきわめて面白い。

 実は私にとって「NHK高校講座」がまた面白い。あんなに動画や写真をふんだんに使って、分かりやすいこと夥しい。あれほど面白い講座を今の高校生は見ないのだろうな。自分が高校生のころを考えると、やはり教育放送は見なかった。型にはまっていて、今の講座のようにアシスタントの女の子が出ているわけでもない、もっと無味乾燥な放送だったように思う。

 以上は義務だとやりたくなくなり、義務でないとやりたくなるという人間の特徴を示しているだけかもしれないが・・。

英国の親切を日本も?

2013-01-04 06:49:57 | マスコミ
 2013年1月3日の朝日新聞愛知県版の投書欄に、20歳女性の投書が載っていた。「英国の親切を日本も」という見出しだった。

 要旨は、英国旅行をしてみて英国の人の親切さがありがたかった。よく声をかけてくれた。日本では街では皆が黙っている。日本人も見習ってはどうか、というものである。

 私はこの投書を読んで言いたいことが3つあった。

(1)投書者は旅行者(お客さん)だから親切にされたのだ。それはいっときの親切だ。在住してみればもっと面倒なことや差別に出会うだろう。(私は海外生活をしたことはないが)海外に在住して不快な思いをして帰ってくる人は少なくない。

(2)日本人はもう十分親切だ。東日本大震災での譲り合いや忍耐やボランティアを見よ。日本人は外国人に対しても同じように接するし、差別をしない。(老母は近所に黒人が住んだとき、その国の言葉を勉強し始めた。)街で知らない人にペラペラしゃべる奴がいるか?やたらと話しかけないのが思いやりというものだ。

(3)朝日新聞はなぜ好んでこのような思慮の浅い投書を載せるのだろうか?朝日新聞は昔から嫌いだが、読まないと批判もできないので読んでいるだけだ。朝日新聞には何でも外国(先進国、途上国を問わず)のほうがよいと主張する癖がある。

 正月は2日から店を開いているところが多い。1月3日は菜飯田楽を食べた。その店にあった朝日新聞を読んで、これを書いた。

駅伝はなぜ人気があるのか?

2013-01-03 05:25:02 | スポーツ
 正月恒例の箱根駅伝が行われた。いつも不思議に思うのだが、駅伝はなぜこんなに人気があるのだろう。海外でも Ekiden とそのままの名称で行われているらしい。

 私はマラソンなら面白味が分かる。マラソンは一種の鉄人レースで、選手が個人個人、駆け引きを繰り広げながらタイム(順位)を競う。2時間余りのドラマがそこにはある。

 しかし、駅伝は要するにリレーなんでしょう?個人個人はとにかくタイムを出すことに必死になればいいんでしょう?そこにもマラソンのようなドラマが生まれているのだろうか?

 マラソンはギリシャ時代からあった。すなわち歴史がある。ところが駅伝は80年程度の歴史しかない。私が察するに、駅伝が成立するためには選手を中継地点まで車で運ばなければならない。だから車が実用化されるまで駅伝は存在しえなかったのではないか?

 駅伝に人気があることは、沿道の観客の多さからも分かる。箱根駅伝は大学ごとにチームを作っている。早慶戦や東京6大学野球のように、大学ごとに応援団がいることは理解できる。出場大学のOBや関係者が熱くなるのも分かる。でも、それらは当面、私には関係がないことである。

 箱根駅伝では選手の出身高校まで放送していた。駅伝に人気があるのは、もしかしたら「地域ナショナリズム」のようなこともあるのではないか?高校野球は地域ナショナリズムがもっとも端的に表れる。

 私は愛知県豊橋市に住んでいるが、高校野球好きの人は(豊橋から代表が出ることはめったにないから)愛知県の高校を応援する。もし豊橋の高校が甲子園に出たら、豊橋の町はえらい興奮につつまれるだろう。

 これと類似した心性が駅伝にはあるのではないか?だから放送局は選手の出身高校まで紹介するのではないか?そうでもないと、駅伝という競技の人気の説明がつかないと私は考えているのだが、どうか?