いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

元日直前の出頭と復興。 appearance for judical order and renaissance

2012-01-03 20:07:45 | 日記
 (1)日本の正月元日はわずか1日の時の移ろいでは理解できない、特別な伝統文化の意味を持つ日だ。その年が明けるのを待つかのような狙いすました劇的演出の出頭(appearance for judical order)だった。

 降ってわいた特別手配オウム事件容疑者の警察出頭だ。誰もが望まない日での17年の世間をあざむき、あざ笑った闇を破る衝撃効果、パラドックス(paradox)として誰もが望んだ悪夢事件へのエピローグ、決着だ。
 当容疑者は「一区切り付けたかった」と17年もの間、世間をあざむき、あざ笑い身を隠し続けた経過、経緯からは、何ら「意味」のない供述をしているらしいが(報道)、昨年一連のオウム事件にかかわる逮捕者のすべての裁判が終了して刑期(死刑)が確定をしたことと無関係でないことは明らかだ。
 同捜査関係者が言うように「同事件死刑執行停止狙い」(同事件捜査、裁判の継続)の、いまだに同事件への「組織的」な関与、影響力行使を伺わせるものと考えるのが普通だ。

 それにしても同容疑者の当日の重なる「丁寧」な出頭行為に対する問いかけにも、警察対応の見事に自ら核心をすり抜けるおそまつさ、チグハグには、あきれるばかりの現場対応の劣化だ。
 いくら、警察組織はむやみに権力、権威を市民に向けて振りかざさない方が社会パラダイム(paradigm)にとってはいいことだと言っても、こうも「お人好し」では正義も善意もない善良な管理者としての資質が問われて仕方もない。
 犯罪発生率はここ10年間は減少傾向にあるとはいえ、重要(凶悪)事件の検挙率は30%程度のものだ。検察も含めて司法のパラダイムは今、組織的に崩壊しており(再生検証中)、今回のオウム事件容疑者出頭は、社会平和、安全に対するこれ見よがしのまたまたの挑戦と受け止めて、未解決事件に心置きして取り組むべきだ。

 (2)復興庁が来月1日に「ようやく」設置される。政府は当初、震災1年後の3月を目指していたと言うから、いくらこれから先の長い対応とはいえ復旧、復興事業のスピードの遅れに合わせた随分と悠長な取り組みだ。

 復興構想会議の提言(具体的な復興戦略に欠けたものであった)と「相乗」しての復興推進力のモチーブ・パワー(motive power)となるべき機関であった。被災地元も含めた組織体制づくりもこれからで、何よりどういう「復興(renaissance)」を目指すのか、組織づくりに汲々として復興の基本(frame work)となるグランドデザイン(grand design)が見えてこない。

 地方自治体では「都」構想、「州」構想による行政機構形態の改革の動きが加速しており、震災「0」からのスタートとなる東北一体改革の未来に向けた地域、地方自治構想図がまず基本だ。
 被災者に「夢」のある、持てる復興ガイドラインのデザイン化が、被災者の「0」からのスタートの勇気(courage)だ。

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