いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

正当防衛のジレンマ。 dilemma of self defense

2016-07-06 20:12:01 | 日記
 (1)自民党内には一部勢力の中に核保有論(nuclear possession)があって、平和憲法にも抵触しないと解釈する考えがある。彼らの詳しい論理はわからないが、憲法で個別的自衛権(separative self defense)が保障されているというのが現在の一般的な憲法解釈であるので、それを確固たるものにするのに核兵器の抑止力は有効で必要だと考えてでもいるのだろうか。

 北朝鮮が米国の圧力に対抗してわれわれも核武装をするのは正当な権利だというのと本質は違わない危険な論理だ。

 (2)現実の世界観は本当のところはどうなっているのかは別にして、現在の米国は共産主義国家を軍事力で制圧、征服支配しようというかっての米ソ冷戦時代のしこりを残しているとは考えられない。
 確かにアジアでの共産主義化に対抗して日米韓の自由主義軍事同盟で「阻止」しようという考えはあるが、共産主義一党独裁国家中国ともGDP世界第2位経済を起点にして協力関係を目指しており、米国からすれば北朝鮮の軍事力を背景にしたアジア近隣国を威かくする政治、軍事姿勢に問題があるというところだ。

 (3)もちろん核保有大国の核兵器の既得権益を背景にしたあらたな他国の核開発は認めないという都合のいい考えも一方的でおかしな論理であって、北朝鮮につけ込まれるところでもある。
 そうして核保有論が自国の安全を守る有効な手段として主張されることが現実にはある。

 (4)日本の場合、憲法第9条で「国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せず、交戦権を有しない」と規定しているので、安倍首相が安保法制で自国が攻撃されていないのに米軍など軍事同盟国と協力して海外の戦争地域におもむいて集団的自衛権(collective self defense)として軍事力を行使することなど出来ない憲法規定だ。

 そこで自国が他国から攻撃された場合に反撃する手段としての戦力はいかばかりがいいのか、制限はないのかという問題になる。

 (5)単に自衛のための戦力という概念になれば、最大効力のあるものが安全を最大に保障するということになる。一方であきらかにいきすぎた攻撃的な戦力観というものもあり、自衛のために使う戦力といっても保有することが不自然で相手国を必要以上に威圧するということになれば問題は起きるしあるということになる。

 現在の核兵器ということになると限定的といっても、自国、相手国はおろか地域全体の生活、自然環境を半永久的に壊滅する破壊力を持つもので、現実的に使用は認められることはないし、できない。

 (6)自衛隊はPKO活動などでの「正当防衛、緊急避難」の武器使用について、従来より広く解釈することを検討(報道)している。安保法制の施行により自衛隊の危険任務が各段に高くなることの対策で、自分の身の安全を守るためにより相手に「危害を加える射撃」の範囲を拡大(報道)しようというものだ。

 段々と自衛隊員の安全確保の「負のジレンマ」、「負のスパイラル」に向かわされている危険な現実だ。
 

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