いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

政権の危うさ。事業仕分けは5年スパン。 risky politics

2009-11-19 20:16:01 | 日記
 まだお手並み拝見100日間の猶予期間に1か月はあるからと思うけど、民主党
政権のコミュニケーション・メソッド(method:秩序方法)には、未熟さ、幼さがあらわ
になってきた。

 連立政権のコンバイン(combine:結束協力)の危うさからスタートした(1)国民新
党代表の政府内での独善的な主張にはじまり、(2)民主党一議員からの横やり修正
、(3)国家戦略局の放置、ここにきて(4)普天間基地の移設と、直接調整にかかわり
のある立場の政権、政府のヘッド・コントロールが、まったく効いていない。
 競って話題づくりに走るインバランス(imbalance)の未熟さばかりが露呈。

 政治主導の行政運営があたらしい価値基準(standard)を打ち立てて、政治基盤
は国民から支持されているため、大きなうねりとまではなっていないが、何やら根
幹的に解決できる見通しがたたない、本質的な未熟さが気になる。

 政権交代によるテーゼの政治主導を意識するあまりの、肩に力が入りすぎている
スタンスだ。
 政権交代による情報公開で国民にプロセスもよく見える、わかる政権運営の趣旨
は基本だが、責任あるポジションから、誰も彼もが好き勝手放題、個人的な見解と
してまでも含めて、政権の理念構成のための中枢ベクトルを度外視しての求心力を
持たない放漫な発言、提案がなされてきた。

 また、それをプロセスの中での自由な闊達(心が広くて、こだわらず、のびのび
と)な論争だと捉える、無責任なヘッド・コントロールが現状だ。自由な論議は結
構だが、公開には一定のレベルが必要だ。

 束ねる首相の人の良さはうかがえる。人間として好感も持てる。いかにも、心が
広く、こだわらず、のびのびとしている。これが、また、現在の政権全体のイメー
ジでもある。

 国民から見える政権運営の現状は、見識のある人が意図的に混乱に拍車をかけ
るものとは見えず、一層この恣意的な、総じて幼い、無責任なスタンスが政権のま
とまりのなさを強調して見せる。

 政権交代のオリエンテーションの中での、まとまりがつかないだけに終わりそう
もない危うさ(risk)がある。
 お手並み拝見の100日間まで1か月はあるとはいえ、国民として放置できるヘ
ッド・コントロールの様(standard)ではない。顔の見えないあくどい政治力学よ
りはいいけど、ではすまない危うさだ。

 行政刷新会議の事業仕分け。スタンス、方向性はいいとして、今年度限りで、あ
とは行政刷新会議の恒常的な業務管理の中で対応するのか、終了との発言もある。

 事業仕分けの実施後の「成果」、問題点を「年次的」に「検証」して、事業内容
の精度(precise grade)を高めて、財政再建も含めた効果的な国政運営につなげ
ることが求められる。

 事業仕分けは、5年スパンで追跡、検証することは必要だ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会人野球の進化。  evolutionism

2009-11-18 19:25:46 | 日記
 社会人野球(non-professinal baseball)日本選手権が行われていて、37才同
年令同士の息詰まる投手戦が展開された。勝利したチームの37才の投手がノー
ヒット・ノーラン(ひとりもヒットを打たれて出塁させない試合)の記録を達成して、
「1-対-0」で勝利した。

 相手の37才の投手も、毎回の11奪三振の力投で、年令を感じさせないパワフ
ルなナイスゲームだった。スポーツで37才といえば、かってはすでにフィジカル
(physical strength)、メンタル(mentality)で峠を越えた戦力外というのが通例だ
った。

 近年、スポーツでは科学的トレーニング(scientific training)方法が確立し
て、機能ごとの分析、データ、強化をはかる相乗効果トレーニングにより、体力的
、精神的、生理学的にコンディションをつくり上げ、選手のピーク(peak)年令も
各段に上がってきている。着実に進化(evolution)している。

 最近の社会人野球では、30代、特に30代後半の年令で中心選手となる活躍が
目につく。30代後半でのパワーあふれる活躍というのは、しかしその実績でプロ
野球を目指す年令ではない。社会人野球の「魅力」にスポーツ人生をかけた生き方
の証明でもある。

 社会人野球では、仕事、社会貢献、スポーツの一体感に魅かれて、生涯、社会人
野球で通すスタイル、スタンスもある。その実力から、プロ野球からの再三の誘い
を断り、社会人野球一筋の名プレーヤー(ミスター社会人)もいる。
 引退後も仕事面で会社の重責を担う人もいる。

 社会人野球となると、仕事との両立も多く、野球のために同僚に仕事の負担をか
けることもあり、その協力、応援に応えるための野球にかけるモチベーションの高
さも大きい。
 スポーツの持つ、個人とチームのコア・バランス(core balance)の中での作用
、機能がつくる、「極限」での多様で多角的な人間力(判断力・決断力・実行力・
共生力)の高さを証明する。

 会社からみれば、これらの持つスポーツのイメージ力、ブランド宣伝効果の高さ
、会社(社員)の一体感をつくりあげる相乗効果と全社あげてのバックアップ体制
のつくるムーブメントも大きい。
 このムーブメントパワーが、社会人野球選手の持続的な高いモチベーションとし
て、高年令での活躍の大きな原動力(motive power)となっているのは間違いない


 社会人野球が実証する、人間の進化力(evolution)、モチベーションの持続力、
ムーブメントとしての一体力のすばらしさに、人間の限界をブレークスルーする生
き方を見る。

 経済不況が長引き、社会人野球からの撤退の企業もある中、しかし、社会人の
「底力」は、捨てたもんじゃない。
 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この小さな掌ー財津と姫野ー  Tulip

2009-11-17 19:44:33 | 日記
 チューリップ(Tulip)の歴史の一ページ。
 1960年代後半の日本の音楽シーンは、グループサウンズの流れもおさまって、
フォークが台頭し始めていた。その大きな源流のひとつの福岡では、アマチュアミ
ュージシャンのムーブメント(movement)も盛んで、その中で、福岡に財津和夫あ
り、と言われたチューリップはすでに多くの支持を受けていた。
 財津和夫は、日本でビートルズのような音楽、バンドをやりたいと、当時、福岡
で活動中の洋楽系のアマチュアバンド・リーダーから、これぞというメンバーを引
き抜いて、5人のチューリップを結成した。
 福岡では、バンド潰しの財津、として名を馳(は)せた。

 財津和夫(V G Pf)、吉田彰(B 1980年脱退。ベースは宮城が加入)、安
部俊幸(G)、上田雅利(Dr)、姫野達也(V G Pf)。
 結成当時、未成年で一番若い姫野の実家は、父親が固い仕事で、プロミュージ
シャンとして上京するのにあたり、リーダーの財津は、直接、姫野の父親に談判し
て上京を決めたとの話も残っている。
 財津和夫は、ビートルズのようなツイン・ボーカル(twin vocal)の音楽、バン
ドを目指していたので、チューリップでは姫野をボーカリストとして育てたいとい
う気持があったのではないか。

 当時、活動の中心としていた福岡のライヴハウス照和で自主制作録音した財津
作品のオリジナル「魔法の黄色い靴」のデモテープを1971年末に財津ひとり上京
して東芝レコードに持ち込み、当時のディレクター新田和長に認められて、1972年
1月にチューリップとして上京し、音楽シーンにデヴューする。
 財津和夫さんの音楽を人生に賭けた、自らの時代と音楽をひらくフロンティア(frontier)
な生き方が印象的だった。

 1973年、第3作目の財津の福岡から上京する時の思いをモチーブ(motive)に
作品にした「心の旅」が、1年をかけて全国ヒットとなり、チューリップはニュー
ミュージック・シーンをけん引するバンドとなった。
 「心の旅」。ずっとチューリップのリードボーカルを担当していた財津に変わって、
スタッフの助言(当時シンコーミュージックの草野昌一という説がある)で一番若
い姫野がリードボーカルを担当し、一躍有名(アイドル)バンドとなる。
 はからずも、財津が目指していたツイン・ボーカルの誕生であった。

 財津には1974年に、財津自身の歌いたい楽曲をということで、周囲の反対も
あった中でピアノバラードの「青春の影」を発表して、現在、この楽曲はミュージ
シャンの間でも支持が多く、ステージのセットリストに欠かせない名曲となっている。
 
 姫野達也は、キーボード、ギターとインストルメンタル・スキル(instrumental
skill)で、財津サウンド、チューリップを支えて、多才な働きをしている。その
スキルは、チューリップ解散(実際は、1985年8月に脱退)後に親友の浜田省吾
のコンサートバンドメンバーとして、ライヴを支えたこともある。
 チューリップとしてはサービス精神も旺盛で、1997年からの再結成したライ
ヴ・アクト・チューリップコンサートでは、すっかり肥満体質となった身体で縦横
無尽に軽やかな動きでステージを走り回るパフォーマンスも見せた(自身の誕生日
のこのコンサートでは、客席に降りてきて半周したこともある)。
 チューリップとしては(?)、育ちのよさもあり、普段はおだやかな話しぶり、
振る舞い、ひとのよさがうかがえる。

 1984年に、姫野のお嬢さん誕生に財津が詞を書いて、姫野が曲をつけた「こ
の小さな掌」をアルバム「I dream」に収録発表した。
 こどもへのこまやかな愛情表現、父娘の絆を際立たせたメルヘン調の美しい詞曲
(lyric melody)のバラードで、再結成のチューリップコンサートでも披露してい
る。
 
 この楽曲には、財津としては、当時、まだこどもの姫野を親を説得してまで成功
のあてのない東京に誘い、10年ほどたってチューリップとして社会的評価も受け
て、責任を果たした安ど感と親のかわりとしての子を思う気持があったのではない
か。1997年のチューリップの再結成は、その後1985年にチューリップを去
った姫野が財津に相談をもちかけて始まったと聞いている。

 その誕生を財津と父親の姫野に祝福されて、チューリップの歴史とともに歩んだ
お嬢さん、近々、結婚されることになった。チューリップの歴史の一ページ。

 
 



 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺伝子組み換え作物。  genetically modified crops

2009-11-16 19:45:17 | 日記
 国家主権・主義(ideologie)が国を区分けして、これほど不効率で共生・共有の効か
ない分野、食料(自給)問題。
 人口、生産能力、立地条件の世界比例で、潤沢な地域では飽食で廃棄、再利用に
苦心しているかと思えば、幼児にまで食料不足が及び危機状況のところもある。

 国際協力、援助の手も、受入れ国の国内事情で本当に必要としているところまで
行き届かず、善意が放置されたままという報道も聞く。世界がユニバーサル(universal)
に「ひとつ」であれば、効果的に共有できることもある。食料問題では、世界が「ひとつ」
になれる。

 世界的な食料不足の懸念に対して、遺伝子組み換え作物〔genetically modified crops
(organism)〕が登場して13年になる。
 農産物(crops)生産の出来、不出来の差がなく、害虫にも強い(逆に、生物への
害毒性が強いという)ことから、生産性(収穫率)が高く、安定したコスト(安値)維持
の利点がある。

 国内では、科学的処理の遺伝子組み換えシステムの「安全性」を認定しておらず
、同システムによる生産は行われずに、国外生産の加工品としてのみ取り扱う現状
。政府は、ジャガイモ、大豆、トウモロコシ他7種類の食物の安全性を確認したと
いうことで、同種の加工品の国内流通を認可している。

 健康影響の判定は、10年や20年のスパンでの事例、検証では判断できるもの
ではなく、人体影響は、例を見るまでもなく、子孫にまで及ぶため、慎重な対応が
求められる。

 遺伝子組み換えシステムの安全性を確認、認定していないのに、国外生産物を使
った加工品を個別判定で国内流通を認めているのは、食料不足事情の国際協調に
偏りすぎて、整合性を欠く。

 国外に追随して、国内検証も十分ではなく、のちに大きな被害となった事例は、
薬品や建築資材でも経験している。
 一部国内流通を認めている現在、少なくともきめの細かい「表示」、「情報公開」、
「留意内容」の徹底をはかるべきだ。

 消費者の購入時の受益者負担能力という、個別の判断にまかせるのではなく、
国として確証のある食品の安全性、供給に明確なスタンスを示すことが求められる。
 
 日本は、かっては「米」の生産超過で「古古米」処理で苦労した。価格調整とい
うこともあり、今は減反方針により農地も休耕地が目につき、農業保護政策により
国際的な競争力もなかなかつかない。

 農産物の安全性、品質性、技術力と日本はこの分野では本来高い能力と労働力
を有して、国際競争の潜在力も高いはずだ。
 宇宙開発の技術、宇宙食の開発による多様な凝縮(保存)食、栄養を補足するサ
プリメント(supplement)と食料は時代を反映して変化もするが、生命体(living entity)
の基本は、自然環境の恵みとしての、安全で生鮮で美味しい食感のある、土と水と
太陽が生育する農産物(crops)であり、そのための環境保護の連鎖(connection)
につながっていく。 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護の日。  care managed

2009-11-15 19:56:05 | 日記
 11月11日は「介護の日」、でした。日本はすでに高年令化社会をむかえて、
介護(care managed)も、どこにでもある社会現象(social phemomenon)となっ
ていて、特にこの日を意識した人も多くはなかったのではないか。

 街では、「ケアセンター」や「ディサービス」のブランド(brand)の入った車を毎日
見かけない日はない。
 2015年には、65才以上の人口が40%を占める高年令化社会をむかえた日
本では、普通(ordinaly)の社会現象として、どの家庭でも直面する、避けて通れ
ないテーマでもあり、また、あたらしい雇用の創出を生む新規事業でもある。

 介護の従事者は、厳しい労働環境の中で、それに見合ったサラリー(salary)も
保証されずに、定着率は高くない。この労働環境の改善は、高年令化社会をむ
かえて急務だ。

 自由にならない「身体」と「こころ」のケア(care managed)に従事する人にと
っては、それに的確に対応できる、専門的な対応知識、能力が必要とされる。
 介護水準(standard)を維持するために、資格基準を設けて、均等で均質な介護
スキル(身体的、心理的)のサービスをはかる。

 しかし、こころのケアという心証的な分野ともなれば、ネイティヴ(native)な
パーソナリティ(personality:人格)も重要な要素(element)となる。
 
 介護現場での雇用不足を補うため、東南アジア各国からの介護従事希望者を
受け入れて、教育、資格取得に配慮している。
 介護水準の維持もあり、また、収益目的偏向の助長を排除するため、期間を設
けて介護資格の取得を条件としている。
 4年間で所定の介護資格を取得できなければ帰国となる。

 そもそも、日常会話の習得も、他言語より難解といわれる日本語で、外国人に
とっては専門的な分野での研修、修得には相当のハンディ(handicap)がある。
 介護スキルの水準もさることながら、自由にならない身体、こころのケアには、
接する気持ち、思いやり、意欲こそが大きな資質であり、ファクター(factor:原
動力)となる。

 介護現場では、専門的なスキルの修得とは別に、外国人従事希望者の介護
にかける意欲、資質、能力を、資格とは別の判断(判定基準)方法で「精査」し
て、モチベーション(motivation)を最大限いかすべきだ。

 自由にならない身体とこころのケアには、言葉では通じなくても、スキンシップ
(skinship)、ボディランゲージ(body language)、センシティヴ(sensitive)
な気持ち、思いやり、意欲が伝える効果は、大きい。

 アジアの文化が共通して持つ、やさしさ、思いやりのこころをいかして、介護に
賭ける東南アジア各国人のモチベーションに適切に応える介護制度に改革すべ
きだ。


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする