(1)天皇は国民統合の象徴としての存在であり、政治行為には直接(内閣の助言と補佐による行為のみ)かかわらないので文化、学術、芸術、社会行為の自主的活動ということになる。大きな自然災害が発生すると天皇自ら被災地、住民へのお見舞い、いたわりの言葉を述べてねぎらうことはよくある。
(2)東京五輪がまじかに迫ってきて、西村宮内庁長官が記者会見で天皇が東京五輪開催で(コロナ)感染拡大につながらないか懸念されていると「拝察」されると述べた発言が時期と相まって注目、関心を集めた。
東京五輪開催は国内では首相、都知事、組織委会長が発言すればそれは決定力、影響力を持つ発言になるが、天皇は東京五輪の名誉総裁であるが名誉職であり決定力、影響力を持つ立場ではない。
(3)天皇が東京五輪開催で感染拡大につながるとして懸念を示すことは、国民ひとりの発言と同様にそれだけでは影響力のあるものではない。ただし、東京五輪開催は東京都の主催ではあるが国として予算措置などで協力して五輪相もいてIOCを含めて5者協議での決定力も持つ政治的影響力を持つもので、国民の多くがコロナ社会での東京五輪開催に反対する中でそこに天皇が懸念を示したということになれば、天皇の政治的行為、利用とも受け取られる問題はある。
(4)宮内庁長官が「拝察」という遠回しの発言をしても、逆に宮内庁の天皇の政治的利用とも受け取られかねない発言、意思だ。しかし、発言の趣旨がそれによって国内のコロナ感染拡大が心配されるということであれば被災地、住民へのいたわり、ねぎらい同様の発言としてこれまでもありうるものだ。
(5)今回の宮内庁長官の発言は東京五輪開催が感染拡大につながるという天皇の懸念が「推察」されるとして注目されて、政府からは宮内庁長官本人の感想、見解として天皇発言の政治的行き過ぎの打ち消しに努めた。
宮内庁長官があえてこの時期に天皇の問題意識を「推察」として発表した意図はわからないが、東京五輪開催への天皇発言には決定力、影響力がない中でコロナ社会で苦しむ国民の声を反映しようとしたものなのか、前段の主語の「東京五輪開催が」後段の「感染拡大につながらないか」の懸念に密接につながる、かかわるものだけに天皇の「推察」の意図が政治的意味合いを強くする。
(6)ものもいいようで、コロナ感染拡大がまた起こらないように進められている東京五輪開催に万全の準備、体制であたることを望むなら、天皇のいたわり、ねぎらいになったのではないか。主語の順序が逆になったところに宮内庁の意図があるのか、天皇の立場がはみ出したととらえられる。
(2)東京五輪がまじかに迫ってきて、西村宮内庁長官が記者会見で天皇が東京五輪開催で(コロナ)感染拡大につながらないか懸念されていると「拝察」されると述べた発言が時期と相まって注目、関心を集めた。
東京五輪開催は国内では首相、都知事、組織委会長が発言すればそれは決定力、影響力を持つ発言になるが、天皇は東京五輪の名誉総裁であるが名誉職であり決定力、影響力を持つ立場ではない。
(3)天皇が東京五輪開催で感染拡大につながるとして懸念を示すことは、国民ひとりの発言と同様にそれだけでは影響力のあるものではない。ただし、東京五輪開催は東京都の主催ではあるが国として予算措置などで協力して五輪相もいてIOCを含めて5者協議での決定力も持つ政治的影響力を持つもので、国民の多くがコロナ社会での東京五輪開催に反対する中でそこに天皇が懸念を示したということになれば、天皇の政治的行為、利用とも受け取られる問題はある。
(4)宮内庁長官が「拝察」という遠回しの発言をしても、逆に宮内庁の天皇の政治的利用とも受け取られかねない発言、意思だ。しかし、発言の趣旨がそれによって国内のコロナ感染拡大が心配されるということであれば被災地、住民へのいたわり、ねぎらい同様の発言としてこれまでもありうるものだ。
(5)今回の宮内庁長官の発言は東京五輪開催が感染拡大につながるという天皇の懸念が「推察」されるとして注目されて、政府からは宮内庁長官本人の感想、見解として天皇発言の政治的行き過ぎの打ち消しに努めた。
宮内庁長官があえてこの時期に天皇の問題意識を「推察」として発表した意図はわからないが、東京五輪開催への天皇発言には決定力、影響力がない中でコロナ社会で苦しむ国民の声を反映しようとしたものなのか、前段の主語の「東京五輪開催が」後段の「感染拡大につながらないか」の懸念に密接につながる、かかわるものだけに天皇の「推察」の意図が政治的意味合いを強くする。
(6)ものもいいようで、コロナ感染拡大がまた起こらないように進められている東京五輪開催に万全の準備、体制であたることを望むなら、天皇のいたわり、ねぎらいになったのではないか。主語の順序が逆になったところに宮内庁の意図があるのか、天皇の立場がはみ出したととらえられる。