いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

東電の刑事責任。 criminal responsibility

2013-01-02 19:51:05 | 日記
 (1)昨年、イタリアの地震学者7人が大地震の予知を見誤って国、国民に被害を及ぼしたとして刑事罰を科せられた。学者にも厳しいものだと驚かせられた。
 さすがに刑事罰の対象というわけではないが、日本でも東日本大震災での東電の刑事責任追及(pursuit of criminal responsibility)のために検察が証拠固めのための研究者への任意聴取を始めた。

 東電は福島第一原発への想定津波(imagenary tsunami)を最初、①08年5月に社内の独自検証で最大「15.7メートル」と試算していた。さらに、②08年12月には津波の論文にもとづき最大「9.2メートル」と試算を見直した。
 その後、③09年2月に「土木学会」が策定した津波の計算式にもとづき最大「6.1メートル」と想定津波を試算した。
 最終的には、東電は同原発への想定津波を試算上最も低い最大「6.1メートル」に設定していた。

 結果的には東日本大震災で10メートル以上の津波が押し寄せて福島第一原発の格納容器施設を破壊してメルトダウン(melt down)、放射性物質漏えいの重大事故を引き起こした。
 事故から2年近くになっても、いまだに放射性物質汚染により帰宅困難地域があって、東電の告発、告訴を受けて検察は刑事責任(業務上過失致死傷)の捜査を開始した。

 (2)結果論になるが最初の東電社内独自の試算の最大15.7メートル津波を想定した安全対応を整備していれば被害結果も違ったのではないかと考えさせられる、最大津波想定3種類のあまりの「開き」試算数値だ。

 東電の科学技術力の過信による安全よりは建設費圧縮、慢心、横柄な企業精神性の招いた重大事故であることは避けられない、パラドックス(paradox)としてはからずも証明することになった「独自試算」15.7メートルと土木学会計算式による6.1メートル津波設定「採用」の比較落差だった。

 (3)検察は、被害を拡大した東電の刑事責任の証拠となる最大想定津波の試算の根拠性、正当性、妥当性について研究者から任意で事情聴取しているが、それぞれの「学説(doctrine)」について異議、欠陥、比較優劣を付けることなどむずかしいだろう。

 研究者の学説には独自の視点からの理論、論法、手法で構成されており、それぞれが唯一性、絶対性で存在しているものだ。これに比較優劣を付けることなど意味も基準もない。
 「選択」した東電の結果としての判断能力、責任能力、企業責任の「意図・意思」が刑事責任を問えるのかどうかというレベルの問題だ。

 (4)国、事業者が一体となって推し進めた原発行政、エネルギー政策が結果として国民の生命、安全、財産を守れなかったことと、前代未聞の巨大地震発生とのこちらは比較責任論だ。
 確かに原発被災地を含めた復旧、復興は遅れているが、国も事業者も責任を認めて被災者への補償ほか復興責任対応には取り組んでおり、原発政策の見直しも含めて政治的、社会的、企業的責任はいまだ十分とはいえないが継続して負わせている。

 復興と安全への対策、対応が責任優先されることであり、事業者の余程の悪意、意図が出てこない限りは国策上のレベルで企業独自の刑事責任を問える問題ではない。

 (5)東電は事故後2年近くたってようやく復興対応本部を被災現地に設けたが、事故対応で余裕がなかったとはいえあまりに遅い対応だ。政府も復興事業は事故後すみやかに被災地または周辺地域に復興対策本部(復興庁)を置いて、被災地と一体となって復興事業を推進すべきであった。
 これでは冒頭のイタリアのような厳しい態度も必要かもしれないのだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする