いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

禁止薬物とプロ。 prohibited medicines and professional

2013-07-28 19:30:27 | 日記
 (1)米大リーグではプレーヤーの禁止薬物(prohibited medicines)の使用問題でまもなく検査、調査結果が報告されて、かなりのプレーヤーが処分対象になるとの報道がある。その中には名門ヤンキースの4番を務める(現在出場していない)スタープレーヤーほか1名の大物プレーヤーも含まれるとの観測も伝わってくる。

 プロスポーツのプレーヤーは身体能力(physical capacity 肉体的・神経的・感覚的・思考的などなど)が資本、商品価値で科学、医学、生物学ありとあらゆる効果的な投資効果で身体能力を極限まで高めて、記録、成績、結果に反映して対価としての高額報酬を目指すチャレンジ・スポーツの頂点だ。

 (2)プロスポーツだから本人の自覚があれば、ありとあらゆる独自の研究開発した可能な手段、手法で身体能力を極限まで高めることは、それもプロスポーツ・プレーヤー能力の個性、特性、武器、能力であり研究開発、成長力でもあると考えられるが、国民に定着したポピュラーなスポーツともなるとプロフェッショナルとはいっても公平、公正、平等なスポーツ環境の中で互いに資本、力量を競うというスポーツ正義のパラダイム(paradigm)、ダイゴ味が存在するのはやむを得ないことだ。

 (3)とはいっても、身体能力向上、成長に投資(capital)できる「違い」からそもそもスポーツに公平、公正、平等性などなくて、その格段の「違い」の中から数の限られるスタープレーヤーの超人的な活躍、記録、成績に人類の果てしない挑戦、夢をかけ合わせて楽しむのもスポーツのダイゴ味でもある。

 100メートル9秒58の驚異的な世界記録保持者のウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)の「身体能力」は見るからに他を圧倒して、いまだに9秒台記録のない日本人アスリートの身体能力ではとてもまともに勝負にならないのは必然の原理のように思える。

 (4)これが同じルールで競争されるとなると、反面、スポーツの公平、公正、平等性は初めから存在しないと同じだ(もちろん、それでも小よく大を制することが仮にあるとすればそれもまたスポーツの夢、挑戦、ダイゴ味)。

 スポーツもアマチュアとプロフェッショナルでは目的、目標、達成感が異なるが、近年はその垣根、区別もなくなってそれぞれの個性による挑戦、楽しみ方に変化させられてきた。

 (5)マラソンでも市民ランナーとして一般職に従事しながらプロアスリートと互角以上にわたりあって日本を代表するランナーも出てきて「多様化」している。
 スポーツ環境の公平、公正、平等性の「多様化」の中で、身体能力向上、成長のための「多様化」がどこまで許されるのかが問われる冒頭の禁止薬物使用問題だ。

 単に記録、成績の公平、公正のためだけならそもそも持って生まれた身体能力の違いをどう見るのか、そのための階級制というスポーツ制度もあるが、スポーツの挑戦、ダイゴ味、夢に欠けるものでもある。

 (6)異常な薬物使用効果による身体能力の向上、成長が結果として身体組織を破壊する病害を持つものであり、スポーツにとどまらずに人間社会の健全な成長、成育パラダイムとして守るべきことが重要な一面だ。

 米国では大リーグの禁止薬物使用問題が大きな話題の中で、100メートル今年世界最高9秒75を記録したタイソン・ゲイ選手(米国)が複数検査で陽性反応(使用痕跡)が検出(報道)されている。

 (7)本人は故意使用を否定(報道)しているが、プロフェッショナルとして当然の身体能力向上、成長への自覚、自意識、努力なのか、プロ精神性を善意に見ればチームとしてのギリギリでの挑戦の中での本人の預かり知らない結果として見ることもできるが、米国社会で禁止薬物使用が問題、話題になっている中での同疑惑はパラドックス(paradox)としてプロフェッショナルな慎重な「対応」とはいえない。

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