いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

虚偽記載と脱線事故。 falsehood description and derailment accident

2012-01-12 19:39:27 | 日記
 (1)昨日、同じ関係構図の「管理者責任」が問われた裁判が2件あった。ひとつが自ら代表の政治団体にかかわる元秘書ほかが問われた、政治資金規正法虚偽記載(falsehood description)違反の共同正犯として強制起訴された民主党元代表・幹事長の裁判、もうひとつ05年4月の106名の乗客が犠牲になったJR福知山線脱線事故(derailment accident)で、当時の安全対策責任者の前社長の業務上過失致死傷罪が問われた裁判だ。

 ともに善良な管理者(good superintendent)として注意義務にあるべき管理責任者が、現場従事者の直接行為・行動・判断による現場執行責任に「すべて」を押し付ける責任回避構図の裁判だ。

 (2)元代表・幹事長の政治資金収支報告書虚偽記載事件の裁判では、4億円の巨額の政治資金を元秘書(現衆院議員)、会計責任者が政治資金収支報告書に記載しなかったことについて元秘書は同代表に「報告した」と言い、同代表は「聞いていない」と言う、そもそも証拠不在の「言った」、「聞いていない」のステージに検察を引きづり込んでの不起訴処分に対する強制起訴だ。

 その強制起訴裁判でも、元代表・幹事長は政治資金収支はすべて元秘書ほかに「まかせていた」(報道)として無罪を主張した。
 さすがに、政治資金管理団体の責任者として自らの政治資金の出入りの管理(報告・確認)をすべて元秘書ほかにまかせていた不条理、同団体規約に違反していた事実は認めざるを得ずに、そのかわりとしてこれが4億円にも及ぶ巨額の政治資金の「流れ」(虚偽記載)には一切関わっていない自らの法的責任回避の構図として身内の現場担当者にすべて責任を押し付ける手法とした。

 検察が二度も不起訴処分とした証拠不在の「言った」、「聞いていない」の構図を強制起訴での状況証拠だけで立件するのは難しい裁判だ。
 本人は今後の政治活動にも意欲を示しているが、4億円の巨額な「政治目的の資金」の出入りをすべて他人(現場)にまかせて管理しない、知らないと言う一般社会常識では考えられない、大きく逸脱した管理者責任姿勢では、すでに国民を代表する政治家としては資質「失格(disqualified)」を自ら証明している。取るべきは「政治責任」だ。

 (3)もうひとつ、JR福知山線脱線事故の前社長の場合は、危険性放置の認識、責任は問えないと無罪と判決された。過密運行スケジュールに現場従事者(運転者)に過度(処分を含む)の遵守義務を求めた結果のカーブを回りきれない電車の高スピード突入による多くの犠牲者を出した脱線事故だ。

 同カーブ現場にはJR西日本の速度を調整、感知するATS装置の設置が遅れて、大事故につながったと見られていた。当時この安全対策責任者であった前社長に対して、地裁は当時はまだATS装置の整備がJR西日本事業として開始されていなかったこと、「危険(risk)の予見可能性」は否定しなかったが「結果発生」との因果関係は認めずに、また「結果(risk)回避義務」でもJR西日本の安全水準の不足は認めたがATS装備も法律が設置を求めておらず、同カーブに設置を指示しなかったことで業務上過失とは言えないとして無罪判決とした。

 何か、JR西日本の安全対策の不足は一応は否定はせずに、しかし同事故責任は問われている業務上過失と言う組織ではなく個人の責任を問うという概念の法的解釈もあり、あくまで現場担当者(運転者)の限界をはるかに超えた速度進入という個人責任に押し付けた判断だった。

 運転者個人の判断責任はもちろん大きいが、106名の犠牲者を出した大事故でそ組織としてそこに到るJR西日本の労働環境、背景、ストレス(stress)についての一体「解明」にも踏み込むべきであった。
 それが原因究明、「再発防止」にもつながり、一瞬にして命を奪われた関係者の「被害者感情」であったのだ。

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