いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

重い荷。 a severe burden

2018-07-06 20:15:56 | 日記
 (1)本日、元オウム真理教サリン事件死刑囚の死刑が一斉に執行された。同事件被害者、家族からはすでに亡くなった被害者をおもんばかって、生きてこの死刑執行を聞けなかったことを悔やむ、残念な思いが伝えられた。

 事の重大性、ことにまったくつながりもなく、無関係な人たちが突然の地下鉄内での当時オウム真理教信者によるサリンテロ事件に巻き込まれて死亡、被害を受けた被害者からすれば悔やんでも悔やみきれない慟哭のめぐりあわせの一瞬時だったろう。

 (2)この事件は長期逃亡中の容疑者も逮捕されて重要事件関与者の死刑判決も確定したが、事件の核心を握る元オウム真理教代表松本智津夫死刑囚が事件の背景に口をつぐんだまま、事件の全容はわからないまま結審を迎えていた。

 当時オウム真理教が政治に関心を寄せて国政選挙にも立候補して政府転覆を狙った同時多発テロ事件ともいわれたこともあったが、真相は闇の中だ。
 
 (3)サリン使用はシリア内戦でもたびたび聞かれて国連安保理の批難の的になり、米国がシリアへの報復のミサイル攻撃をするなど国際社会でも人類への反逆行為として許されないものとなっていた。

 日本の一新興宗教団体がサリンを使って地下鉄乗客を襲うという国際的にも極めて異常な事件であることがわかるものだ。

 (4)死刑制度というのは近年では日本を含めて世界的にも数少ない国の制度であり、世界のすう勢は死刑制度廃止が主流だ。今回の元オウム真理教サリン事件死刑囚の一斉の死刑執行が世界のすう勢の死刑制度廃止論の中ではどう映ったのか。

 上述のようなサリンを使って不特定多数の勤めに向かう地下鉄乗客、市民を狙った異常な事件であり、死刑制度の是非論とはまた違った概念での事件性が考えられる。

 (5)その後も社会、市民は犯罪、危険と隣り合わせの中で時代、社会思想の変化を背景にして次々と不可解で異常な事件と向かい合ってきた。事件が起きるたびに罰則の強化が叫ばれてきたが、死刑制度そのものも犯罪抑止力につながるのか、つながっているのかは疑問の犯罪構成、思想、動機の矛盾、不条理性(unreasonableness)に見舞われている。

 (6)犯罪者の標的は「誰でもいいから」(報道)などには、通常の論理では理解できない異常性、錯乱であり、家庭、社会での教育の貧困が大いに懸念されるものだ。
 日本の刑法はもとより報復主義をとらないので、必ずしも冒頭被害者、家族のような考えに基づかないが、報復主義をとらない司法制度として死刑制度存続はどう考えたらいいのかむずかしい選択でもある。

 (7)サリン事件被害者、家族のせつない悲しみには申し訳ないところもあるが、死刑執行で一区切りがついたというよりは、確定犯が生きて事件の核心に触れて、伝えて事件全容が解明されてこその重い荷(a severe burden)をおろす、二度と事件をくりかえさない歴史の教訓の一区切りだ。

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