いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

ゲーム戦争のわずらわしさ。 troublesomeness of game war

2015-08-09 20:00:54 | 日記
 (1)最近の何かの若者世代の調査で広島、長崎への原爆投下の日を知っている人の割合が23%とあった。あまり話題になっていないが脅威的な数字に驚いた。
 8月に入ると日本は広島(6日)、長崎(9日)原爆の日に15日の終戦記念日と第2次世界大戦の歴史認識の月を毎年迎える。

 戦争を知らない世代としては、国が世界大戦の分析、検証、評価も満足に行っていないなかで、授業で世界大戦を教育的に系統立てて接したこともないし、ほとんどが新聞、メディア情報によるものでしかない。
 例年8月を迎えると広島、長崎の原爆投下、世界大戦の関連記事が増えて、やはり考えさせられる。

 (2)今年は安倍首相の「戦後70年談話」発表を控えて、原爆投下、世界大戦関連の記事が新聞には書籍紹介記事も含めて余計に多く目につくような気がする。
 国家的戦略として人が人を殺害して法的にも誰も責任が問われないという人類最悪の不条理(unreasonableness)の「戦争」は、体験者世代と戦争を知らない世代とでは次元の違う歴史認識がある。

 日本は戦後平和憲法のもとに戦争のない「平和」な状態を維持してきた。映画、ドラマでしか戦争を知らない世代も多くなり、もちろん「戦争」とはそんなもんじゃないこともよくわかる。

 (3)中近東、西アジア、アフリカでは今でもテロ、宗教、民族紛争による戦闘がくり返されているなかで、日本は第2次世界大戦後は70年間にわたって「戦争」のない「平和」な国として経済立国の道を歩んできた。

 冒頭のような若者世代が第2次世界大戦や日本への原爆投下について関心が薄いのは、もちろん彼らのせいでもない。
 述べたように国として世界大戦を分析、検証、評価してこなかった責任であり、当然のように教育的理解を与える機会もなかったわけだから、国の大きな責任といえる。

 (4)だからこの時期に急に原爆投下に世界大戦の関連記事、書籍紹介が各段に増えることには抵抗感はある。戦争体験者の証言には真実があり意味のあるものではあるが、こうも急に氾濫するとパラドックス(paradox)として何が真実で何がそうでないのか立場上の違いを比較して受け入れることがわずらわしく(troublesome)もなる。

 戦争を知らない世代にとって平和でなかった戦争時代を「わずらわしく」なることが危険なことだ。

 (5)戦後70年に登場した安倍首相はもちろん戦争を知らない世代だ。今、安保法制案の成立を目指して憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使で自衛隊を同盟国の戦闘地域に派遣して、ないしは1万2千キロ離れたホルムズ海峡の機雷封鎖が日本の存立危機状態だとして自衛隊による機雷掃海を行うことを表明している。

 日米安保、軍事同盟国の米国の要請をどうとらえて協力するかの政治的問題はあるが、安倍首相、政権の目指す安保法制案はやはり戦争を知らない世代の映画、ドラマの世界での「戦争」認識でしかないような感想だ。

 (6)今は米国(米軍)でさえも米国本土からの遠隔操縦による机上戦が登場して、「ゲーム戦争」感覚だ。
 当事者はそれでも必死の現実戦争感覚なのだろうが、安保法制案も戦争を知らない世代の「ゲーム戦争」感覚が強い。

 戦争体験者が少なくなるなかで、戦争を知らない世代が「わずらわしく」ならない平和(戦争のない状態)認識をどう伝えていくのか国民(メディア)全体の問題だ。

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