(1)岸田首相の誕生は、一昨年夏に当時の菅首相が安倍元首相、二階幹事長との良好な関係から9月に実施される党総裁選に立候補すれば最有力と目されていたが、内閣支持率の低迷で党内派閥の支持を失い急きょ立候補を取りやめて岸田議員がいち早く立候補の意向を表明して、その流れに乗って権力を伺う第2,3派閥の支持を受けて自民党総裁、首相に就任した。
(2)安倍元首相の官邸主導による疑惑に染まった官僚支配政治、大企業、富裕層優遇政治から岸田首相の登場で何かが変わる期待はあったが就任早々に打ち出した新しい民主主義、中間層を厚くする成長と分配の好循環はバイデン大統領も主張して社会分断解消を目指す世界的な流れであったが、理論先行で具体的な実現の方法論は見えないものだった。
(3)国会答弁では野党から何を聞かれても検討、検討のくり返しで何かが変わる期待の国民からは岸田内閣支持率は比較安定した数値を示して、当時党内からは岸田内閣は何もしないから支持率が高いとヤユされたこともあった。
岸田首相の派閥は弱小で次第に党内最大派閥の安倍派会長の安倍元首相に配慮した政治姿勢が目立ち、経済政策も主張する分配論から安倍元首相が唱える成長論に向かい始めておかしくなっていく。
(4)決定的な変化が見えたのは何かと岸田首相の後ろ盾として党内の重しとなっていた安倍元首相が選挙応援演説中に銃撃され亡くなり、岸田首相の独断専行で安倍元首相の葬儀を国葬と決めこれが国民の反感を買い、敵基地攻撃能力(のちに反撃能力と改め)の保有、防衛費5年間で43兆円増額を立て続けに国会の同意を得ることなく防衛力強化を決定するという民主政治に反する政治手法が鮮明になっていく。
(5)岸田内閣では党内派閥依存性を高めて派閥推薦の選任した大臣が4人も立て続けに不祥事で更迭することになり大臣資質責任を問われ、岸田内閣支持率は一時20%台の危険水域まで低落することになる。
(6)今年5月のG7広島サミットでは米英仏の核保有国を含むG7首脳とともに原爆資料館訪問、慰霊碑に献花をして一定の評価を受けて岸田内閣支持率は上昇をみせているが、国内政治では防衛費増額、少子化対策倍増の財源を示さずに先延ばしして当初からの中身のないアドバルーン政治が目につく。
(7)突然にNATO事務所を東京に開設する発表があって関連性がわからずに、仏も中国との緊張を生むだけとして反対を表明している。G7広島サミットでG7首脳がそろって原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花して世界に核軍縮、平和実現への結束の表明をしたのは何だったのかと疑われる、直後のNATO東京事務所の開設のおかしさだ。