いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

言葉遊びの国会。 stand playing words of national diet

2012-01-25 19:39:51 | 日記
 (1)首相は、一議員時代には毎日早朝に地元の駅前に立ち通勤、通行人に辻演説を欠かさず実行してきたという紹介があった。党代表選の立候補演説でも、情に訴えるような巧みな演説が評判にもなった。

 政治家の巧みな演説が国民の団結、やる気を喚起、鼓舞する魔法の力となること(事例 チャーチル・ケネディ)もあるが、政治家の言葉の「軽さ」にうんざりさせられっぱなしの日本社会、国民にとっては、巧みな演説などより「有言実行」による政治責任を果たす政治家本来のプリンサパル(principle)な政治姿勢を見てみたい、いや本当にそういう決意こそが政治家に必要な時だ。

 (2)昨日召集された通常国会の冒頭の首相の所信表明演説では、与野党協議、話し合いの必要性、消費税増税を含む税制抜本改革実現の必要性、重要性を訴える「下り」で、自民党政権時代にともに「同じ」主張を国会所信表明演説で述べてきた2人の自民党元首相の言質(げんち)をとって、政策実現への協調、協議、協力を特に自民党を意識して野党に呼び掛けた。

 この「下り」は特に首相がこだわって文言に取り入れたと伝えられている。(報道)巧みな演説が身上の首相が自己満足に酔って「自己」を顧(かえり)みることもなく厚かましくも今は野党自民党の政権時代の政治姿勢、主張を逆手に取っての挑発的な政策実現に向けた決意表明のつもりだった。

 (3)その長期に及ぶ自民党政権はすでに国民の信任を失い、1000兆円を超える財政赤字の責任が当時の自民党政権、連立を組んだ公明党にあることも周知のことで、あらたにはじめての本格的政権交代として選んだのは民主党政権だった。

 国民がすでに「拒否」した自民党政権時代の元首相の言葉を捉えてもどれ程の意味があるのか、しかもその首相の民主党政権こそは3年前の政権交代で約束したマニフェストのほとんどを国民に十分な説明責任もなく見直し、後退、中止、廃止してきた張本人なのではないのか。

 首相本人は「してやったり」の自己満足なのかも知れないが、与野党どちらもどちらの現在の政治混迷をさらに増長させるだけの国会開幕だった。衆参ねじれの与野党対立構図にばかり腐心して「国民」への理解、協力、支持という最も強力なステイタス(status)を無視または向き合わない、目に入らないのが現在政治質論だ。

 (4)政治家の言葉だけではない政治責任、政治姿勢、政治手法の「軽さ」を感じとれる政治劣化の今国会の首相の所信表明演説だ。
 国民の意識は1000兆円を超える(本日統計で1085兆円)財政赤字の危機、財政・予算財源不足への消費税増税の必要性については70%近くが理解もしており、そのための政治環境整備のために国民にこそ十分な説明責任(accountability)を果たして、国民の「声」、「力」を背景とした政治課題への取り組みが大事な政治季節を迎えている。

 不毛の与野党対立構図に浸り、「言葉遊び(stand playing words)」をして自己満足をしている時ではない。

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