シャツをスラックスの中に入れて帰国しただけで「話題(topics)」になる今日この頃。
オリンピック日本代表アスリートが、バンクーバーの空港に公式ユニフォームながら、タイ
をゆるめシャツをスラックスの外に垂らしたスタイル、いわゆる「乱れた服装(disordered
uniform)」で降り立ったことが、団長同席の謝罪会見にまで発展して、いかに「本質」と
かけ離れた、形骸化した「かっこうつけ」だけの論議だったのかがわかる。
国を代表するアスリートということで、規律とか協調とか常識とか、一般的にはそれはそ
れで、備わっていてもちっともおかしくないし、けっこうなことだけれど、近年のオリンピ
ックアスリートといえば、プロ化志向が主流でアマチュアリズムはすでに過去のものとなっ
ており、「服装」が「人格」を評価するアイテムとはなりえない。
むしろ、少しコケティッシュ(coquettish:あばずれ)なぐらいの方が、究極のゲームに
挑む極限の緊張をもてあそぶアスリートの余裕を漂わせて、いい組織があたふたと取りあ
げ、奔走するような問題ではないことは、その後の当のアスリートの姿を見ていれば理解
できることだし、「シャツを入れて帰国」したことが話題になるほど、むしろこの国の社会は
健全で平和ではないのに、随分とピントがはずれている印象を持つ。
アスリートの本質は、「ひとり」で果実を求めることは不可能な、「チーム」としての協調性、
役割性、一体性を成立の前提としていることは理解できるはずで、今回の服装問題にそう
いうクレバーな周辺環境の整備、対応、努力が双方に求められた。
「ひとり」の問題として取り上げることではない。
さて、シャツを入れて帰国したその日本の社会は、どうか。2月21日に投開票のあった
県知事選、市長選で、政権政党の民主党が推した候補者のダブル敗北となった。
地方選挙と国政は別物という言い訳は、地方分権を推進しようとする政府には「ない」の
がせめてもの救いで、国会議員にかかわる「政治とカネ」の問題に対する有権者の厳しい
評価と受け止めている。
ここまでは、いいが、この政権、有言実行性にかけることが次々と証明されており、傍観
者の評論家的な、政治の中枢を担うものとしては、はなはだ無責任な信用性のない発言
を平気で述べては問題を放置したままのところが見受けられて、国民としては政治、経済、
社会の行く末が不安だ。
「有権者の厳しい審判」を目前にして、当事者もこれは問題として認識している「政治と
カネ」について説明責任も、責任ある対応もしないままの果てのこの結果に、平然とコメン
トする政治的感覚には、これこそ本質的に政治的「服装の乱れ」(disordered uniform of
politics)にまったく気がついていない、心がそこまで行き届かない証しで、これこそはき
ちんとしたテーブルに乗せて猛省を促す話題なのだ。
その結果としての、当然の帰結としての国民の審判であり、国会は、予算審議を前に
空転中。
オリンピック日本代表アスリートが、バンクーバーの空港に公式ユニフォームながら、タイ
をゆるめシャツをスラックスの外に垂らしたスタイル、いわゆる「乱れた服装(disordered
uniform)」で降り立ったことが、団長同席の謝罪会見にまで発展して、いかに「本質」と
かけ離れた、形骸化した「かっこうつけ」だけの論議だったのかがわかる。
国を代表するアスリートということで、規律とか協調とか常識とか、一般的にはそれはそ
れで、備わっていてもちっともおかしくないし、けっこうなことだけれど、近年のオリンピ
ックアスリートといえば、プロ化志向が主流でアマチュアリズムはすでに過去のものとなっ
ており、「服装」が「人格」を評価するアイテムとはなりえない。
むしろ、少しコケティッシュ(coquettish:あばずれ)なぐらいの方が、究極のゲームに
挑む極限の緊張をもてあそぶアスリートの余裕を漂わせて、いい組織があたふたと取りあ
げ、奔走するような問題ではないことは、その後の当のアスリートの姿を見ていれば理解
できることだし、「シャツを入れて帰国」したことが話題になるほど、むしろこの国の社会は
健全で平和ではないのに、随分とピントがはずれている印象を持つ。
アスリートの本質は、「ひとり」で果実を求めることは不可能な、「チーム」としての協調性、
役割性、一体性を成立の前提としていることは理解できるはずで、今回の服装問題にそう
いうクレバーな周辺環境の整備、対応、努力が双方に求められた。
「ひとり」の問題として取り上げることではない。
さて、シャツを入れて帰国したその日本の社会は、どうか。2月21日に投開票のあった
県知事選、市長選で、政権政党の民主党が推した候補者のダブル敗北となった。
地方選挙と国政は別物という言い訳は、地方分権を推進しようとする政府には「ない」の
がせめてもの救いで、国会議員にかかわる「政治とカネ」の問題に対する有権者の厳しい
評価と受け止めている。
ここまでは、いいが、この政権、有言実行性にかけることが次々と証明されており、傍観
者の評論家的な、政治の中枢を担うものとしては、はなはだ無責任な信用性のない発言
を平気で述べては問題を放置したままのところが見受けられて、国民としては政治、経済、
社会の行く末が不安だ。
「有権者の厳しい審判」を目前にして、当事者もこれは問題として認識している「政治と
カネ」について説明責任も、責任ある対応もしないままの果てのこの結果に、平然とコメン
トする政治的感覚には、これこそ本質的に政治的「服装の乱れ」(disordered uniform of
politics)にまったく気がついていない、心がそこまで行き届かない証しで、これこそはき
ちんとしたテーブルに乗せて猛省を促す話題なのだ。
その結果としての、当然の帰結としての国民の審判であり、国会は、予算審議を前に
空転中。