いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

責任と無責任の構図。  social composition

2010-02-05 19:37:50 | 日記
 2月4日は、ともに時代錯誤(anachronism)の同じ病根(diseased root)を持つ二つの
「社会構図(social composition)」を見せつけられた。
 (1)民主党現幹事長の元秘書で現国会議員と、(2)モンゴル出身の横綱のひとり。問わ
れるべく、それぞれが関係する団体、組織の管理「責任」が、パラドックス(paradox)とし
ての「無責任」が、問われることはなく、法人格としての「私人」にのみ責任を転嫁する時
代錯誤の構図。

 (1)どうも、整合性のないのは、あきらかだ。民主党現幹事長の政治資金管理団体の土地
購入資金の疑惑にかかわり、当時の会計責任者で現国会議員が「意図(intention)」的に
政治資金を隠すための虚偽記載を認め起訴された。出した声明でも、その意図、事実を認め
た。

 同時に、関連して市民団体から告訴を受けていた現幹事長は嫌疑不十分で不起訴となり、
これを受けての取材会見で「事件は、元秘書(会計責任者)の形式的ミス」であり、不正な
資金供与ではなかったことを強調した。

 起訴を受けて、一方は「意図的に虚偽記載」と作為を認め、一方は「形式的ミス」の不作
為と言う「整合性」のない双方の言い分(comment)。こういう整合性のない双方の言い分
が衆目の中で通るはずもなく、理不尽で不思議だ。検察も、いいようにあしらわれている。
 現幹事長は、土地購入資金の出所(でどこ)でも、二転三転のいいように説明を繰り返し
ていた。

 当時の政治資金管理団体の統括責任者(現幹事長)と秘書(会計責任者)の「言った」、
「言わない」、「報告した」、「聞いていない」のレベルの話に終始して、結局は証拠(evidence)
の有り様もないゾーン(zone)での「コンテスト」に持ち込んで、責任は法人格(秘書)として
の私人に転嫁して、統括責任者は嫌疑不十分の立件不能となった。

 事実は、あきらかに、自ら持ち込んだ「グレーゾーン(gray zone)」の中のままだ。

 4億円にも及ぶ多額の拠出不明の収支について、団体管理の統括責任者が知ることなく、
聞くこともなく、関与もしないという、社会通念から見ても、あきらかに理不尽だ。
 当事者の言うとおりなら、国民の社会常識から大きく逸脱したズサンな資金管理体制、政
治家に、国民は何を期待できるのだろう。民主党政権は、国民生活重視、国民のそばにいつ
もいる政治を目指していたのではないか。

 国民の期待、付託を受けてはじめて本格的な政権交代という国政を支える政治家、まして
その政権政党の要の幹事長にある当事者としては、本事件の説明責任がどうのこうのの以
前の問題、国政担当不適格者であることは歴然だ。

 政治資金管理団体の統括責任者として、事件の説明責任はどうぞ勝手におやりになってく
ださい。

 (2)モンゴル出身の横綱のひとりの引退は、起因する事件の法的、社会的制裁は当然とし
て、等しく、そこに(外国人)門戸を開いて、受け入れ後に的確な環境整備をしてこなかっ
た(あるいは不十分な)組織(日本相撲協会)の自業自得の責任があり、一方的に法人格
(横綱)としての私人にだけ責任転嫁した、身勝手な組織のシナリオ。

 日本相撲協会が門戸を開き(外国人受け入れ)、誘って力士になり、その後、伝統文化の
品格にふさわしくないと、個人の資質にだけ責任を転嫁して、後は知らないという協会の無
責任は、理不尽だ。

 そのシナリオが、政治家と秘書の相関関係、社会構図にそっくりシンクロされた、不幸な
2月4日。

 

 

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