いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論(10)。 private essay about k. zaitsu

2011-03-19 19:41:02 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第10回は、「安部俊幸」です。
 10 あべ としゆき
 2011年3月6日、マリンメッセ福岡で開催されたイベント(ひとつの九州)にチューリップが3年ぶりに集結してコンサートを行いました。チューリップのリードギターの安部俊幸さん(61)は、3年間の間にすっかり髪が白くなって幾分細身になった身体からは3年分の時の移りを感じさせてステージに登場しました。
 ステージ冒頭に安部さんは「ごらんの通りのおじいさんバンドだが、音楽に国境がないように、年の差もないんだってことを」と述べて、長年愛用の重いEギターのGibson ES-335を肩にして90分のコンサートステージを精力的に元気につとめました。

 以前に大病を患ったこともあり89年7月にチューリップ解散後、97年にチューリップのほぼオリジナルメンバーが集結しての1回目の全国コンサートツアーの時は、重いGibson ES-335ではなくて比較軽いEギターを使用してコンサート途中には用意したイスに腰かけて演奏していました。
 その後、11年間の間の5回にわたるチューリップ集結コンサートでは、重いGibson ES-335を使用して、2時間30分の長いコンサートを立ったまま精力的に元気に演奏していました。
 今年3月のコンサートでは、一見3年分の時の移り変わりの見た目とは別に、以前と変わらずに重いGibson ES-335を肩にして90分のコンサートを元気に立ったまま、時にはステージ前方に演奏したまま移動してコンサートを盛り上げています。

 安部俊幸さんは72年チューリップが「魔法の黄色い靴」でメジャーデビューした時からチューリップのリードギターとして活動して、85年8月に同じくメンバーであった姫野達也さん(G Pf)とともにチューリップを脱退して、すでに脱退していた上田雅利さん(Ds)と風祭東さん(B)を加えて「オールウェイズ」を結成して96,7年までバンド活動をします。
 この「オールウェイズ」での安部さんを一度だけライブハウスのステージで見かけたことがあります。チューリップの時の毅然とした風格のある落ち着いた演奏スタイルとは違って、けっこうアグレッシブな演出意図が見える演奏スタイルに変わっていて、安部さんのキャラクターには似つかわしくない無理をしている印象を受けました。

 その後96,7年に「オールウェイズ」は解散して、安部さんはインドに生活と音楽活動の拠点を移します。インドは映画、音楽産業の盛んなところで、安部さんは地元に密着した独自の音楽創作活動をしていると風の便りに聞いたことがあります。インドのこの地方で育てた野菜は固くて歯ごたえがあるというものでした。
 インドはビートルズがその音楽、思想文化に一時期深い興味を示して、家族そろって長期間滞在したことがあり、特にビートルズのギタリストのジョージ・ハリソンさんがこれらに強い興味を示していて、インド古典楽器のシタールをビートルズの楽曲に取り入れて演奏もしています。
 同じギタリストとして、またビートルズ音楽に強い影響を受けた安部さんがインドを生活と音楽活動の拠点にした理由がわかる気がします。

 チューリップのオリジナル、ほぼオリジナルメンバーで安部さん以外はチューリップ脱退、解散後にソロ活動、ジョイント活動を継続して今日まできました。
 安部さんはチューリップ脱退後の「オールウェイズ」以外は、目立ったソロ活動、ジョイント活動の話は聞いたことがありません。

 アマチュア時代に、イベント会場で当時は面識のない財津和夫さんから「あんた達、かっこいいね。ビートルズ好いとぅとぉ。」と声を掛けられて、その財津和夫さん率いる当時アマチュアバンドのリハーサルもなしにいきなりすばらしい演奏を聞かせるミュージシャン財津和夫さんの「すごさ」に魅(ひ)かれたと安部さんが語っていたことがあります。

 85年にチューリップを脱退したとは言え、財津和夫さん以外のメンバーの中では安部俊幸さんがもっとも強くチューリップとその財津サウンドに「こだわり」、「誇り」、「愛着」を持っていたのではないのかと思われます。

 目立ったソロ活動、ジョイント活動は行わずに、11年間で5度のチューリップ集結全国コンサートツアーにはインドから参加し、今年3月のイベントコンサートにも毅然とした風格のあるチューリップ安部スタイルの演奏を披露しています。

 チューリップ現役の頃は、財津和夫さんはミュージシャン、コンポーザーとして「チューリップ」での日本の音楽シーンの先駆的な役割も自覚して、その「するどさ」は人を近づけないものがあったことは容易に理解できて、安部俊幸さんはその分割り切ったサービス精神もあって、人気も高かったと聞きます。

 ミュージシャン、コンポーザーとして「魅かれた」財津和夫さんをチューリップでしっかりと支えた安部俊幸さん。
 今も目立ったソロ活動、ジョイント活動も行わずに「チューリップ」と「財津サウンド」に強い「こだわり」のスタンスが伝わってきます。

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