(1)映画「万引き家族」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを受賞した是枝裕和監督が文化庁から2千万円の助成を受けながら、林文科相の祝意を辞退したことに批判、中傷、パッシングが出ている。
是枝監督は「映画が国益や国策と一体化して不幸を招いた過去の反省に立ち、公権力とは距離を保つ」(報道)と考えを示している。
(2)同賞受賞を受けて菅官房長官が「日本のコンテンツの海外展開に弾みがつく」(報道)と国策に結びつけるような発言があったことから、是枝監督の懸念が増したとも受け取れる。
そのような芸術、映画、社会思想論はこれまでもあったが、それぞれに背景に対する両論の意見があり、たしかに文化庁の助成を受けての映画制作であり、その方法をとりながら「公権力とは距離を保つ」という主張もあれこれ理由をつけられてもわかりにくいところがある。
(3)文化庁の助成が自由な映画作品の制作を阻害するものでないことはパラドックス(paradox)として是枝監督が助成を受けたことであきらかであり、国益、国策と結びつける意図があったとは思わない。
「過去の反省」に立つとも「公権力とは距離を保つ」というのは社会派映画監督としては当然の芸術、社会思想論であり、しかし文化庁の助成がヒモつきでないのなら文科相の祝意も形はどうあれ辞退することもなかったのではないのかとも考える。
(4)今回のカンヌ受賞後の是枝監督の個人的な意見、思想に対する中傷、批判、パッシングは、保障された個人の思想、信条の自由に対する威圧的な言論封じ込めであり、一見背景を見れば正当性があるかのようにもみえて、しかしそれはあくまで個人の自由思想の範ちゅうの中にある個人的な内的問題でしかない。
(5)その是枝裕和監督のカンヌ受賞を受けての次回作がフランスのカトリーヌ・ドヌーブさん主演作と決まり(報道)、俳優、スタッフはフランス人中心で脚本も自ら書く話題作だ。
フランス大女優のカトリーヌ・ドヌーブさん主演ということで、今回のカンヌ受賞の影響効果かと思いきや以前から交流があり一緒に作品をつくる約束(報道)をしていたと伝えられている。
(6)是枝監督は「希望の配役が全て実現した」として「刺激的なチャレンジ」(報道)と抱負を語っている。「文化が『国』を超える」という是枝監督の理念を実践するもので、これでカンヌ・パルムドール受賞で立ち入った文化庁の助成と映画が公権力と距離を保つという二極の芸術、映画、社会思想論の渦を解きほぐす話題作への期待も大きい。
(7)個人的な交流があるとはいえ、日本の映画監督が世界的なフランス大女優を主演にした映画作品制作というのはこれまで聞いたことがなく、日本の若い映画監督、特に女性監督の進出も著しい中でその環境をけん引する是枝裕和監督の取り組みは、映画は公権力と距離を保つ理念、思想とともに自立する映画人として心強いものがある。
是枝監督は「映画が国益や国策と一体化して不幸を招いた過去の反省に立ち、公権力とは距離を保つ」(報道)と考えを示している。
(2)同賞受賞を受けて菅官房長官が「日本のコンテンツの海外展開に弾みがつく」(報道)と国策に結びつけるような発言があったことから、是枝監督の懸念が増したとも受け取れる。
そのような芸術、映画、社会思想論はこれまでもあったが、それぞれに背景に対する両論の意見があり、たしかに文化庁の助成を受けての映画制作であり、その方法をとりながら「公権力とは距離を保つ」という主張もあれこれ理由をつけられてもわかりにくいところがある。
(3)文化庁の助成が自由な映画作品の制作を阻害するものでないことはパラドックス(paradox)として是枝監督が助成を受けたことであきらかであり、国益、国策と結びつける意図があったとは思わない。
「過去の反省」に立つとも「公権力とは距離を保つ」というのは社会派映画監督としては当然の芸術、社会思想論であり、しかし文化庁の助成がヒモつきでないのなら文科相の祝意も形はどうあれ辞退することもなかったのではないのかとも考える。
(4)今回のカンヌ受賞後の是枝監督の個人的な意見、思想に対する中傷、批判、パッシングは、保障された個人の思想、信条の自由に対する威圧的な言論封じ込めであり、一見背景を見れば正当性があるかのようにもみえて、しかしそれはあくまで個人の自由思想の範ちゅうの中にある個人的な内的問題でしかない。
(5)その是枝裕和監督のカンヌ受賞を受けての次回作がフランスのカトリーヌ・ドヌーブさん主演作と決まり(報道)、俳優、スタッフはフランス人中心で脚本も自ら書く話題作だ。
フランス大女優のカトリーヌ・ドヌーブさん主演ということで、今回のカンヌ受賞の影響効果かと思いきや以前から交流があり一緒に作品をつくる約束(報道)をしていたと伝えられている。
(6)是枝監督は「希望の配役が全て実現した」として「刺激的なチャレンジ」(報道)と抱負を語っている。「文化が『国』を超える」という是枝監督の理念を実践するもので、これでカンヌ・パルムドール受賞で立ち入った文化庁の助成と映画が公権力と距離を保つという二極の芸術、映画、社会思想論の渦を解きほぐす話題作への期待も大きい。
(7)個人的な交流があるとはいえ、日本の映画監督が世界的なフランス大女優を主演にした映画作品制作というのはこれまで聞いたことがなく、日本の若い映画監督、特に女性監督の進出も著しい中でその環境をけん引する是枝裕和監督の取り組みは、映画は公権力と距離を保つ理念、思想とともに自立する映画人として心強いものがある。