(1)今日から読書週間が始まる。読書週間といわれても何が何だか意味も意義もわからないが、解説によると昭和22年(1947年)から続く長い国民的行事ということで「読書の力によって平和な文化国家を創ろう」というテーゼ(These)なので、これまでにそれなりに国民に浸透してきたことは間違いないところだ。
平和とは戦争のない状態を言うが、日本は平和憲法の中で戦力を保持せずに交戦権を有しないと規定して、戦後、戦争のない国づくりをしてきたからそれを支持して守ってきた国民の力とは意識していなくても、その教養と文化観に裏打ちされたものであり、やはりその成果としての読書の力、役割、役目とは大きかったのではないのか。
(2)戦後何もない中で読書で教養と文化、知識、思考能力を高めて、平和な文化国家(a cultural nation)として名誉ある地位を占めたいとする国家観、目標は、勤勉で奉仕、協調、一体感の国民性を生んで経済力に結集して、手法がいいかわるいかはいろいろあるが高度経済成長を実現して(その後バブル経済破たんの後遺症もある)、近年まで長らくGDP世界第2位の経済立国となった。
資源も国土も限られた中で教養と文化、知識、思考力にもとづく国民性を国民力として結集しての平和国家、経済立国としての戦後日本を歩んできた。
(3)戦争をしない平和国家というと文化国家ということだから、最近までは日本は昭和22年(1947年)の読書週間の高い目標の実現に向けて、その道を着実に歩んできたということだ。
どなたもほとんどの人は子どもの頃、特に小学生の頃には課題図書の中から選んで読書感想文を書いてコンクールに応募した経験もあるのではないのか。
未知への探求、知識への興味、関心の高い初等、中等教育では読書の関心も高く、授業でも学校行事としても取り入れられていることから読書率も高くて吸収力も旺盛なのは当然だが、今はすっかり見かけなくなくなったが子どもの頃には古本屋がそこここにあって、入り浸っていた記憶がよみがえる。
(4)読書週間にあわせた直近の小学、中学、高校性を対象としたメディアによる意識調査によると、「1か月の間に読んだ本」では小学生では10冊以上が42%と高く、逆に高校生では0冊が52%と過半数を占めて、つまり自分で進んで読書をしない傾向が出ている。
読書(本、雑誌、新聞)の時間比較では、それを反映して高校生では0分が51%(小学生20%)だ。
(5)その上で「外で遊んだりスポーツをした」ことが高校生では0分が55%というから、当然のように「スマホ、タブレット、ゲーム機を使った」比率が高校生では1時間以上が76%とここだけ急増して、他の項目でもそう家で勉強している(0分が22%)わけでもなく、塾、稽古に行っている(0分が81%)わけでもないから、タブレット世代を象徴している結果だ。
学校授業で読書を取り入れている小学生から中学生、高校生と見事に段階的に確実に読書習慣は減退しているデータ実態だ。
(6)読書は教養、文化、知識、思考能力を高めるものと述べてきたが、大人になるに従って減退しているとなると日本の文化国家度の評価は心もとないのは当然か。
世界大学評価(政府の教育投資なども含めた多角的分析だが)でも今年のランク発表でも日本でトップの東大も大きく下位に後退しており、他国に比較してあまり勉強しない大学生としての評価も定着している。
(7)日本のGDPも中国に抜かれて第3位に後退しており、安倍首相も新三本の矢政策でGDP500億円を20年には600億円に高める経済効果目標を打ち出している。
長らく戦争をしない平和国家日本を進めてきた国民の教養、文化力の国民性であったが、大人になるに従って読書力が減退する象徴として、その政治が都合のいい「憲法解釈の変更」による安保法制成立で積極的に同盟国の海外紛争に参戦する方向転換を決めた。68年前の読書週間のテーゼの重要性が見直されなけらばならない事態だ。
平和とは戦争のない状態を言うが、日本は平和憲法の中で戦力を保持せずに交戦権を有しないと規定して、戦後、戦争のない国づくりをしてきたからそれを支持して守ってきた国民の力とは意識していなくても、その教養と文化観に裏打ちされたものであり、やはりその成果としての読書の力、役割、役目とは大きかったのではないのか。
(2)戦後何もない中で読書で教養と文化、知識、思考能力を高めて、平和な文化国家(a cultural nation)として名誉ある地位を占めたいとする国家観、目標は、勤勉で奉仕、協調、一体感の国民性を生んで経済力に結集して、手法がいいかわるいかはいろいろあるが高度経済成長を実現して(その後バブル経済破たんの後遺症もある)、近年まで長らくGDP世界第2位の経済立国となった。
資源も国土も限られた中で教養と文化、知識、思考力にもとづく国民性を国民力として結集しての平和国家、経済立国としての戦後日本を歩んできた。
(3)戦争をしない平和国家というと文化国家ということだから、最近までは日本は昭和22年(1947年)の読書週間の高い目標の実現に向けて、その道を着実に歩んできたということだ。
どなたもほとんどの人は子どもの頃、特に小学生の頃には課題図書の中から選んで読書感想文を書いてコンクールに応募した経験もあるのではないのか。
未知への探求、知識への興味、関心の高い初等、中等教育では読書の関心も高く、授業でも学校行事としても取り入れられていることから読書率も高くて吸収力も旺盛なのは当然だが、今はすっかり見かけなくなくなったが子どもの頃には古本屋がそこここにあって、入り浸っていた記憶がよみがえる。
(4)読書週間にあわせた直近の小学、中学、高校性を対象としたメディアによる意識調査によると、「1か月の間に読んだ本」では小学生では10冊以上が42%と高く、逆に高校生では0冊が52%と過半数を占めて、つまり自分で進んで読書をしない傾向が出ている。
読書(本、雑誌、新聞)の時間比較では、それを反映して高校生では0分が51%(小学生20%)だ。
(5)その上で「外で遊んだりスポーツをした」ことが高校生では0分が55%というから、当然のように「スマホ、タブレット、ゲーム機を使った」比率が高校生では1時間以上が76%とここだけ急増して、他の項目でもそう家で勉強している(0分が22%)わけでもなく、塾、稽古に行っている(0分が81%)わけでもないから、タブレット世代を象徴している結果だ。
学校授業で読書を取り入れている小学生から中学生、高校生と見事に段階的に確実に読書習慣は減退しているデータ実態だ。
(6)読書は教養、文化、知識、思考能力を高めるものと述べてきたが、大人になるに従って減退しているとなると日本の文化国家度の評価は心もとないのは当然か。
世界大学評価(政府の教育投資なども含めた多角的分析だが)でも今年のランク発表でも日本でトップの東大も大きく下位に後退しており、他国に比較してあまり勉強しない大学生としての評価も定着している。
(7)日本のGDPも中国に抜かれて第3位に後退しており、安倍首相も新三本の矢政策でGDP500億円を20年には600億円に高める経済効果目標を打ち出している。
長らく戦争をしない平和国家日本を進めてきた国民の教養、文化力の国民性であったが、大人になるに従って読書力が減退する象徴として、その政治が都合のいい「憲法解釈の変更」による安保法制成立で積極的に同盟国の海外紛争に参戦する方向転換を決めた。68年前の読書週間のテーゼの重要性が見直されなけらばならない事態だ。