院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

俳句の上達方法

2014-06-16 05:04:35 | 俳句

(芭蕉記念館。東京の公式観光サイトより引用。)

 早いもので私が俳句を始めてから、もう四半世紀になります。最初の2年間は上達したのですが、あとは横ばい。同時に俳句を始めたある女性は、2年間で私を追い抜きました。俳句にも実は才能が必要です。私には俳句の才能が少ないと感じたのも、2年間を過ぎたころからでした。

 最初の2年間は基礎的なことを覚えます。季重なりはいけないとか、切れが必要だとか・・。あと、俳句の先生からは「多作多捨」を奨励されましたが、未だにそれは実行できず、私は投句する俳句数の2倍弱くらいしか作れません。

 骨董の目利きにしても、音楽鑑賞の審美眼にしても、「まず良いものだけを見なさい。そうすれば、良くないものはおのずと分かるようになる」と言われますが、それは本当です。音楽ならば、私たちは放送やCDから聴くことが多いので(つまり一流の演奏しか聴いていないので)、下手な演奏を聞けば一発で分かります。

 ですが、俳句は少し違うようです。俳句は句会などに出て、素人の下手な俳句とたくさん接する必要があります。というのは、俳句は月並みや類想を嫌います。月並やみ類想は名人上手の俳句には出てこず、素人の俳句に頻出します。どのような表現が頻出するか、ある程度知るには素人句会の経験が必要です。それに気が付くのに2,3年は必要でしょうか。

 例えば、次のような表現は当たり前過ぎて感動を与えません。

 ・木の実を表現するのに「たわわ」と言う。
 ・コスモスに「揺れる」という言い方をする。
 ・子燕の口が大きくて「顔が見えないほど」と言う。

 内容も次のような内容は、ありがちです。

 ・年末に亡くなった人の年賀状が届いた。
 ・病院の検査結果になにもなく、安心した。
 ・米寿になったが、あっという間だった。

 ありがちだと思わせないためには、同じ内容でも一ひねりしなくてはなりません。「俳句をひねる」という言い方はここから出てきたのだろうと、私は思います。

 この「ありがちだ」ということが分かるようになるには、素人の俳句をたくさん見る期間、すなわち2,3年が必要でしょう。ですが、10年も俳句をやっていても、なぜか類想の句があるような俳句を作ってしまうことがあります。こうした難しさがあるから、俳句つくりはかえって面白いのでしょうね。

昭和レトロはなぜ懐かしいのだろうか?

2014-06-15 00:12:12 | 歴史

(金沢の古い床屋。)

     土雛を昭和レトロの覚えとす  ひとし

 昭和レトロが懐かしいのは何故だろうか?昭和時代は長く、その時代を過ごした人が圧倒的に多いから、懐かしむ声も大きくなるのだろうか?

 愛知県犬山市に「明治村」という明治時代の建築を展示した野外博物館がある。これも昭和レトロに劣らず懐かしい。私が幼いころにまだ現役の建物だったからからだろうか?

 「明治村」と類似の施設に民間が経営する「大正村」があるけれども、こちらはなんとなく惹かれず、まだ行ったことがない。「明治村」は名古屋に住んでいたころ、何回も行ったが。


(明治村正門、旧八高正門。明治村のHPより引用。)

幕張新都心は寂れていくだろう

2014-06-14 05:06:12 | 経済

(幕張ベイエリア。ウィキペディア「幕張新都心」より引用。)

 滅び行くだろうという予測ばかりで申し訳ないが、幕張新都心も寂れていくだろう。写真の高層マンションはすでに述べた理由から、将来スラムになる。高層マンションの住人の多くはこの地を古里としない人たちだろう。だとすると、代が替わったら、もうここに住む必然性がない。マンションも旧式になり資産価値も激減しているはずだ。

 新都心全体がこれ以上発展せず、寂れていくばかりだとの予想は、わが国の人口減少も関係するがそれだけではない。計画都市は発展しないという有力な説があるからである。

 1970年ころポスト構造主義が流行ったとき、ドゥルーズとガタリが提唱したリゾームの概念を援用して、都市計画は成功しないと誰かが言っていた。その際、意外に発展しなかった計画都市、メキシコシティが例に挙げられていた。

 ポスト構造主義の哲学的な主張はきちんと理解できなかったけれども、内容的には「人間は学校の前に文房具屋ができることくらいまでは想像できるが、ビジネスホテルの横にコンビニができ、コンビニの従業員の住居がどこにできるかまでは想像できない」というような内容だったと思う。(ビジネスホテルの横のコンビニは、宿泊者にはたいへん便利である。こんなところにコンビニができるとは前もって予想できなかった。)

 都市は生き物のように周囲の状況によって変化しながら(根っこのようにリゾームが伸びて)発展していくものであり、人間の浅はかな考えですべてをあらかじめ設計することはできない、というほどの意味だと理解している。

 東京駅からの直線距離は幕張新都心は三鷹と同じくらいだろうか?三鷹は自然にできた都市だから無理なく発展してきたが、人工的な幕張新都心は三鷹のようにはいかないだろう。いずれあちこちに無駄な施設やスペースができてくると予想される。

虎ノ門ヒルズは生き残らないだろう

2014-06-13 00:03:37 | 経済

(虎ノ門ヒルズ。森ビルのHPより引用。)

 虎ノ門ヒルズという高層ビルができた。ホテルのスイートルームが一泊100万円。賃貸マンションの最高が292万円。分譲は70戸あるという。

 虎ノ門ヒルズは六本木ヒルズに勝てないだろう。なぜなら、まねっこだからである。一等賞でないからである。

 法隆寺の五重塔は世界最古の木造建築として有名だが、2番目に古い木造建築はだれも知らない。それと同じことが高層ビルでも起こるだろう。

 高層マンションがいまは富の象徴かもしれないが、いずれスラム化することは 2012-08-16 に述べた。

 ただし、六本木ヒルズだけは生き残るかもしれない。一方、虎ノ門ヒルズはもちろん、汐留や墨田や台場の高層マンションは朽ち果てる。築50年の古いマンションに誰も住みたいとは思わない。

 幕張新都心も寂れていくだろう。だが、これはまた別の要素による。

徴兵制は意味がない?

2014-06-12 00:06:41 | 教育
(産経新聞社刊。)

 「自衛隊を凌辱しつづけるのは危険である」と述べたのは故山本夏彦翁である。いざというときに守ってくれないよ、と夏彦翁は言った。当時、自衛隊を一大暴力集団だとののしる人たちがいた。

 そういう人たちが死に絶えたからか、災害救助での自衛隊の働きが目覚ましかったからか、自衛隊を悪くいう人は少なくなった。でも、まだいることはいる。

 上の本によると、徴兵制で兵を集めても役に立たないという。理由は、やる気のない者を訓練してもゴールは知れていること。高度化した兵器や作戦を取り扱うのは、プロ集団なければできないこと、だそうだ。なるほどと思う。

 例えば、病院という組織をすべて素人に任せたら何もできない。点滴などの手当てはむろんできないし、レントゲン装置を立ち上げることさえできない。10年かかっても多分まともに病院を運営できない。現代の軍隊も同じだろう。

 本書には、わが国では学校のどこの過程でも兵法を教えないとあった。ビジネス社会でも兵法は重要で、アメリカでMBAを取ってきた人は兵法を習っているという。身近かにMBAをもっている人がいないから、本当かどうかどなたか教えてほしい。

コミュニケーションとは何か?(3)―ビデオ教材の効果

2014-06-11 00:41:12 | 社会

いらすとやHPより引用。)

 赤ちゃんは母親が「いないいないばあ」をすると笑う。赤ちゃんの反応を見て母親が笑う。母親の笑顔にまた赤ちゃんが反応する。ここには笑顔のキャッチボールがある。

 これがビデオの母親だと、赤ちゃんの反応に即座に応答しないから、笑顔のキャッチボールは行われない。赤ちゃんは相互性のある「コミュニケーションモード」から、一方的な(ただ画面を眺めるだけの)「傍観モード」に後退してしまう。

 他言語の会話は状況 (situation) の中で覚えられる。テレビ講座よりも現地に行ったほうが早く会話を覚えられるのは、常に状況に囲まれているからである。

 状況のないテレビ講座で他言語の会話を覚えるのは不可能ではないが、くそ暗記に近く不経済である。状況がないところではコミュニケーションが成立しない。つまり、テレビ講座は「傍観モード」で見る他はないから上達しにくいのである。

コミュニケーションとは何か?(2)―触れうる距離(近さ)が必要

2014-06-10 00:01:42 | 社会

(テレビドラマ「ショムニ」の一場面。朝日新聞デジタルより引用。)

 携帯電話やテレビ会議がいくら発達しても、ライブのコミュニケーションが再現できないことは上の写真からも明らかである。写真のようなやりとりが本来のコミュニケーションである。

 女性が男性になにか脅しながらねだっているような雰囲気である。2人の間では体温や匂いまでひっくるめたコミュニケーションが行われている。さらに、うしろの2人の女性はその様子をうかがっている。それぞれに感想をもっただろう。この場面の総体がコミュニケーションが行われている現場である。

 この全体を通信技術で伝えることはできない。この場面だけなら(この記事のように)言葉と写真でなんとか伝え得たとしても、登場人物の身代わりになることはできない。あくまでも「傍観モード」から脱することはできないのだ。(傍観は主体的コミュニケーションではない。)

 通信技術だけで丸ごとコミュニケーションが代替できると考えるのは、あまりに楽観的なのである。

コミュニケーションとは何か?(1)―電信は鉄道に影響を及ぼさなかった

2014-06-09 04:54:47 | 社会

(テレビ会議。DZNet Japan より引用。)

 生物である人間には、どうしてもライブが必要だと前回述べた。だが、携帯電話を初めとして通信の飛躍的な発展により、実際に会うことがおろそかになってきたのではないか?

 テレビ会議も売り込みが激しく、いちいち出向いて会議をやっている人たちは時代遅れだと言わんばかりだ。

 確かに実際に会わなくても通信で済んでしまうことは多い。だが、だからと言って人間の移動が少なくなるわけではない。19世紀、電信が発明されたとき、鉄道会社が青くなったのをご存じだろうか?電信により人の行き来が激減し、鉄道が使われなくなるのではないかと鉄道会社は本気で心配したのだ。結果はご存じのとおりである。

 通信がいくら発達しても人の行き来は絶対に減らない。通信では済ませられない新たなニーズが出てくるはずだ。コミュニケーションとはマイクやカメラの前だけでするものではなく、全身での表現と五感で行うものだからだ。

ライブと録音再生

2014-06-08 00:02:15 | 音楽

(オルガン用パンチカード。ウィキペディア「自動演奏」より引用。)

 写真のように実際の楽器を使った自動演奏はむかしからある。録音再生ができるようになってから、自動演奏はすたれたが、録音再生ではナマの音が出ないと再び実際の楽器による自動演奏が行われるようになった。現在ではコンピュータが発達しているから、自動演奏は造作もない。名人上手の演奏を自動演奏で再現することができる。

 だが自動演奏は、実物の楽器を使用していても何かが足りないのだ。いかに上手い演奏でも足りない。それは演奏者と私が、いまここで同じ空気を吸っているという実感がないからである。ライブであるということは、生物としての人間にとって凄く重要なことのようだ。

 つまらない会議にナマで集まる必要はない、テレビ会議で済ませろという意見が多くなってきた。だが、ライブでなければならない会議もあるのだ。首脳会談はライブでなければならない。大きな商談もライブであるべきだ。人が抱き合うことも殴り合いをすることも、やろうと思えばできる距離に近づくことが、生物としての人間には必要なのだ。

 2013-04-29 でも述べたように、録音再生や通信技術がいくら発達しても人間が生物である以上、ライブは欠かせないものである。


数学は自然科学だろうか?

2014-06-07 04:58:55 | 科学

(運慶作、東大寺金剛力士像。ウィキペディア「運慶」より引用。)

 夏目漱石の「夢十夜」という作品に、確か運慶が仏像を彫っている場面が出てくる。その動作に対して、木の中にもともと仏像があって、運慶は余分な木をどかしているだけだという件りがある。名人の仕業とはそのよう見えるのかもしれない。

 数学の諸定理だが、それらはこの世にもともと存在していて、それを発見するのが数学者の役割だという見方がある。だが、当の数学者はそうは考えていない。数学者は自分たちのやっていることは芸術作品の創造だ思っているそうだ。

 この欄の読者なら、運慶がやっていることと数学者がやっていることの相同性に一発で思い及ばれることだろう。

回転寿司の用途

2014-06-06 00:44:51 | 食べ物

ゆんフリー写真素材集より引用。)

 カウンター式の寿司屋が遠からず滅びると 2013-03-25 に書いた。若い人たちの意見ではカウンターの寿司屋は値段が分からないという以前に、板前とコミュニケーションするのが面倒とあって、そうかもしれないと思った。

 合わせて、これまで100円寿司と馬鹿にしていた回転寿司が、けっこうよいネタを揃えるようになって、これで勝負あったと確信した。

 先日テレビで、若い女性の回転寿司の利用仕方が変わってきたと報道された。彼女たちは喫茶店代わりに回転寿司を利用しているというのだ。一番のお好みがフライドポテト。値段も味もマクドナルドと変わらないという。

 備え付けのアナゴのタレを、回転寿司の商品のプリンにかけたりもするらしい。ポテトだのプリンだの、寿司屋として邪道だと思っていたけれども、この分だとお菓子の回転寿司バージョンが可能である。

 だいぶ前、焼き肉屋の回転形式が報道されたが、その後見かけないから失敗したのだろう。こんご何を回転させるか、なるほどと思うものが出てきて新しいビジネスモデルとなって大儲けするだろう。楽しみである。

金沢一泊旅行記(3)ー有名料亭にがっかり

2014-06-05 00:28:49 | 文化
 その料亭には立派な玄関があって、いまどき下足番の男性がいた。まず「控えの間」の通され、お茶とお菓子が出た。料亭の主人が来て、挨拶がてら部屋、掛け軸、活け花などの説明があった。いきなり食事の部屋に通されないことに少し感動した。建築は昭和初期のものだそうで、なかなか凝った造りだった。庭も美しかった(写真左手に少し見える。)


(食事のメインルーム。)


(カモイの釘隠し。ここは龍の間だから龍の彫刻がしてある。各部屋の釘隠しには部屋の名前の彫刻が施されている。)

 食事の部屋には前室があって、そこで料理の確認をしてから供されるようになっていた。まず突き出しが出た。突き出しを食べれば、その後の料理の質がすべて想像できてしまうことは 2014-05-10 に書いた。今回の突き出しは、その後の料理に不安を感じさせるものだった。


(突出し。この料亭では「八寸」と呼んでいた。)

  料理は上の左側から、フグの白子の豆腐。わざわざ豆腐状にする必要があるのだろうか?豆腐にした分だけ素材の味が落ちている。生臭ささがあった。その隣りの粽(ちまき)は鯛の寿司。5月だから粽にしたというが必要がない。寿司飯が餅状で、いじりすぎだ。味はまあまあ。奥の小鉢はインゲンと生シイタケの白和え。これは芸がなく、家庭で作れる。

 左下が小魚と大根おろしに何かを混ぜたもの。まずくはないが高級感がない。その右の矢羽の形をした小皿の左から鮟肝のムース。スーパーで売っている鮟肝と同じだ。中央がサワガニのから揚げ。サワガニのから揚げは、むかし煮干しなどの干物と混ぜて酒の肴にした下卑たスナックである。材料費がほとんどゼロに近い。その右の天ぷらは、そら豆とさつま芋と木の芽で、これも材料費が10円で足りる。

 矢羽の形の小皿からしてそうだが、この店は器がよくない。このあとの器も瀬戸市の瀬戸物祭りで大量に買ってきたような品物なのだ。建物の立派さと不釣り合いである。

 この突き出しを食べて、あとの料理が不安になったが、不安は的中した。煮ものは肉厚の牡蠣のじぶ煮、味が濃すぎる。魚介が続いているので、ここは鶏肉程度にとどめるべきだろう。やはり、少し生臭いのだ。

 焼き物は、甘鯛の塩焼き。なんの工夫もない。家庭で作れる。まずくはないが驚きがない。次がとどめだった。抹茶茶碗のような鉢に、魚、こんにゃく、香草が入れられ煮てある。ひどく塩辛い。すべての材料の味を調理が殺しているので、なにを食べさせられているのか分からない。一口でやめてしまった。

 アワビのステーキと銘打った料理は、アワビの肝の臭みをとったソースとパプリカがかかっている。ソースでアワビをわざと不味くしたようなシロモノである。最後の酢の物は蟹とモズクと筍だったが、居酒屋のメニューみたい。デザートのマンゴープリンは、ファミレスのスイーツに負けている。

 この店も、うまい時期があったのだろう。料理人が変わったのだ。料理が料理人に左右されることは、音楽が演奏家に左右されるのと同じで当たり前のことである。

 2013-08-05 に紹介した「つきぢ田村」、「京都吉兆」の足元にも及ばない。「つきぢ田村」の料理長はもう高齢である。引退しないうちにまた行っておかなくてはならないと思った。

 最後になったが、実は最初の控えの間でお菓子ととも出された煎茶が、まるでティーバッグで淹れたような香りのないお茶だった。私の不安は、このときすでに芽生えていたのだ。

金沢一泊旅行記(2)ー産業は観光

2014-06-04 06:55:15 | 文化
 金沢の産業をあまり知らない。漆器は輪島で、金沢ではない。加賀友禅という反物があるが、金沢の総生産の何%にもならないだろう。今回、行ってみて金沢の大きな産業は観光であると分かった。

 下の写真は金沢駅前だが、ホテルばかりなのに驚かされた。それだけ需要があるのだろう。私が泊まったホテルは一泊一万円。満足だった。東京だと一万円では、これだけの立地と設備のシティホテルには泊まれない。


(金沢駅前のホテル群。)

 有名な兼六園に初めて行った。その豪華さに驚いた。旧前田邸と兼六園を見れば、加賀前田家のすごさが分かる。


(兼六園の何か所もある入口の一つ。)


(武家屋敷。ここには人が住んでいる。)

 金沢が観光の町だということを如実に示すのは、周遊バスである。500円で一日乗り放題。茶屋町とか武家屋敷町とか博物館、記念館のある場所をそのバスは巡回している。武家屋敷には現に住んでいる人がいるのが面白かった。

 周遊バスには、わざとレトロなボンネットバスが一台使用されていた。そのような電車やバスを京都や神戸でも見かけたが趣味ではない。

 明日はいよいよ有名料亭のことを書こう。お一人様20,000円程度だった。結論から言っておくと、大したことないどころか、ひどく不味かったのが忘れられない印象として残った。

金沢一泊旅行記(1)ー金沢は文化の地

2014-06-03 05:12:24 | 文化
 金沢というと「加賀百万石」という言葉が思い出される。金沢には「金持ち」のイメージがある。私は幼少のころ下の邸宅を見ていたから、余計にそう思う。


(旧前田邸。ウィキペディア「駒場公園(目黒区)」より引用。)

 当時、東京には旧前田邸ほどではなくても、それを小ぶりにしたような洋館がけっこうあった。庶民の子の私から見れば、世の中にはすごい金持ちがいるものだなぁと思わざるを得なかった。じじつ当時の貧富の差は、いまからは考えられないほど大きかった。

 現在では極度の貧乏人がいなくなった代わりに、とんでもない金持ちも少なくなった。六本木ヒルズの億ションなんて、当時の邸宅から見ればままごとのようなものである。

 加賀の前田家は歴史的にはそう古くはない。加賀百万石となったのは、前田家の先祖が関ヶ原の合戦で徳川側に付いたのが原因で、家康から広大な領地を賜ったことによる。それ以前の歴史ははっきりしない。一向一揆の一向宗が100年間くらい加賀の地を支配していたこともあった。

 ただ、前田家は和漢洋の学問を重んじ、能などの芸術を保護したから、文化的な風土の地ではあったのだ。その上、先の大戦で金沢は爆撃を免れたから、人間はもちろん多くの文物が戦後まで残された。

 今回の旅は、そうした空気を吸いに行こうと思ったのも一因ではあるが、主たる目的は金沢の有名料亭で食事をすることだった。

新幹線の無防備さ

2014-06-02 05:30:12 | 技術

(ウィキペディア「中央新幹線」より引用。)

 リニア中央新幹線は最高速度、時速500キロメートルで、ゼロ戦の600キロメートルに近い。衝突のエネルギーは速度の2乗に比例するから、リニア新幹線が何かに衝突したら激しく破壊されるだろう。

 だから、リニア新幹線の軌道は石などを投げ込まれたりしないように、すべて囲われて、チューブのようなものの中を走るのだろうと思っていたら、そうではないらしい。安倍総理とキャロライン・ケネディ米大使が乗ったリニアカーは、剥き出しだった。

 まあ、その点は日本の技術陣が十分考えているのだろう。

 もっと心配なのが、現在走っている新幹線である。最高速度で走っているときに網棚の爆弾入りバッグが爆発したら大惨事になる。

 私は新幹線が無防備なことに驚いている。イスラム過激派は自爆テロで死んでいる。新幹線なら死なずにバッグを置くだけですむ。そういうことを誰もしない我が国の平和に感謝しなくてはならない。