Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

「江戸上りの芸能」を見る

2007年10月13日 | 那覇、沖縄
 午後2時から国立劇場おきなわで、「江戸上りの芸能」という劇場の企画公演を見た。沖縄に「国立劇場なんてあるの?」と思うかもしれないが、あの三宅坂にある国立劇場の沖縄版がしっかり存在している。もちろん沖縄なので、上演演目のほとんどは沖縄の芸能である。そういう意味でかなりディープな国立劇場といえる。
 その劇場で、劇場企画公演「江戸上りの芸能」が行われた。沖縄が薩摩藩の一部とされていた江戸時代、将軍がかわった時など沖縄の人々が毎回100人ほど、薩摩藩の人々とともに江戸に上り、さまざまな芸能を上演したのである。今回はその芸能の復元上演だった。復元とはいえ、資料が正確に残っていないわけで、「全く同じ」なんてことはありえない。当然、復元者の意図がそこには反映されてあたりまえである。
 さて、そんな舞台を見ながら思ったのだが、ほとんどバリ人の感覚で舞台を見てしまう私にとって、優雅な江戸上りの芸能は、「あまりにも」優雅すぎるのである。私にとって「江戸上りの芸能」はまさに「ジャワ」の宮廷音楽と宮廷舞踊に匹敵する。そのくらい「優雅」である。
 帰り道、なんだか無性にバイクのスロットルを全開にしたいという気持ちにかられた。とにかくスピード感を欲しているのだ。そのせいだろうか、今日のバリ・ガムランの練習は、いつもの3倍は快感に浸れたのだった。別にフラストレーションを発散したわけではないのだが、やっとのことで痒いところに手が届いて、肩をなで下ろしてホッとできた、そんな感覚である。


原稿締切と腰痛

2007年10月12日 | 家・わたくしごと
 原稿の締切が迫ると、一日中研究室のパソコンの前に前かがみに座って画面を見つめ続けなくてはならない。こんなことが数ヶ月に一度は必ずやってくるのだ。数日この生活を続ければ、必ず到来するのが腰痛である。しかも毎回、かならず同じ箇所が痛くなって、一度、ズボンを脱いだら穿くのに大騒動である。しかも運の悪いことに、明後日は海洋博公園でガムランの本番の舞台で、朝から楽器運びと片道2時間のトラック乗車、しかも演奏も待っている。そしてその翌日が締切日なのだ。ようするに日曜日に原稿が書けないということは、実質、明日には脱稿していなければならないのである。そんな時に限って、明日は国立劇場で「江戸上り」に関する面白い企画演奏会があるし、夜はまたガムランの練習である。ということは、明日の午前中が締切と同じではないか!
 「寝ないで原稿を書く」ことは、「ますますの腰痛が悪化」になり、「演奏にも集中できない」状況に陥り、最後は自暴自棄になって再び「楽器を運び」をして、さらに「腰痛が悪化」していく。もう腰痛になったら最後、「寝る」以外には、この痛みから逃れるすべはない。
 「腰痛を治す」か「原稿を書く」か?今、私はこの文章を書きながらじっと考え続けている。さあ、この文章も終わってしまうぞ。さあ、やるのか、やらぬのか?


クールダウン

2007年10月11日 | 家・わたくしごと
 私だって大声で「いい加減にしろ」とどなりたいことだってあります。手をあげたいことだってあります。でも普段はどんなものでもごくりと飲み込んで終わりにします。それで、もうおしまい。でもあまりにも大きすぎて喉を通らないことだってあります。さてさて、困ったものだ。そんなときは、そんなことが起きた場からできるだけ距離をとることです。不思議と距離と比例して、喉につっかかった巨大なアメ玉は、不思議と冷えれば冷えるほどやわらかく融解していき、ある一瞬で、するりと胃の中に落下していきます。そうすればしめたもの。クールダウン!クールダウン!私は廻れ右をして、胸をはって大きく手を振り、来た道を元気よく戻っていきます。もう胃の中にも巨大なアメ玉の姿は跡形もなく消えています。

「和風」という自己流

2007年10月10日 | 家・わたくしごと
 夜になると息子の部屋から「雨だれ風」の「千と千尋」のテーマ曲が聞こえてくる。彼は、数日前に自分で採譜した楽譜を見ながらあいかわらず電子ピアノに向かっているのである。つい数日前までは電子ピアノは「家具」であったはずなのに、今は楽器になっているのだ。全く不思議な男だ、と思いながら仕事をしていると、かみさんが私を手招きする。子どもを見てみろといわんばかりに、息子の部屋を指さしている。「仕事してんのに、めんどさ・・・」と思いながらも重い腰を上げて、手招きされた方向に歩いていき、電子ピアノに向かう息子の真剣な後姿を覗いてみた。
 すると・・・彼は、ピアノの椅子に正座をして鍵盤に向かっていたのである。なぜか不思議な光景である。まさに和洋折衷、東洋と西洋のハイブリッドな演奏法であるではないか!ピアノを習ってさえいれば「ペダル」という存在を知っているはずで、そうであれば必ず足を床につけるはずである。彼は「ペダル」を知らないに違いない。
 ピアノの先生が見れば、許されざる姿勢なのだろうが、今や「スプーンで食べる納豆ごはん」、「靴をはいて浴衣着」も「ワインのおつまみがたこ焼き」もすべてOKの時代である。そう考えてみれば「正座してピアノ」もOKではないだろうか?だから私もかみさんも、息子には何もいわなかった。彼は振り向いて私たちにこういった。
 「まだ半分までしか楽譜ができてないから、全部ひけないんだよ。」
 「私たちはあなたの姿勢が気になって、演奏している音楽なんか、ぜんぜん聴いていませんでした。ごめんなさい。」と心でつぶやく。


甥っ子が作詞したウルトラマンの歌

2007年10月09日 | 家・わたくしごと
 東京にすむ5歳の甥っ子は、現在、電車と蒸気機関車、そしてウルトラマンにはまっている。電車の好きな子どもは多いが、蒸気機関車マニアというのはちょっとしぶい。彼が今行きたい場所の一つは京都梅小路の蒸気機関車館らしい。さてこの甥っ子だが、最近、ウルトラマンにも興味を持つようになった。こちらは男の子が通過する定番ヒーローであり、私も、私の息子もこれをしっかり通過して今に至っている。ウルトラマン・ワールドは今だ健在である。
 数日前、甥っ子から一枚のFAXが届いた。あて先はないので、たぶんわが家全員に送られたものと私は拡大解釈している。かみさんによると、これは甥っ子が作詞したウルトラマンの新しい歌なのだそうである。その証拠に左上には十六分音符もどきの「おたまじゃくし」らしい記号が一つ書かれている。実に歌詞にふさわしいデザインである。昨日のブログで書いたように、10歳の息子が「おたまじゃくし」と無縁な楽譜を書いたのとは正反対である。
 歌詞を翻刻すると以下のようになる。
「うるトラまんめびうす ふえにっくす ふえにっすく ふえにっくす ぶれいぶ ぞフィーに ははに Aに がいあに じヤっくにいっぱいいっぱいいるね もうさよおなら!!!。」
 さてこの歌詞を勝手に分析してみよう。まずひらがなとカタカナ、一文字のアルファベットの混じり具合が芸術的である。まず最初の「うるトラまん」の「トラ」だけをカタカナにすることによって、「虎(ハリマオ)」のような強さが強調される。また「ふえにっくす」を三回書くことによって、甥がウルトラマン・フェニックが相当に好きであることがうかがえるし、また読者の想像を超えたひらがなによる「ふえにっくす」の表記により、それがいちだんと強調されている。また唯一のアルファベット「A」は、ウルトラマンエースのことだと思われるが、成績でいえば「優」に当たる一文字の表記によりその賢く、強いイメージが表現される。更に「いっぱい、いっぱい」と二度繰り返されることにより、ウルトラマンの種類がこれ以外にもたくさんあることを明示しているし、「もうさよおなら」という表現の「もう」があることで、これ以上書くのは面倒だが、まだまだ私は知っているのだ、という豊富な知識を感じさせる。そして最後の「!」」が三回続くことで、その表現が極めてダイナミックに表現されるのだ。
 ともかくこの歌詞はすごい。ガムラン奏者の私は今、この歌詞の旋律を考案中である。五音音階でガムラン伴奏の曲にしたらどんなものだろうか?それとも「ひらがな」の表現を生かして、和風な演歌調ウルトラマンの歌なんていうのはどうだろう?とにかくも、ひらがな、カタカナ、アルファベットの混合した表現は、さまざまなメロディーを可能にする表現である。そしてこの文字の混じり具合を意図的に行っているとすれば、彼はまさに天才作詞家である。


採譜

2007年10月08日 | 家・わたくしごと
 1年に2回か3回しか電子ピアノのスイッチを入れない息子が、今日の昼間、一人で電子ピアノに向かって、ポツリポツリと鍵盤を叩いている。まったく何をやっているのか不明である。まるで乱数票に基づいて音を出しているようである。20分くらいそんなことを繰り返して、いつの間にかまた机に向かっている。いったいさっきの行為はなんだったのだろう?
 夕方、息子がA4のコピー用紙に、カタカナでドレミを書いた文字の羅列を私のところに持ってきた。「これ、千と千尋の神隠しの音楽を聴いて、書いたんだ。これから弾くから聞いてみてよ。もちろん、下手だけど・・・。」という。よくみると、確かに音はハ長調で、「千と千尋」のテーマソングの音を書き取っているが、そこにはリズムが全く記されていない。ただ音だけなのだ。
 彼は3本の指で、この自分で作った楽譜を見ながら曲を弾き始めた。リズムもきちんと演奏している。この楽譜からはリズムや音の長さは何も読み取れないはずなのに。息子は楽譜を凝視しながら、たどたどして鍵盤をひき続けている。
 私は正直、感動した。この採譜が、西洋音楽の聴音であれば0点である。五線譜は、音高、音程、リズムなどを明確示すことの出来るものだ。子どもの楽譜は音高だけである。しかし、彼の楽譜は、すでに旋律を記憶していることを前提に作られている。つまりこの楽譜は、ここから正確に音楽を再現することを目的としているのではなく、自分の備忘録として存在しているのである。彼にとって音楽は楽譜なしに記憶し、その後に作られるものが楽譜なのだ。まさに民族音楽学の授業における楽譜の概念の講義の事例のような楽譜だ。
 彼は自分なりに採譜をした。そしてこれもりっぱな楽譜である。五線譜ばかりが楽譜ではない。だいたい息子は五線譜に書くことなんて考えもつかなかっただろう。自分がわかるためだけにつくった楽譜。だからこそ、自分だけの素敵な楽譜。


美ら海水族館の「ガチャガチャ」

2007年10月07日 | 
 来週、ガムランの舞台がある海洋博記念公園の海洋文化館で、公演の打ち合わせがあって、沖縄北部へ家族と2時間のドライブをする。子どもはもうウキウキである。なんといっても海洋博公園にはあの有名な美ら海水族館があるからだ。私もここには何度来ただろう?しかし息子はきっと私の倍はここを訪れているはずであるが、それでもなおここに行きたいのである。
 その息子は、水族館も好きなのだが、今、彼がはまっているのが出口にある水族館オリジナルの「ガチャガチャ」である。すべては水族館にいる生物のミニチュアで、たぶん十数種類はあるはずだ。息子はそのうちの10種類くらいを集め、残りの数個を獲得するために、ここに来るたび200円の「ガチャガチャ」に挑戦するのである。彼には収集癖があり、それはまさしく私の悪いところを受け継いでしまっている。正直、このところは水族館が見たいのか、「ガチャガチャ」がやりたいのかよくわからないくらいだ。
 私は舞台の打ち合わせを終え、「ガチャガチャ」のある水族館の出口のソファーに腰を下ろして息子がやってくるのを10分ほど待った。息子と同様、「ガチャガチャ」にはまっている子ども達のオンパレードで、200円を入れて、レバーをひねる真剣な表情、そして出てきたカプセルを握り締め、真剣に中を覗く子ども達の表情、そしてその直後に起こる悲喜こもごものドラマ・・・。もう見ているだけでも微笑んでしまうような風景である。
 さて、息子の登場である。彼はすぐに「ガチャガチャ」をやろうとしない。遠くから、見守り、そしてしばらくすると近づいてケースの中に入っているカプセルを凝視する。そして「覚悟はできた」といわんばかりに、200円を投入し、おもいきりレバーをひねる・・・。長いパイプを通ってコロンとカプセルが落ちてくる。あっという間に拾い上げて、一瞬、その中身を覗くやいなや、今日一日の中でもっとも寂しそうな顔をする。もう彼が何を言わなくても、その中身がすでに自分の持っているものだということは父親にはお見通しである。「これ、クリスマス会の景品にしよう」と息子は悲しそうにつぶやく。
 「じゃあ、お父さんも1回やってみようかな」なんだか息子の顔を見ていると、こちらまで寂しくなってソファーを立つ。200円を入れて、レバーを回す。結構、力を入れないとまわらないことを初めて知る。「お父さん何?」と息子は私の左手に隠されたカプセルを覗き見た。そして大声を上げた。
 「お父さん、すごいよ。これぼくの持ってないイトマキエイだよ!」もう子どもは狂喜乱舞である。なんだか、私はとてつもなくすごいことをやり遂げたような、そんな気分になって水族館を後にした。きっと、これからも息子はガムランの演奏があるたびにここにきて、「ガチャガチャ」に挑戦するんだろう。まあ、いいさ。誰にだってささやかな楽しみはあるのだから。 



海が見える場所

2007年10月06日 | 那覇、沖縄
 海を見るのが好きだ。東京の郊外で育った私にとって、海は特別な場所だった。だから一年に何度か、東京湾を見るだけでも大感動だったし、江ノ電にのって湘南の海を見るなんて、もうとんでもなく贅沢なひと時だった。車を運転するようになってから出かけた西伊豆の海の光景の断片は、まだ私の記憶の中に残っているほどだ。ところが沖縄に住むようになってから、海が日常生活の一部の中に組み込まれ、5分も歩けば遠くに海が一望できるのである。車で15分も走れば目の前はもう海だ。
 私の家の周りで海の望める素敵な場所はいくつもあるが、その一つはモノレールの儀保駅である。天気の良い日は、慶良間諸島までが一望できる。しかも駅は高い場所にあるため、涼しい海風にあたりながら、そんな光景を心ゆくまで楽しむことができる。空港に向かうとき利用する駅だが、出発時間まで余裕があるときは、何台かモノレールを行き過ごしてまで光景を満喫する。
 もう一つ好きなところは、佐敷にあるウェルサンピア沖縄の浴場からみる海である。厚生年金によって建てられたこの建物、税金の無駄使いなどとの批判もあるだろうが、私は800円を払ってこの浴場に行くのが大好きである。なんといっても大きなガラス越しに、佐敷の海が一望できるのだ。海を見ながらお風呂なんて私にとっては、贅沢の極みである。
 今日も子どもとその佐敷の大浴場で海をみた。夜になって暗くなった海は、陸の部分で輝く電灯で縁取りされる。昼と夜では全く違う海の光景。
 「お父さんは海が好きだよ。おまえは海が好き?」私は子どもに聞いてみた。
 「ぼくは山の方が好きだな。だって、なんだか山の方には神さまがいるような気がするんだよ」
 わが子は心霊者か?それとも末は修験者か?と驚いたが、沖縄で育った子どもにとって海よりは山がずっと新鮮なのだろう。もちろん、私だって山の風景も好きだけれど・・・。


バリの携帯電話の中継塔

2007年10月05日 | バリ
 ここ数日、所用でバリの自分が調査している村落に住む友人に電話をかけている。この村にはいまでも固定電話はほとんどないのだが、今は皆、携帯電話を持っているため、簡単に連絡をとることができる。10数年前は、手紙が唯一の連絡方法であったことを考えれば、本当に便利になったものだと思う。
 携帯電話がバリの山村でも通じるということは、それだけあちこちに携帯電話の中継鉄塔が建てられているということだ。バリで知人から聞いたことだが、バリを空からみると、驚くほどあちこちに携帯の鉄塔が建てられていることを実感するらしい。そんな話を聞いてから、調査村にバイクで出かけるたびに鉄塔が気になり始めた。
 驚くことなかれ、確かにあちこちに鉄塔が建っている!村にいくまでの1時間の道程には4本の鉄塔の横を通過した。日本でも問題になっているようだが、この携帯の鉄塔、無許可でどんどん建ててしまっているようで、それなりに村でも問題になってはいるようだが、それよりも携帯電話が使えるようになることの方の優先順位が高いらしい。
 バリには椰子の木よりも高い建物を建ててはならないという条例がある。景観を崩すことがその理由である。さて携帯の中継塔は椰子の木よりも高いのだが、これが「つくし」のようにバリ中にニョキニョキ建っていて、景観はそこなわれないのだろうか?グランド・バリ・ビーチホテルのように、条例の出る前に建てられた高層建築を、今さら「壊せ」と言わないように、携帯の中継塔も、この設置に関する条例が作られる前に、建てられるだけ建ててしまうつもりだろうか?


演奏依頼

2007年10月04日 | 大学
 このところ、大学のガムラン・グループに演奏依頼が多い。10月14日、11月10日、2月3日と本部(もとぶ)にある海洋博記念公園、12月には近くの公民館、そして今日、またインドネシア関係の団体から1月の演奏依頼がある。続くときは、本当に続くものである。大学の芸術祭も含めれば、ここ数ヶ月の公演回数は結構多い。
 しかし、大学のグループであるわけだし、営利団体ではない。学生たちの期末試験もあれば、そうそう、ガムランばかりやっているわけにはいかないのである。その上、あるパートの演奏者の都合が悪いとき、そのパートをすぐに演奏できるものがいるとは限らない。そうなると演奏曲を考え直さなくてはならなくなる。
 それでも沖縄で「ガムラン」という言葉が定着してきたことは画期的なことで、私が赴任した8年前、ガムランは、「ガラムン」だったり、「ガメラ」や「ガンダム」と呼ばれたことを考えれば隔世の感がある。たぶん、私たちの地道な活動が、沖縄におけるガムラン音楽の定着に貢献しているのだろう。
 しかし、もう啓蒙の時代は終わった。これから私たちが目指すものは、より完成した作品の上演である。不幸なことに沖縄には、ライバルの演奏団体が存在しないため、常に「お山の大将」なのである。だからこそ、重要なことは演奏者個々人の演奏に対する意識の高さだ。高い理想をもって楽器に向き合おう!