(1)ビートルズは「twist and shout」、「long tall sally」、「dizzy miss lezzy」を聞いているとエッジの利いたロックバンドだとわかるが、コンサートをやめてスタジオワークに入った後期の「sgt. pepper's lonely hearts club band」では音づくりにこだわって、凝って「ビートルズ」という音楽ジャンル、カテゴリーをつくりだして「get back」、「hey jude」、「let it be」と続く。
(2)チューリップはデビュー当時はフォークなのかロックなのかの論争があったと聞くが、財津和夫さんが僕らの音楽は「チューリップ」だと名言をはいた。
「心の旅」、「青春の影」、「虹とスニーカーの頃」、「サボテンの花」と財津音楽の映像美学に優れた楽曲をつくりあげた。
チューリップは1982年の8月に1000回コンサートを控えて7月1日にアルバム「2222年ピクニック」を発表した。通常、コンサート前にアルバムを出してそのコンセプトでコンサートを開催するという音楽習慣があって、1000回コンサートは東京よみうりランドを1日貸し切っての「ピクニック」コンサートとなった。
(3)アルバム「2222年ピクニック」は1曲目が財津作曲のインストルメンタルの「美しい星」で始まり、最後の曲が楽園のさざ波の「アルバトロス」で静かに消えるというチューリップのアルバム代表作のひとつだ。
ビートルズのsgt. pepper's のアルバムを意識したかのような構成で、やはりチューリップのそれまでの楽曲とは趣を変えた成熟した財津音楽の高い音楽性を示した作品だ。
(4)財津和夫さんの宇宙志向の音楽性を核として表現したアルバムだが、財津さんはアルバムクレジットでは「平和な国の反戦歌」と書いている。
いろんないいこと、わるいことの社会現象を連ねて、それでも戦争はなくならない、続くと書いている。
最後の曲の「アルバトロス」の楽園の静かなさざ波が平和に向かって連なるところが印象的だ。
(5)「2222年ピクニック」のタイトルは1000回コンサートを控えて意識しての数字並びのように思える。1982年の発表だから240年後の世界のピクニックを意識して書いたものでもない。
自動ドアが出てきたり2222年に青空がまだあるならと、むしろ地球が核戦争でそれまでに滅びるかのような危惧の現在性の「平和な国の反戦歌」のメッセージが込められている。
(6)「2222年ピクニック」は1000回コンサートを強く意識してひとつの到達点として書かれたと思うが、その後1984年には箱根芦ノ湖で仏塔のパゴダコンサートを開催して、同年の全国コンサートのタイトルが「out of our time」だった。
1985年に安部俊幸、姫野達也さんがチューリップを去った。
(2)チューリップはデビュー当時はフォークなのかロックなのかの論争があったと聞くが、財津和夫さんが僕らの音楽は「チューリップ」だと名言をはいた。
「心の旅」、「青春の影」、「虹とスニーカーの頃」、「サボテンの花」と財津音楽の映像美学に優れた楽曲をつくりあげた。
チューリップは1982年の8月に1000回コンサートを控えて7月1日にアルバム「2222年ピクニック」を発表した。通常、コンサート前にアルバムを出してそのコンセプトでコンサートを開催するという音楽習慣があって、1000回コンサートは東京よみうりランドを1日貸し切っての「ピクニック」コンサートとなった。
(3)アルバム「2222年ピクニック」は1曲目が財津作曲のインストルメンタルの「美しい星」で始まり、最後の曲が楽園のさざ波の「アルバトロス」で静かに消えるというチューリップのアルバム代表作のひとつだ。
ビートルズのsgt. pepper's のアルバムを意識したかのような構成で、やはりチューリップのそれまでの楽曲とは趣を変えた成熟した財津音楽の高い音楽性を示した作品だ。
(4)財津和夫さんの宇宙志向の音楽性を核として表現したアルバムだが、財津さんはアルバムクレジットでは「平和な国の反戦歌」と書いている。
いろんないいこと、わるいことの社会現象を連ねて、それでも戦争はなくならない、続くと書いている。
最後の曲の「アルバトロス」の楽園の静かなさざ波が平和に向かって連なるところが印象的だ。
(5)「2222年ピクニック」のタイトルは1000回コンサートを控えて意識しての数字並びのように思える。1982年の発表だから240年後の世界のピクニックを意識して書いたものでもない。
自動ドアが出てきたり2222年に青空がまだあるならと、むしろ地球が核戦争でそれまでに滅びるかのような危惧の現在性の「平和な国の反戦歌」のメッセージが込められている。
(6)「2222年ピクニック」は1000回コンサートを強く意識してひとつの到達点として書かれたと思うが、その後1984年には箱根芦ノ湖で仏塔のパゴダコンサートを開催して、同年の全国コンサートのタイトルが「out of our time」だった。
1985年に安部俊幸、姫野達也さんがチューリップを去った。