(1)G7メンバー国で国連安保理常任理事国でないのは日本とドイツとイタリアだ。第一次、二次世界大戦で三国同盟として欧米連合国と戦い、日本は旧日本軍によるアジア植民地占領支配でアジア人民に多大な損害被害を与え、ドイツはヒットラー独裁政権がユダヤ人民大量虐殺、迫害で戦争責任を問われた。
(2)過去にそのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をテーマにしたコントで「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろう」(SNS動画)とお笑いのネタにした芸人の東京五輪演出担当の小林賢太郎さんが、米国のユダヤ系人権団体などの非難を受けて開会式直前に辞任した。
過去の障害者いじめ告白で辞任した五輪音楽担当の小山田圭吾さんも含めて「文化の貧困」と書いたが、そのものの不適切人材の引責辞任だ。
(3)世界は資本主義、自由民主主義国となったG7主要国の日本、ドイツ、イタリアに対してはかっての専制軍事国家としての復活に警戒感があり、ユダヤ人迫害漂流の歴史は中東ではイスラエルとパレスチナの終わりのない対立、戦闘激化となって続いている。
過去の発言をどうとらえるかの問題はあるが、まずは本人が自覚、認識して自ら判断すべき問題であり、そういう過去の自分の言動に自覚、認識がなかったとすれば菅首相が言う「言語道断」ということになる。
(4)しかし政治では西村コロナ担当相が金融機関を使って緊急事態宣言下で要請に応じない飲食業へ融資圧力をかける発言が問題となった。同じ内閣の麻生財務相はコロナ社会で事業者に融資を進めようと言っている時にそれに反する閣僚発言はおかしいと話している。
西村発言は前近代的、戦前の強い危険な保守思想を連想させる圧力発言で即辞任ものだが、政治発言は撤回、おわびですまし、五輪関係者は即辞任というのもおかしな文化論だ。
(5)五輪辞任ドミノ現象の理論原点ともいうべき当時組織委森会長の女性べっ視発言が個人観というより東京五輪の理念、信条にかかわる組織観を代表する森会長の発言であったことが、数々の人権、精神論にかかわる不適切発言、人材の寄せ集め集団であった不幸だ。
そういう個人、人材が集められたことも問題だが、五輪の理念、理論、運営、精神に問題、ゆがみが出ていることも問題を大きくしている。
(6)五輪は世界最大のビッグイベントとして商業主義、営利主義が全面に出て、大きなカネが動き、投資、収益ビジネスの対象になっている。コロナ感染拡大の中でも組織委は有観客にこだわりチケット収益に期待、未練をみせた。
あきらかに世界最大のスポーツ、文化の祭典、人間の体力、技術、能力の究極の(ultimate)成長向上、限界を目指す、示す純粋論とは異質の五輪だ。
(2)過去にそのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)をテーマにしたコントで「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろう」(SNS動画)とお笑いのネタにした芸人の東京五輪演出担当の小林賢太郎さんが、米国のユダヤ系人権団体などの非難を受けて開会式直前に辞任した。
過去の障害者いじめ告白で辞任した五輪音楽担当の小山田圭吾さんも含めて「文化の貧困」と書いたが、そのものの不適切人材の引責辞任だ。
(3)世界は資本主義、自由民主主義国となったG7主要国の日本、ドイツ、イタリアに対してはかっての専制軍事国家としての復活に警戒感があり、ユダヤ人迫害漂流の歴史は中東ではイスラエルとパレスチナの終わりのない対立、戦闘激化となって続いている。
過去の発言をどうとらえるかの問題はあるが、まずは本人が自覚、認識して自ら判断すべき問題であり、そういう過去の自分の言動に自覚、認識がなかったとすれば菅首相が言う「言語道断」ということになる。
(4)しかし政治では西村コロナ担当相が金融機関を使って緊急事態宣言下で要請に応じない飲食業へ融資圧力をかける発言が問題となった。同じ内閣の麻生財務相はコロナ社会で事業者に融資を進めようと言っている時にそれに反する閣僚発言はおかしいと話している。
西村発言は前近代的、戦前の強い危険な保守思想を連想させる圧力発言で即辞任ものだが、政治発言は撤回、おわびですまし、五輪関係者は即辞任というのもおかしな文化論だ。
(5)五輪辞任ドミノ現象の理論原点ともいうべき当時組織委森会長の女性べっ視発言が個人観というより東京五輪の理念、信条にかかわる組織観を代表する森会長の発言であったことが、数々の人権、精神論にかかわる不適切発言、人材の寄せ集め集団であった不幸だ。
そういう個人、人材が集められたことも問題だが、五輪の理念、理論、運営、精神に問題、ゆがみが出ていることも問題を大きくしている。
(6)五輪は世界最大のビッグイベントとして商業主義、営利主義が全面に出て、大きなカネが動き、投資、収益ビジネスの対象になっている。コロナ感染拡大の中でも組織委は有観客にこだわりチケット収益に期待、未練をみせた。
あきらかに世界最大のスポーツ、文化の祭典、人間の体力、技術、能力の究極の(ultimate)成長向上、限界を目指す、示す純粋論とは異質の五輪だ。