いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

危険の予見可能性。 foreseeing possibility of risk

2015-08-01 19:54:42 | 日記
 (1)大事故が起きたのにその関係最高責任者が誰も責任を取らないというのはあり得ないというのが社会のパラダイム(paradigm)だが、106人が事故死したJR福知山線脱線事故でもJR西日本の歴代社長3名が検察の不起訴処分を受けた強制起訴裁判(1、2審)で無罪が続く。

 事故原因回避を知り得る立場にあったか、なかったかの証拠は検察捜査では重要な分岐点だが、社会のパラダイムからすれば組織の最高責任者は同組織、企業がかかわった重大事故に対して、被害者への事故責任を企業代表として負う立場にあると理解するのが自然だ。

 (2)そうした市民の感情、感性を裁判に取り入れようとして導入されたのが裁判員裁判(civil judgment)だった。
 東日本大震災による福島第一原発事故責任を巡って東京電力の元会長、副社長3名が大津波被害を予測しえなかったとして検察不起訴処分を受けたのに対して、検察審査会が強制起訴を決定した。

 千年に一度といわれる前代未聞の大地震による巨大津波が東北太平洋側一帯を襲い、海岸に隣接して建てられた福島第一原発建屋に浸水して電気系統をマヒさせて原発機能が停止し、格納容器溶融、水蒸気爆発、放射性物質の漏えいで現在でも周辺住民には帰宅困難地域が残り、全国に多くの避難生活を出している。

 (3)東電は08年には福島第一原発敷地南側の津波水位を最大15.7メートル(報道)と試算想定(報道)していたが、適切な災害対策は見送られて結果として福島第一原発事故の大惨事を引き起こした。

 災害安全対策に着手しなかった東電の事故責任(予見可能性 foreseeing possibility)について、検察は「事故前に原発の主要機器が水没する危険性は認識できなかった」(報道)と結論付けた。
 原発は都心や住宅密集地に建設されることはなく、万が一の事故を想定して放射性物質の漏えいや冷却する大量の水(海水)を確保するために開かれた海岸線に建設されている。

 (4)事故時のせめての影響被害を最小限にとどめることを想定しての対策であり、原発事業者の東電の責任でもある。近年の商慣習は企業には製造者責任理念が重く課せられての対策であり、商品に対する製造から管理、販売、回収まで自己責任を強く求めるものだ。

 そういう企業理念からしても原発事業者の東電に対しては、事故を想定したあらゆる責任が求められるのは当然のことだ。
 予測しえたか、しえなかったかで事故責任が回避されることがあっては周辺住民への被害救済に重大な瑕疵(かし)、責任回避を生じさせることにもなる。

 (5)企業全体で事業責任を負うことであって、その最高責任者が会長であり社長である。会長、社長が企業の事業実体のどこまで知り得ることを求められているのかはそれぞれあるのだろうが、事業計画、戦略、開発、投資、利益は知り得る当然のことであり、原発事業者の東電の場合には「安全と投資」の比較対効果は最高決定のものであり、自社試算の「最大15.7メートル」津波は知り得る情報であって、その対策を利益対効果でどう判断するかは最高決定権限であって当然だ。

 (6)東電最高責任者の「最大15.7メートル」津波の予見可能性について「危険性の認識」があって当然だった。
 最高責任者として安全と投資対比較効果の安全対策を怠ったことは明確であり、原発事業者として過失刑事責任を負わなければならない。

 福知山線脱線事故によるJR西日本の最高責任者の乗客安全への知り得る危険同様に、東電の最高責任者の知り得る危険は大きく、安全対策への責任も大きいといえる。

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