(1)国民性がそうさせるのか、何かにつけて徹底するのがアジアの特徴のように映る。インターネット社会もスマートフォン時代を迎えて、日本も含めて韓国、中国の若者社会への普及効果はすさまじいものがある。
携帯電話類というからには持ち運び自由で歩きながら使用するのは特徴を有効活用しているわけで目の付けどころに異論はないが、よくもまあ次から次と歩きながらのスマートフォン操作の若者群像たち(the youth walk up and down with smart phone)だ。情報がそう多いわけではないが、欧米ではあまり見かけない光景のようだ。
(2)韓国では20代を中心に頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアが急増しているとの調査結果(報道)が発表された。歩きながらのうつむいた姿勢での長時間のスマートフォン操作が首への負担の原因とみられている若者現代病だ。
ヘルニアといえばかっては運動不足、座る姿勢の不自然さからくる中高年令層の病気の特徴であったが、韓国統計によると20代で前年比較15%と最も高い伸び率の今や若者現代病だ。中国ではスマートフォン充電中に使用して感電死する事故の報告もある。充電器に問題があるともいわれてスマートフォン使用との因果関係は調査中だ。
(3)携帯で多機能ということでスマートフォン機能は便利なことは便利で、街中で起きたことが所有者は誰でもオンタイムの映像でとらえれて配信される社会事象のエビデンス(evidence)としても活躍している。
しかし使い方次第ではプライバシーの問題も生じて、また人で混雑した通行中の使用操作で人と接触して転倒事故なども発生して懸念されている。
(4)外出してまでスマートフォンの自分の世界に浸(ひた)ってインターネットでつながる世界観というのもパラドックス(paradox)として狭い文化社会だ。
多機能とはいっても人間の応用力ほどでもなく、考察力もなく表現力もない。順応性、広汎性、即応性も人間にはかなわないはずだ。
道行くときはエビデンスとしての記録性、記憶性の特徴をいかした思考判断で臨機応変に使用するのが、見える世界が広がっていいだろう。
(5)家にいても親子がスマートフォンで会話するという事例まで伝えられて、ネット社会の先端的時代観とは異質の人間生活の原理原則の欠如だ。
ムダな運動、動きもしないと若者でもヘルニア現象だ。すべてが合理的では息も詰まるだろう。
スマートフォンはどうでもいい、意味のないことは受け付けないし、しかし人間社会はどうでもいい、意味のないことから話が発展するし意外な発見もある、人間関係が考えが関心が広がる「付加価値」も往々にしてある。
(6)自分で自分の世界に入って、その先には近視眼的世界があるスマートフォン社会に注文などなく、どこでも上手に使ってもらえればこしたことはない。
少子高年令化社会を迎えて、自由を謳歌していると思っていた若者が恋愛(とまではいえない付き合い)と結婚は別もので、結婚、恋人願望が低いといわれるのも雇用不安の経済的理由だけではない、歩きながらの自分の世界に浸るスマートフォン社会にも要因があって自己啓発が不足している。
(7)人との対面、付き合いにもかっては(相当かっては)恥じらいがあって現象的にはそう変わらないが、決定的に違うのはかっては人間以外に逃げるところがなかった人間のすばらしさの大局観と、今は人をあえて遠ざける無機質観だ。
携帯電話類というからには持ち運び自由で歩きながら使用するのは特徴を有効活用しているわけで目の付けどころに異論はないが、よくもまあ次から次と歩きながらのスマートフォン操作の若者群像たち(the youth walk up and down with smart phone)だ。情報がそう多いわけではないが、欧米ではあまり見かけない光景のようだ。
(2)韓国では20代を中心に頸椎(けいつい)椎間板ヘルニアが急増しているとの調査結果(報道)が発表された。歩きながらのうつむいた姿勢での長時間のスマートフォン操作が首への負担の原因とみられている若者現代病だ。
ヘルニアといえばかっては運動不足、座る姿勢の不自然さからくる中高年令層の病気の特徴であったが、韓国統計によると20代で前年比較15%と最も高い伸び率の今や若者現代病だ。中国ではスマートフォン充電中に使用して感電死する事故の報告もある。充電器に問題があるともいわれてスマートフォン使用との因果関係は調査中だ。
(3)携帯で多機能ということでスマートフォン機能は便利なことは便利で、街中で起きたことが所有者は誰でもオンタイムの映像でとらえれて配信される社会事象のエビデンス(evidence)としても活躍している。
しかし使い方次第ではプライバシーの問題も生じて、また人で混雑した通行中の使用操作で人と接触して転倒事故なども発生して懸念されている。
(4)外出してまでスマートフォンの自分の世界に浸(ひた)ってインターネットでつながる世界観というのもパラドックス(paradox)として狭い文化社会だ。
多機能とはいっても人間の応用力ほどでもなく、考察力もなく表現力もない。順応性、広汎性、即応性も人間にはかなわないはずだ。
道行くときはエビデンスとしての記録性、記憶性の特徴をいかした思考判断で臨機応変に使用するのが、見える世界が広がっていいだろう。
(5)家にいても親子がスマートフォンで会話するという事例まで伝えられて、ネット社会の先端的時代観とは異質の人間生活の原理原則の欠如だ。
ムダな運動、動きもしないと若者でもヘルニア現象だ。すべてが合理的では息も詰まるだろう。
スマートフォンはどうでもいい、意味のないことは受け付けないし、しかし人間社会はどうでもいい、意味のないことから話が発展するし意外な発見もある、人間関係が考えが関心が広がる「付加価値」も往々にしてある。
(6)自分で自分の世界に入って、その先には近視眼的世界があるスマートフォン社会に注文などなく、どこでも上手に使ってもらえればこしたことはない。
少子高年令化社会を迎えて、自由を謳歌していると思っていた若者が恋愛(とまではいえない付き合い)と結婚は別もので、結婚、恋人願望が低いといわれるのも雇用不安の経済的理由だけではない、歩きながらの自分の世界に浸るスマートフォン社会にも要因があって自己啓発が不足している。
(7)人との対面、付き合いにもかっては(相当かっては)恥じらいがあって現象的にはそう変わらないが、決定的に違うのはかっては人間以外に逃げるところがなかった人間のすばらしさの大局観と、今は人をあえて遠ざける無機質観だ。