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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

街路樹の電飾化粧

2007年11月27日 | 東京
  クリスマスが近くなると、東京の街々ではこぞって街路樹の電飾化粧が始まる。こんな化粧が始まったのはいつ頃かあまり記憶はないが、子どもの頃の電飾は、自分の家のクリスマスツリーくらいで、街にはこんな飾りはなかったと思う。こんなクリスマスの装いを、昔はとても楽しみにした。どの街も年々、電飾の規模がエスカレートしていったし、つい何年か前まで、東京駅前には「ミレナリオ」という電飾の町並みが作られ、それを見るためには、新年の明治神宮のような混雑を味わわなければならなかった。それでも、一度はそんな景色を見に行った。        
 今から9年前、沖縄に来た年のクリスマス前、東京のような華やかな電飾化粧がされていない那覇中心部がとてもさびれて寂しく感じた。それでも、明るい町並みやわずかな電飾が感じたくて、わざわざ夜遅く、国際通りを車でドライブしたりした。お土産屋ばかりの明るさ、生暖かい冬のわずかな電飾でも、ないよりはましだと思った。
 先週、渋谷の道玄坂で、毎年変わらぬ街路樹の電飾化粧に出会う。渋谷の坂の中で一番大きな木が茂る道玄坂は、私が大好きな場所である。父の実家が渋谷のこの方面にあったこと、中学、高校時代は、古本屋やYAMAHAがあったことでよくこの坂を訪れた。確かに木が大きい分、渋谷の他の坂に比べると電飾は派手である。しかし最近思うのだ。どこもかしこも電飾で化粧されるようになった今、思い切って何にもしない街路樹があってもいいのではないだろうかと。その坂だけがアンチ・クリスマスの反逆坂に見えたりするのかもしれないが、大体、電飾なんかなくても、ビルのネオン、坂道沿いに並ぶショップの明かり、通行する車のライトだけで十分明るいのに、なんでここまで街路樹を電飾しなければならないのだろうか?暗いから光が必要なのだ。明るいのなら、必要なのは「暗さ」ではないか?


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