Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

備忘録~私と静岡

2018年10月12日 | 家・わたくしごと

 浜松に赴任したときに、僕は静岡県とはこれまで全く縁がないと考えていた。もちろん私自身には縁がなかったのだが、思い出してもみれば、子どもの時、母方の祖母の妹(私はおばさんと呼んでいたが)の家は、たぶん記憶では清水あたりにあり、ちゃっきり節誕生のきっかけにもなっている狐ヶ崎遊園地につれていってもらっているし、その時、登呂遺跡や美保の松原にもでかけている(ちゃっきり節は、この遊園地設立時にできた静岡キャンペーンソングである)。
 最近、ちょっとしたことから、祖母の一番上の兄が、戦後すぐに清水にある静岡県柑橘試験場(現静岡県農林技術研究所果樹研究センター)に長きにわたり奉職し、静岡に適したミカンを数多く育種してきたことを知る。つまり私の血縁者が現在の静岡のミカン栽培に貢献したことになる。調べてみると久能山の石垣イチゴ栽培とも深く関わっているようだ。
 私の祖父ではないが、祖母や母からこの方の名前はよく聞いていた。残念ながらまったく記憶はない。それにしてもこれを知った時、なにげに嬉しかった。私の母方は明治半ばから台湾に移住し、戦後内地に引き上げた。そして祖母の兄は当時台北になった台北帝国大学の農学部の出身である。たぶん当時、台湾で研究が盛んだった柑橘系植物の研究者が、本土での品種改良に貢献したのだろう。そう思うと、早く静岡みかんが食べたくなった。といっても時期はまだであるが…。
 ちなみにこの方の弟(私の祖母の兄)には、日本画家がいる。つくばにある国登録有形文化財「旧谷中龍次郎邸」の襖絵をはじめ、板絵を描いた絵師である。この人の画号「春邦」。なんと春がつく。研究者もいれば、アーティストもいたわけで、なんだか今の自分の生き様を考えると微笑んでしまう。