(1)新聞の広告欄を見ていると、のべつ幕なく新書本の宣伝が目に付く。作家の才能には驚かされるが最近の傾向として、作家の写真入り(美女、美男が多くなった)、同職業人の推せん文、全国読者(時には書店関係者)の声、勝手に反響を盛り上げるドラスティック(drastic)な演出があふれている。
宣伝だからコマーシャリズム(commercialism)の露出は当然だが、書物(paper books)は映像とは違うからあまり視覚、ドラスティックな興味本位にばかり訴えると「中身」への関心が薄れていく傾向はある。
(2)書物(書籍)と映像(演出)の違いはともに視覚から入るものだが、「書物」は脳内蓄積量、刺激量が強く記憶力、思考力型であるが、「映像」は感覚刺激量、感情刺激量が強く感情力現在進行型である。
新聞の新書本の宣伝は効果優先主義で映像スタイルをとって書物(書籍)スタイルを扱っているから、違和感が強い。
数百ページにも及ぶ執筆という作家の大変な努力、精進を正しく伝えているとも思えずに逆効果ともなっている。宣伝謳(うた)い文句の大反響の根拠もわからずに、殺し文句だけで読者を踊らせようというような宣伝手法(advertising skill)は、脳内蓄積量、刺激量、記憶力、思考力型読者層には不向きだ。
(3)近年出版物は氾濫してもベストセラー本、ミリオンセラー本はなく、ヒットランク本の上位は手軽なHow toもの料理本、健康本、タレント本で占められているのが現実だ。
人間の関心、興味が通信技術革命(internet)で多様、スピード、広域性を持つようになって、情報単細胞の書物から情報多様、多量、スピードのタブレット(tablet)型(smart phone電子書籍化)に変化して、軒並み書店の経営も厳しくなって減少している。
(4)書物(書籍)に替わるものとして情報量多様、多量の電子書籍(electron books)が出現したが、文化として定着する前にタブレット先進国の米国ではすでに電子書籍サービス業界が低迷、後退状態だと言われている。
書物と電子書籍の比較優位性では、「電子書籍」の情報多様、多量、スピード、同時処理性の便宜さに対して、「書物(書籍)」には資料性、書き込み性、比較性、飛ばし読み性とかえって「加工性」の強みがあって、時には装飾性、足場土台(踏み台)性などの実用型利用付加価値性も高く、書物と電子書籍の棲(す)み分け、両立性はあった。
(5)書物も電子書籍も文字を視覚から取り入れるものだが、脳内蓄積量、刺激量(書物)と感覚刺激量、感情刺激量(電子書籍)の基本的な神経細胞作用の違いがあって、実は異なる文化だ。
書物の特殊な「加工性」群を見ても、人間の「能動的」な知識欲、学習欲を喚起するもので、文学としての書物の優位性(priority)は変わらない。そして、「受動的」なタブレット文化には時代環境、社会性に即応した利用価値は当然ある。
(6)昨年、ノーベル文学賞の有力候補として村上春樹さんが注目されたが、世界的に数多く翻訳された実績、人気からして、後世に文豪として名を残すことになるのか、現代文学での文豪不在が続く。
文豪というのは、後世の評価に待つものかもしれないが、今でも心に残る書物(書籍)では夏目漱石「こころ」(岩波「読者が選ぶこの1冊」)が1位になるなど、到底現代作家、文学は太刀打ちできない。
(7)冒頭のようにメディアがドラスティックに盛り上げる宣伝手法の現代書物の姿こそが、文学の「あるべき姿」を見失っているということだ。
書物、文学は脳内蓄積量、刺激量の強い記憶力、思考力型文化である。
宣伝だからコマーシャリズム(commercialism)の露出は当然だが、書物(paper books)は映像とは違うからあまり視覚、ドラスティックな興味本位にばかり訴えると「中身」への関心が薄れていく傾向はある。
(2)書物(書籍)と映像(演出)の違いはともに視覚から入るものだが、「書物」は脳内蓄積量、刺激量が強く記憶力、思考力型であるが、「映像」は感覚刺激量、感情刺激量が強く感情力現在進行型である。
新聞の新書本の宣伝は効果優先主義で映像スタイルをとって書物(書籍)スタイルを扱っているから、違和感が強い。
数百ページにも及ぶ執筆という作家の大変な努力、精進を正しく伝えているとも思えずに逆効果ともなっている。宣伝謳(うた)い文句の大反響の根拠もわからずに、殺し文句だけで読者を踊らせようというような宣伝手法(advertising skill)は、脳内蓄積量、刺激量、記憶力、思考力型読者層には不向きだ。
(3)近年出版物は氾濫してもベストセラー本、ミリオンセラー本はなく、ヒットランク本の上位は手軽なHow toもの料理本、健康本、タレント本で占められているのが現実だ。
人間の関心、興味が通信技術革命(internet)で多様、スピード、広域性を持つようになって、情報単細胞の書物から情報多様、多量、スピードのタブレット(tablet)型(smart phone電子書籍化)に変化して、軒並み書店の経営も厳しくなって減少している。
(4)書物(書籍)に替わるものとして情報量多様、多量の電子書籍(electron books)が出現したが、文化として定着する前にタブレット先進国の米国ではすでに電子書籍サービス業界が低迷、後退状態だと言われている。
書物と電子書籍の比較優位性では、「電子書籍」の情報多様、多量、スピード、同時処理性の便宜さに対して、「書物(書籍)」には資料性、書き込み性、比較性、飛ばし読み性とかえって「加工性」の強みがあって、時には装飾性、足場土台(踏み台)性などの実用型利用付加価値性も高く、書物と電子書籍の棲(す)み分け、両立性はあった。
(5)書物も電子書籍も文字を視覚から取り入れるものだが、脳内蓄積量、刺激量(書物)と感覚刺激量、感情刺激量(電子書籍)の基本的な神経細胞作用の違いがあって、実は異なる文化だ。
書物の特殊な「加工性」群を見ても、人間の「能動的」な知識欲、学習欲を喚起するもので、文学としての書物の優位性(priority)は変わらない。そして、「受動的」なタブレット文化には時代環境、社会性に即応した利用価値は当然ある。
(6)昨年、ノーベル文学賞の有力候補として村上春樹さんが注目されたが、世界的に数多く翻訳された実績、人気からして、後世に文豪として名を残すことになるのか、現代文学での文豪不在が続く。
文豪というのは、後世の評価に待つものかもしれないが、今でも心に残る書物(書籍)では夏目漱石「こころ」(岩波「読者が選ぶこの1冊」)が1位になるなど、到底現代作家、文学は太刀打ちできない。
(7)冒頭のようにメディアがドラスティックに盛り上げる宣伝手法の現代書物の姿こそが、文学の「あるべき姿」を見失っているということだ。
書物、文学は脳内蓄積量、刺激量の強い記憶力、思考力型文化である。