(1)生成AIの活用について欧米では規制強化に動いている中で日本は活用に前のめりといわれ、メディアが地方自治体の首長アンケートで生成AIを業務で活用することに67%が賛成と答え、50%の自治体がすでに導入したり検討しているとして40%は導入可否を検討中といわれる。
(2)導入派は「サービスの向上につなげるために『どう使うか』を考える必要がある」とし、慎重派は「情報流出やプライバシー侵害などの課題も想定される」(報道)としている。当初、河野デジタル相は生成AIの活用を国会審議での答弁集作成に使うのがいいと述べているが、導入している自治体では情報収集やアイディア出しの補助が多い結果だった。
(3)専門家の分析では使えるものを何でも使おうという自治体と受け身な自治体との間で、行政サービスに差が生まれるとの指摘やインターネットと同じで一度使い始めたら使わない環境には戻れないとのITベンチャー経営者の意見(報道)もある。
(4)生成AIの行政自治体での活用効果について結果が出るのはこれからで行政サービス、事務機能活用論ばかりが目につくが、国民、市民の関心は議員数が適当なのか、報酬は適切なのか、財政規模、運営、税による国民、市民投資の適格性についてこそ生成AIに意見を聞いて行政、政治に反映してほしいところだ。
(5)上述のように一度使い始めたら使わないわけにはいかないのはわかるが、国民、市民が税負担による投資をするのは行政側がこれに対して生成AIに何をしたらいいのか聞くためのものであるとすれば、財政に対する人件費、給与、報酬の負担率が一番大きいことを考えるならばおかしな話になってそれこそ人間の仕事が生成AIに取って代わられることになり、行政の仕組み、組織の在り方の問題にもなり国民、市民は生成AIに投資をするのか、行政組織、人に投資をするのかわからないことになり、税の使い方、使い道についても生成AIに聞いてみなければならなくなる。
(6)おかしな世界観になってきた感はあるが、一時期(今もかも)経済第一主義、利益偏重主義の中で効率性、果実重視が優先されて息のつけない社会思想がもてはやされたが、成功、成果のためには失敗もムダも必要で、失敗、ムダから学ぶ経験学習も大切だと見直し論も主張されたことがある。
(7)例にあてはまるかは別だが、東大学長も入学式で学生の生成AIを使ったレポート作成を禁止して経験学習が立派な文章を書くためには必要だと説いており、一方でそういう大学機関も生成AIの活用について試行錯誤、活用論もみられる。
(8)時代、社会の革命論は視点をどこに置くのかが重要で、上述で効率性社会について「今も」と書いたがタイム・パフォーマンス、コスト・パフォーマンスが流行語となり、目にも脳機能にもよくないとみられるタイパ早送り社会が無意味で無味乾燥という指摘もみられる。