いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

社会性テロ同じテツを踏む。 repeat the same failure as sociability terror

2016-07-27 20:06:21 | 日記
 (1)われわれはなかなか理想というものがあるとすれば、それに近づくことができない。理想というのは求めて、考えてそれに努力、精進するから意味、意義があって、実現することが目的でないようにさえ思える。

 日本の刑法は報復主義(retaliationism)を取らないから、犯罪者も一般社会生活の中で反省し、更生することを期待することが大きな理念のひとつだ。

 (2)もちろん、それはリスク(risk)がともなうので社会の理解、協力と関係者の社会安全義務履行の責任が大きい。日本だけではなく人類共通の問題、課題であり、理念、精神性が先行して(それはそれで人類愛、人権、人格権保障からすれば考えられることであるが)それに社会の仕組み、社会安全義務体制整備が追いついていない欠陥がある。

 自らの不遇を社会の責任に転嫁して、社会を逆恨みして関係のない不特定多数を傷つける犯罪では、不遇な生活環境で育った成長期の社会的責任が問われずに、責任能力がないとして法治国家でも(法治国家だからか)法により処罰されないこともある。

 (3)それはそれで本人の不遇な生活環境が本人の意図、意思によるものでないことも考えられるので、考え合わせればやむを得ない処置ではあるが、法治国家としてその高邁(まい)な法律論、精神論、社会論を実践する制度が有効に機能、活用される国家(警察権)、社会なのかの定義、検証がなされているのかといえば、そうではない。

 長崎ストーカー事件では、被害女性から告発を受けた地元警察がストーカー男性が危害を加える恐れがないと判断して注意で済ませて、その後も執拗に身の安全のために居住を変える女性を追って複数県にまたがり追いかけるストーカー男性の行動を把握しながら、警察の連携、情報共有不足で告発を受けた地元警察から遠く離れた実家で当該女性、母親が恨みで犠牲になるという惨事を招いた。

 (4)警察は個人関係の恋愛感情には立ち入らない、当事者解決に期待する傾向はあり、それはそれで人権、人格権尊重の正義論ではあるが、結果として重罪を引き起こすことにつながることはある。

 警察のやることはたくさんあると思うし、いちいち個人の恋愛感情にまで介入できない思いも強いだろうが、社会正義、国民の安全、安定、安心を守るそれだけの専門職なのだから、社会の仕組み、社会安全義務体制に頼り過ぎている責任転嫁、押しつけのところがある。警察能力、資質が追いつかない現実がある。

 (5)昨日、相模原市の障害者施設に元職員の男性が刃物を持って侵入し入所者19人が犠牲になる異常な凶悪事件が発生した。まるで秋葉原遊歩道殺傷事件を思わせる凶行事件で、社会性テロ(sociability terror)事件だ。

 逮捕された容疑者の男性は今年2月に不穏な言動から、同市から緊急措置入院させられて指定医から「大麻精神病」、「妄想性障害」と診断されて、大麻の陽性反応(報道)も出ていた。

 (6)通常なら禁止薬物の使用で拘束されるところ、指定医は「症状の改善が優先」で「他人に危害を加える恐れがなくなった」(同)として、同市は男性を退院させていた。

 長崎ストーカー事件と同じテツを踏んだ(repeat the same failure as sociability terror)。法で拘束するより社会生活の中で更生することを優先する法理論の考えの中で行われたリスクだが、守るべきこともある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする