いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国も国境も人種もない五輪。 we have no nations , no borders , no races in olympic games

2016-07-20 19:46:34 | 日記
 (1)オリンピックの使命、役割は終わったとは思わないが、変な方向に行っていることだけは間違いない。
 ロシアのいちアスリートからの情報提供から端を発したロシアのドーピング違反問題は、国との関係が取りざたされながら組織、個人の問題として処理されて潔白の選手のリオ五輪への参加が一旦は認められながら、リオ五輪開催までに1か月を切った今になってドーピング違反にロシアスポーツ省が情報隠ぺいにかかわった国家ぐるみの問題として発覚(報道)して、ロシア選手のリオ五輪出場が危ぶまれている。

 (2)こちらもこの問題にかかわるスポーツ仲裁裁判所の判定が21日に出ることから、それを待ってのIOC判断となる。潔白のロシア選手が出れるのか出れないのかは別にしても、リオ五輪開幕直前での裁定となってはとてもまともに競技に入れないのは間違いなく、この時期での裁定では無理がある。

 オリンピックは世界アマチュアスポーツの祭典として出場することに意義がある時代から、プロスポーツ化が進み有能な実力スポーツ選手がプロ化してアマチュア選手との力量、記録の格差が進み、オリンピックにもプロスポーツ選手に門戸を開く現代オリンピックの方針転換を迎えた。

 (3)オリンピックに商業主義が取り込まれて、テレビ放映権視聴率の高くなる、プロ選手が参加しやすい真夏の祭典に衣替えして、オリンピックの姿は一変した。
 記録は大幅に伸びて、さらにその驚異さに世界の興味と関心を強く集めることになる。

 一方、記録の格段の向上に合わせて薬物を使用した科学的、医学的体力増強、競技力向上も目に付いて、IOCなどは禁止薬物の設定、検査強化に追われた。
 スポーツ、オリンピックのプロスポーツ実力化がもたらしたへい害であり、商業主義による記録優先のオリンピックの問題でもあった。

 (4)人類はより速く、高く、遠くの理想実現に向けて夢と希望を持ち続けて、オリンピックに重ねてきた。それはまた国同士のメダル獲得による国威発揚の場として利用されて、メディアでもオリンピック国別メダル獲得表が示されて競争心を煽(あお)っている。

 記録優先はアスリート自身の名誉、人類の夢であるが、国別メダルとなると国家の名誉、メンツがかかわって国によっては冒頭のような国家ぐるみの不名誉な無法行為(unlawfulness)も助長することにつながる。

 (5)オリンピック国別メダル獲得数の集計表の公表は必要ないと書いたが、スポーツに「政治」が関与する悲劇を生んでいる。ドーピング検査の強化は、記録への純粋な価値観醸成に、アスリートの将来にわたる健康管理を考慮したものでもあり、避けて通れない公平、公正観念である。

 もちろんこれはいち選手、いち国家の問題というよりは、オリンピック精神、理念が完全に曲がり角に来て、見直しが必要になってきているという証しでもある。
 記録向上の人類の夢、希望からオリンピックのプロスポーツ化をまた元に戻すことはできないが、スポーツ競技性から国別対抗色は消せないが、表彰セレモニーでの国旗、国歌をなくするなど「政治色」を排除する運営は必要だ。

 (6)現在も五輪開催は「都市」が行うことになっており、国家色を一切排除して多国家共同体による世界的開催体制をつくり上げて、世界五輪を開催運営すべきだ。
 それが国も国境も人種もないオリンピック(we have no nations, no borders, no races in olympic games)の祭典でなければ意味がない。

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