いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

誰のための五輪。 whose olympic games

2016-09-30 19:33:18 | 日記
 (1)2020年東京五輪は発端の主要会場の新国立競技場建設の外観、設計、建設費からケチがつき、エンブレム決定でも迷走してやり直し、やり直しの連続だった。
 そもそも国と都と組織委の連携不足が露呈しての当初のコンパクト五輪のイメージが、それぞれの思惑が先行しての無節操なふくらみの一体感を欠いてのものだった。

 いつしか総予算が3兆円という膨大な五輪大会運営までいわれる事態になって、膨大な新国立競技場建設費が批判された「もとのもくあみ」に戻ってしまっていた。

 (2)今夏就任した小池都知事は次々にふくらむばかりの東京五輪運営の無節操な無計画性の予算に対して、誰(都民、国民)のカネを使っていると思っているのかと見直しを示唆して、設置した調査チームによる検証の結果「都と国またはどちらかが開催計画や予算、人員を一元管理する」ことを求め、都や組織委員会を指導、監督し、情報公開することを提言した。

 これまでは元首相が会長として主導する組織委中心の東京五輪運営計画で情報の不透明性が見られて、冒頭のような「出だし」からコンパクト五輪のイメージからほど遠い無節操な大盤振る舞いの計画運営が批判をうけてきたことから、当然の提言のように思う。

 (3)あわせて、競技会場3施設について予算が高額だとして建設中止(既存施設利用)、縮小を求めた。関連組織団体からは「長い時間をかけて議論を重ねて作り上げてきたものを一気に壊すことをしないでほしい」(趣旨報道)とこれに反発発言が出ている。

 いかに長い時間をかけて議論を重ねたものとしても、団体利益の既得権益としてのコンパクト五輪の概念イメージとかけ離れたものであってはこれまでの東京五輪計画運営の無節操ぶり、連携不足をも見れば、必ずしも閉鎖性の高い長い時間の議論の正当性を示すものとはならないだろう。

 (4)小池都知事の言うように、「誰の」カネを使っているのかの指摘は当然だ。ただし、2020年東京五輪計画運営は「誰の『ため』に」(whose olympic games)カネを使うのかの五輪、都市理念も一方にあるのだから、五輪後の利用計画、都市計画との相乗効果(synergy)のあるものであれば相対的に考えられるものでもある。

 そういう観点を含めて見直されるべきものだ。東京五輪計画は一次元的には国内問題であり、変遷によっては国内事情でそれが適当な計画運営なのか、見直されるのはあってもいいことだ。

 (5)IOCへの説明、理解は欠かせないが、2020年東京五輪開催に支障のないものであれば、少々の主催東京、日本の責任の低下は避けられないとしてもそんなイメージよりも都民、国民の理不尽(があるとすれば)な負担への責任の方がコンパクト五輪の理念に立ち返って、「誰の」カネを『誰のため』に使うのかの理念を考えて、相応の2020年東京五輪運営計画を作り上げる必要がある。

(6)2020年東京五輪計画は、冒頭のように「出だし」から都民、国民によくわからない閉鎖性、不透明性の中で進められて、既成事実化の結果責任だけを都民、国民に負わせるような組織委中心の不手際が横行した。

 時間の許す限り見直して透明性、開示性(disclosure)のある計画運営とすべきだ。誰のカネを誰のために使うのかの重大問題なのだ。

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