(1)今年のノーベル文学賞にはベラルーシの作家アレクシエービッチさんに授与された。「チェルノブイリの祈り」など日本にも関心の深い原発事故や戦史をテーマにして「ロシア革命からつながる共産主義という大きな実験を総括した」(沼野東京外大教授談)ことの文学的評価も高く、授賞意図が理解できるものであった。
ノーベル賞はダイナマイトを開発した科学者ノーベルの業績、資産、意思を受け継いで自然科学研究分野の画期的な研究業績の授与から始まって、文学賞、平和賞というと近年は政治的な意味合い、思惑も感じられる授賞決定がみられて、対象となった中国政府による人権拘束中の中国作家の中には中国政府が授賞を拒否する事態も引き起こしている。
さして当時実績のないオバマ大統領がプラハで「核兵器のない世界」宣言をしてノーベル平和賞を受賞して、その後の世界の政治情勢にこの精神性がいかされずに批判を受けたこともあった。
(2)ノーベル賞は「与えられる」ものなのか、「取る」ものなのか、先端的高度な学問学術研究業績と人気、名声、あこがれ、支持の強い分野との関心、興味はつきないが、文学賞では近年いつも授賞候補の話題にのぼる村上春樹さんは今年の授賞もならなかった。
日本人作家としては外国翻訳出版が格段に多くて、海外での人気、愛読も高く、本人は海外生活も多く経験して国際文学人としての評価は高い。
村上春樹さんがすぐれた人気作家であることには変わりがないが、村上春樹さんがノーベル賞に対してどういう感慨(deep emotion)を持っているのか知りたいところだ。
(3)近年、村上春樹さんのノーベル文学賞授賞機運の高まりを受けて、この時期の愛読者いわゆるハルキストと呼ばれる人たちの村上さんのノーベル文学賞授賞期待の過熱ぶり(報道ニュース)にはさすがに違和感はある。
愛読者、ハルキストがどう騒ごうが知ったことではないが、これを毎年報道するメディアのノーベル賞興味本位姿勢には少々うんざりさせられるところだ。
報道されるので見聞きすることではあるが、村上春樹さんの「聖地」(報道)渋谷の神社、喫茶店に集まったハルキストたちがクラッカーを打ち鳴らしてのサッカー、ラグビーW杯試合観戦並みの興奮(かってはフィーバーと呼んでいたが)状態で、今年も授賞を逃したことを残念がっている。
(4)村上さん自身が仮にこれを見れば戸惑うようなノーベル賞の意義(a significance of nobel prize in literature)だろう。もはやまるでノーベル賞を「もらって」当然のようなハルキストたちの行動には考えさせられるところだ。
今年のノーベル賞は初日発表の生理学医学賞授賞の大村智さんも日本人が続いた翌日発表の物理学賞授賞の梶田隆章さんも、もっと早く授賞してもおかしくない研究業績、社会貢献があったとも言われてようやく高い研究業績に「与えられた」ノーベル賞であった。
(5)近年はノーベル賞評価も20~30年の研究業績検証の期間を見る傾向が指摘されて、12年の山中伸弥さんのiPS細胞作製に対する生理学医学賞の授賞は異例の早さでもあった。それだけ人類にとって画期的な意義が高く評価された研究ということだ。
村上春樹さんは最近はメディアへの登場も多くなり、社会的発言も積極的に行っており、その小説、発言集にじっくりと目と耳を傾けながら、ただひたすら「与えられる」ことを待つことでいかがでしょうか。
ノーベル賞はダイナマイトを開発した科学者ノーベルの業績、資産、意思を受け継いで自然科学研究分野の画期的な研究業績の授与から始まって、文学賞、平和賞というと近年は政治的な意味合い、思惑も感じられる授賞決定がみられて、対象となった中国政府による人権拘束中の中国作家の中には中国政府が授賞を拒否する事態も引き起こしている。
さして当時実績のないオバマ大統領がプラハで「核兵器のない世界」宣言をしてノーベル平和賞を受賞して、その後の世界の政治情勢にこの精神性がいかされずに批判を受けたこともあった。
(2)ノーベル賞は「与えられる」ものなのか、「取る」ものなのか、先端的高度な学問学術研究業績と人気、名声、あこがれ、支持の強い分野との関心、興味はつきないが、文学賞では近年いつも授賞候補の話題にのぼる村上春樹さんは今年の授賞もならなかった。
日本人作家としては外国翻訳出版が格段に多くて、海外での人気、愛読も高く、本人は海外生活も多く経験して国際文学人としての評価は高い。
村上春樹さんがすぐれた人気作家であることには変わりがないが、村上春樹さんがノーベル賞に対してどういう感慨(deep emotion)を持っているのか知りたいところだ。
(3)近年、村上春樹さんのノーベル文学賞授賞機運の高まりを受けて、この時期の愛読者いわゆるハルキストと呼ばれる人たちの村上さんのノーベル文学賞授賞期待の過熱ぶり(報道ニュース)にはさすがに違和感はある。
愛読者、ハルキストがどう騒ごうが知ったことではないが、これを毎年報道するメディアのノーベル賞興味本位姿勢には少々うんざりさせられるところだ。
報道されるので見聞きすることではあるが、村上春樹さんの「聖地」(報道)渋谷の神社、喫茶店に集まったハルキストたちがクラッカーを打ち鳴らしてのサッカー、ラグビーW杯試合観戦並みの興奮(かってはフィーバーと呼んでいたが)状態で、今年も授賞を逃したことを残念がっている。
(4)村上さん自身が仮にこれを見れば戸惑うようなノーベル賞の意義(a significance of nobel prize in literature)だろう。もはやまるでノーベル賞を「もらって」当然のようなハルキストたちの行動には考えさせられるところだ。
今年のノーベル賞は初日発表の生理学医学賞授賞の大村智さんも日本人が続いた翌日発表の物理学賞授賞の梶田隆章さんも、もっと早く授賞してもおかしくない研究業績、社会貢献があったとも言われてようやく高い研究業績に「与えられた」ノーベル賞であった。
(5)近年はノーベル賞評価も20~30年の研究業績検証の期間を見る傾向が指摘されて、12年の山中伸弥さんのiPS細胞作製に対する生理学医学賞の授賞は異例の早さでもあった。それだけ人類にとって画期的な意義が高く評価された研究ということだ。
村上春樹さんは最近はメディアへの登場も多くなり、社会的発言も積極的に行っており、その小説、発言集にじっくりと目と耳を傾けながら、ただひたすら「与えられる」ことを待つことでいかがでしょうか。