いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

プロ野球の悲哀。 sadness of npb

2011-03-28 19:44:01 | 日記
 (1)「スポーツ」のプロ野球(npb)も「文化」のコンサート、ライブ活動の音楽産業も非生産性の経済活動だ。プロ野球は今や斜陽産業でコンサート、ライブ活動の音楽産業は不況の中でも成長産業だ。
 東日本大震災の影響による原発事故のための電力供給不足。政府は東京電力の計画停電(輪番停電)は了承したが、経済活動の自粛までは要請していない。むしろ経済活動を自粛、停滞させないための支える計画停電だった。

 プロ野球は被災地仙台に本拠地チームのあるパリーグは早々に開幕を4月中旬に大幅に引き延ばし、当面4月の照明、ナイトゲームは中止するとしたが、セリーグは当初スケジュールどおり照明、ナイトゲームも含めて3月下旬の開幕を決定していた。
 このセリーグの対応に同選手会が反発し、さらに文科省が計画停電中の照明、ナイトゲームの中止を強く要請して、結果としてセリーグはパリーグと同時開幕として引き延ばして4月中の照明、ナイトゲームを中止すると変更した。

 「郷土愛」に支えられた「センバツ」は、国民的支持も高く予定どおりの日程で「センバツ」を通して被災地に支援の声を届けようと、全試合全国テレビ中継(NHK)で開催された。

 プロ野球は国民的支持、人気も低迷した斜陽産業の「悲哀(sadness)」を味わっている。結果として、デーゲームで代替対応できるわけだから、計画停電中のプロ野球開催変更の方式、決定としては周囲の状況から見て正しかったことになる。
 非常事態の中、選手会の反発、文科省の強い延期要請を無視して当初の開幕を強行すれば、プロ野球からの国民離反は決定的なものになるところだ。

 (2)しかし、そもそも経済活動を支えるための計画停電だ。プロ野球の経済活動も高度なスキル、スーパープレイで被災地に強い支援のメッセージを送ることもできる。
 そういう想いがあっても当然で、予定どおりの強行開催にも賛否両論あったはずだ。「センバツ」とのこの「落差」は、広範な「郷土愛」、国民支持の質の違いだ。

 セリーグ選手会は「この非常時に野球を強行開催するのは国民の理解を得られないし、なにより野球に集中できない」(のような趣旨)と述べている。
 プロ野球の経済活動のモチーブパワー(motive power)の中心として自負し、推進するプレーヤーの「プロ野球」に対する「現在思考」がよくわかった。プロ野球が国民的支持、人気を失ってきた理由がよくわかる。
 成長産業のコンサート、ライブ音楽は、今こそ音楽の「力」で被災地を支援するチャリティコンサート、テレビ番組にと元気を発信している。

 (3)プロ野球に、かってのように王、長嶋のような国民的人気の高いカリスマ・スーパープレーヤー、またイチロー、松井秀のような記録的スーパープレーヤーが今いたら、国民の声は上述のような結果を望んで導き出しただろうか。
 長嶋の超人的ないつもここぞという期待に応えるハッスルプレイ、王のホームラン、イチローの華麗なスーパープレイ、松井秀の日本人離れの打球が、きっと被災地支援の強いメッセージへの期待となって開幕を待ち望んだのではないのか。
 プロ野球は今、「理由」のある斜陽産業としての「悲哀」を味わっている。

 (4)文科省も、経済活動を自粛、停滞させないための支える計画停電を理由に、プロ野球の経済活動自粛に強い影響力を示したのは、自己矛盾(self-contradiction)と言える。
 

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