Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

浜松まつり(二日目編その4)~すり足

2014年05月05日 | 浜松・静岡




 二日目の合同練りは、前日よりもかなり大人数でした。さて、この練りで一番格好いいと思うのは、ベテランの歩き方です。すり足っていうのでしょうか、とにかく不自然な歩き方なのですが、地面をする雪駄や足袋の音がかすかにします。歩いている人々には練り独特の音風景だそうです。
 この日の練りの先頭で、手を組んですり足をする先頭グループがあって、これ涙ものでした。練習なんて全くしていないはずなのに、ぴったりそろっているすり足。それにあわして「ウイショ」という拡声器を通した掛け声。ラッパと太鼓の音。目と耳、屋台で焼かれる焼き鳥の匂い、なんだかそんなものすべてが合同練りにぴったりでした。
 でもベテランの歩き方をふくめた振る舞いは、若い人のエネルギーに満ちた表現とは違う、何か「味」のようなものを感じます。ガムランの世界では僕もそういう存在でありたいと思いました。(浜松まつりをガムランの話にまとめていいのだろうか?)

浜松まつり(二日目編その3)~小さな凧に思うこと

2014年05月05日 | 浜松・静岡




 遠鉄百貨店の新館と旧館の間のソラモ広場でキーホルダーなどが売られていることは昨日のブログで書いたのですが、こんなものもあります。まずは定番のTシャツ。でもね、これ浜松まつりが終わったら着られないね。着ている子ども、池町で一人だけ見ました。
 ミニ凧も売られています。初子祝いなどで無料で凧に名前を入れてくれるそうです。これは想像ですが、初子の生まれた家のすべてが大きな凧をあげてもらうことはできないと思います。お金もかかるわけだし、望んだからといって誰もができるわけではないでしょう。あるいは、浜松の外から来た人でも、大きな凧でなくても小さな凧を残しておきたいと思うこともあるでしょう。
 そういうことを考えながらこうした小さな凧を見てみると、ちょっぴり複雑な気持ちになりました。でも、それだけ凧は浜松の人々にとって重要だということなのでしょう。
 

浜松まつり(二日目編その2)~再び凧場

2014年05月05日 | 浜松・静岡
 それにしても二日目はすごい人でした。たぶんラッパの数も増えていたんだと思います。ちょっと高台から眺めたら法被を着た人、人、人。それにしても、子どものために凧を作り、その凧が上がって、子を抱いた父親のまわりでラッパと太鼓が鳴り響く光景を見るとほんとうに感動して涙があふれてきちゃいます。なんででしょうね。
 相当なお金をかけても凧があげたいという意気込みといういうか、やっぱりそれが「儀礼の慣習的行為」なんでしょう。こうした慣習を大事に守ることこそ文化の継承です。形は変わっているのかもいsれませんが、現代もなおそれが生きているのです。
 ぼくが太鼓をたたいていたら(ラッパは全くふけないので、仮定の話もありえない)、きっと涙で凧も、父親も子どもの姿もぜんぜん見えなくなっているでしょうね。あーよかった。泣き虫Pなんて言われなくって。

浜松まつり(二日目編その1)~再び凧場

2014年05月05日 | 浜松・静岡




 二日目もバイクで凧場へ。地域によっては初子の凧を揚げ終えて、地域の凧をあげて糸の切りあい。これがまた壮観。最初の写真は電線に絡まっているにもかかわらず、それでも引き合っている。電線はいったいどうなっているんだろう?まったく彼らには電線が見えていない。あいかわらずラッパと太鼓が鳴り響いている。
 凧場のすぐ横は遠州灘が広がる。バリも凧上げは海岸の横の広場だから、それも同じ。風が心地よい。海岸ではどこかの会所が必死にラッパと太鼓の練習。どこもかしこも法被姿の人ばかり。
 ガムランをやっている学生たち(このうちの5人)もラッパ隊として参加。やっと出会えた。浜松出身の学生は一人だけ?だからこそ、浜松にきたら浜松でしかできない体験をたくさんしてほしいと思う。浜松まつりを心に刻んで浜松を旅立って欲しい。それにしてもみな、法被姿がよく似合うね。