いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

さかい。 tulip raise a rumpus concert 2013

2013-05-26 20:01:53 | 日記
 潮風の香りが街の中を通りすぎる堺東に来ています。堺市民会館でのチューリップ40年コンサートです。午後4時すぎにホールに入りますと、すでに立見のオーディエンスが1階最後列うしろを取り囲んでいました。ホール入口まで石段の長い階段が続くかなり歴史を刻んだホールです。

 午後4時30分に間を置かずにチューリップの5人がステージに登場してコンサートはオープニングです。ステージ向かって左からオフホワイトの無地シャーツの「昔、シュンと呼ばれていた男(財津さんのメンバー紹介、以下同じ)」安部俊幸(G)、深紅の無地シャーツの「昔、タッチーと呼ばれていた男」姫野達也(G V Pf)、赤地に霜降りのシャーツの「昔、ガーリーと呼ばれていた男」上田雅利(Ds)、グレーの両胸にふたポケットのついたシャーツの「昔、ジミーと呼ばれたかった男」財津和夫(V G Pf Harmonica)、ベージュシャーツの「昔、宮城くんと呼ばれた・・・男」宮城伸一郎(B)です。

 今日はオープニング前のホリゾンタル(horizontal)スクリーンに「tulip」のロゴマークがなぜかありません。ホールの音響効果はかなりシンプルに構成されて、聞き取りやすくなっています。

 「セプテンバー」の後、財津さんはそのまま宮城さんのスタンドマイクの前に立ち(宮城さんは財津さんのスタンドマイクに移動)姫野さんの「ここはどこ」の歌に合わせて派手なアクションを交えてマイクを握りながらしばらく歌う「ふり」をして見せました。チューリップの4人がステージ横一線に並んで絵になりました。随分とコンサートを楽しんでいるようです。

 ホールの音響効果がシンプルでよかったこともあり、財津ボーカル、チューリップサウンドの迫力がホールによく伝わってさらに増した効果がありました。「新しい地球を作れ」もメリハリのいいパワーサウンドに仕立てました。安部さんのギターギグもところどころでちょっと変化、あたらしいアドリブで聞かせます。

 40年コンサートをチューリップの5人だけで演奏し、歌い、コーラス、ハーモニーをつける高い音楽スキル、実力に裏打ちされたサウンドを自由自在に楽しんでいるのがよく伝わってきます。

 財津和夫。「今日は、満月ってみなさん知っていましたか。満月というと荒々しい狼男を思い出しますが、チューリップが歌っている歌はだいたいが草食男子はじまりみたいな歌で、優(やさ)男といえば聞こえはいいですがなんか弱々しい男ばかりです。
 狼男なんてとんでもない、うさぎ男子です。」

 15分の休憩のあとのオープニングの「the halo」、「ブルースカイ」と財津さんの厚い強いボーカルがホールを圧倒して、「青春の影」も説得力のあるすばらしい楽曲になりました。

 アンコールでは「銀の指輪」の間奏で姫野さんがいつもと違ってまずはステージ向かって左側へギターを抱えて走り出して、いつもとは逆回転のステージ走りとなりました。いったんステージを降りた財津さんがアンコールの歓声に、ひとりステージそでの幕間からちょっと顔を出してちゃめっけたっぷりにホールをのぞき見しています。

 アンコール2曲目は、ここしばらく演奏していた「あの娘は魔法使い」ではなく、当初の「私のアイドル」に戻って、そのあとの財津さんのリッケンバッカーの光るギターにはこの曲のイメージがよく合っています。「ギターを抱えた姿がとても素敵だった」。

 今が一番いいチューリップサウンドとしては、多分人気絶頂期の若いチューリップのホールの雰囲気はこんなのだったのではないのかと思わせるような、今日のステージとホールの音の圧倒的な一体感です。
 多分、チューリップの5人も十分当時を「ほうふつ」とさせる若いステージバージョンを楽しんでいたことでしょう。

 「魔法の黄色い靴」では、財津さんがホールに向かって「今日、誕生日の人は」と語りかけて「今回のツアーで初めての試みです」と言って、「誕生日の人にみんなでこの歌を贈ります」と途中姫野さんにボーカルをとらせて歌い切りました。

 チューリップにとって40年コンサートは、思い出を沢山つくる、巡礼の旅、心の旅であったことは、ステージのチューリップの5人を見ていると間違いないことでしょう。

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研究成果結果主義の偏向。 diversionism of study resultant

2013-05-24 19:37:28 | 日記
 (1)最近の学術研究論文の不正急増といえる問題は深刻だ。同一人物による何十本ともいう研究論文の不正が明らかになったり、ありもしない研究成果を世界初として堂々と発表したり、臨床実験に利害関係のある製薬会社が関与していたことを伏せていたりと、よくもまあ先端的科学研究分野での不祥事の頻発だ。

 15日にヒトクローン胚性幹細胞(ES細胞)を世界で初めて作製したと発表した米オレゴン健康科学大の日本人研究員の論文は注目を集めたが、その後さっそく論文内に「同じ電子顕微鏡写真」が何の説明もなく2か所に使われている指摘があり、研究成果には直接問題のあるものではないが論文の修訂正が必要になるとの報道があった。論文検証、点検不備ともいえる。

 (2)ほとんどの研究者は、山中伸弥さんのようにたとえば難病に苦しむ患者の回復に先端的、画期的研究発見、開発により最大限貢献したいという真摯で研究意欲の旺盛な信頼される研究者であるのが一般常識であったが、最近ではちょっと変化も見られるようになった。

 論文不正に限らずに、研究者の国庫補助、研究補助金などの不正流用使用などもよく目にするようになった。

 (3)日本の先端的科学研究分野は、ここ10数年では米国に次いでノーベル賞の授賞者を多く輩出して、高い研究能力が実証されている。昨年には山中伸弥さんが世界で初めてiPS細胞作製により50才の若さで研究成果発表から6年という短期間にノーベル賞生理医学賞を授賞した。

 近年のノーベル賞選考方針の研究成果(study resultant)の長い実証確認(認証)期間を経てからの授賞という傾向からは異例の早さという驚きもあった。
 それだけ時代の先端的、画期的な研究成果であったということだが、冒頭例の論文不正問題は地道な研究追究努力以上に「成果結果主義(diversionism of study resultant)」を興味本位にさらに煽(あおる)る時代社会風潮の助長ともいえる。

 (4)象徴的であったのが山中伸弥さんがiPS細胞作製でノーベル賞授賞後、間を置かずに米国在住の(正体不明の)日本人研究者の世界初のiPS細胞臨床実験成功ニュースだった。

 山中伸弥さんも事例によっては早くて3年後にはiPS細胞臨床実験も可能なものもあると発言していた中での唐突な同上のメディアの発表であった。
 メディアのまた先を争う目先の「成果結果主義」の中で、当然の確認、検証作業を怠った結果の自業自得の情報信頼失墜であった。

 (5)かっては高度で専門性の高い研究分野の成果発表には、それだけでやるべき手順は踏んでいる高い信頼性、信用性を備えていたものだが、情報化社会、グローバル化社会の中で一刻を争う成果結果主義の中であるべき研究成果結果の検証、確認作業が損なわれて、成果結果だけが偏向して重んじられて名声にこだわる社会文化風潮が研究社会をも浸食している。

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繰り上げ当選の不思議。 it's strange that advance the election

2013-05-23 19:46:43 | 日記
 (1)昨年末の衆院選での最高裁の違憲判決が続いた1票の格差問題は利害当事者の国会に審議を委ねている結果、この期に及んでもさっぱり進展もせずに到底不十分ながら衆院を通過した小選挙区「0増5減」案はそれでも今国会で参院を通過する見通しもない(報道)事態だ。

 このまま国会に審議を委ねるのか、第3者専門委員会など公平、公正、迅速な機関に審議を委ねるのか、政治、国民、司法の判断が必要だ。

 (2)そうこうしているうちに、最近現職国会議員の辞職とそれにともなう次点者の繰り上げ当選(advance the election)が続いている。
 1票の格差是正、選挙制度改革問題は「定数削減」も政治テーマにのぼっており、そういう観点からも現職議員辞職による繰り上げ当選制度は1票の格差是正からも「時代の要請」に反する制度だ。

 (3)特徴的、象徴的だったのが、小沢さんの元秘書で政治資金報告書虚偽記載裁判で有罪とされた新党大地の石川知裕衆院議員(比例代表)が辞職し、同党次点の鈴木宗男代表の長女が繰り上げ当選したことだ。

 政党内の意図的な「たらい回し」が選挙制度を利用して露骨に実施されて、これでは国民の選択意思、判断が最大限有効に活かされない、国民意思不在の選挙制度利用ということだ。

 (4)この場合、同党内での選挙地盤継承による選挙対策に党内権力の基盤強化であることは明白だ。選挙の私物化(own property)につかわれている。
 繰り上げ当選制度はたとえば、現職議員辞任より次点者と2人で任期を半分づつ分担して経験、活動することも選挙対策上可能になり、ほかにもあった参院議員比例代表などでは、今夏の参院選をにらんだ露骨な議員辞職、繰り上げ当選(残り任期7月末)であってこれでは繰り上げ後の議員活動も限定されて、とても国民の審判を正当に反映したものとは認められない技術に走った選挙制度利用だ。

 1票の格差是正問題も利害当事者の思惑、政党の既得権益保護、政局で一向に進展しない中で、さらに選挙制度を利用した議員辞職、繰り上げ当選の技術的政治エゴが横行している国会の実態だ。

 (5)国民選択の「定数」選挙では、国民審判、判断が落選者は次点も最下位も「信任」を得られなかったことでは同じだ。
 選挙から相当期間経過してからの再選挙も実施せずに次点者を繰り上げ当選させるなどの技術的な選挙制度は、国民の審判、選挙の「意義(significance)」に反するものだ。

 議員辞職は残り任期にかかわらず再選挙が前提であり、補充までの「その間」は欠員がでても体制には影響しないのが国会運営だ。

 (6)選挙制度改革は利害当事者の国会審議にまかせるのではなく、国民代表をまじえた第3者専門委員会で公平、公正、迅速に審議(出来ることから実施する)すべきことで、それが司法からの要請(違憲判決)に応える方法論だ。

 

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橋下発言の背景を考える。 we think about horizontal of amazing speech

2013-05-22 19:52:22 | 日記
 (1)歴史認識問題、慰安婦を巡る橋下大阪市長の「あきれた」発言(amazing speech)への批判はエスカレートしている。日本維新の会の共同代表であることから夏の参院選への選挙協力にも影響が及んで、協力関係のみんなの党から白紙に戻す解消意思が示されている。

 政権前後には思考論理は近いものがあると理解を示していた安倍首相は今回の発言に「立場が異なる」と問題外発言として距離を置き、同じ日本維新の会国会議員(旧太陽の党)からは「大阪の人はマスコミが好きだから余計なことをまでベラベラベラしゃべる」(報道)と批判している。

 (2)橋下大阪市長の歴史認識、慰安婦問題発言については、一野党(支持率4%)の共同代表、市長の発言として国内社会としては「過剰」に反応すべきものではないと書いたが、一時は政治第三勢力の中心軸であったこともあってここぞとばかりに集中批判砲火状態だ。

 もちろん国民からは「公職」にあるまじき不適切発言、人物との評価まである。歴史認識、慰安婦問題は、直接日本維新の会共同代表としては関わりがないことはないが、当人は国会で権利を行使する議員でもなくて公職としては大阪市長として国政に直接関わる立場にはない。

 (3)言うならば一国民、市民として外交上の問題になっているテーマについて自由に持論を述べたということだ。国内社会には様々な考え、意見があって民主国家政治の日本では憲法上も思想、信条の自由は保障されており、その発言は自由だ。

 一国民、市民の意見、考えとして比較検証して、それがどんな影響、効果、意味、意義を持つものか論議するならいざしらず、いくら「あきれた」発言であっても比較検証の材料でなくて、一国民、市民の発言を真っ向から否定、抑圧する政治、社会の「やり方」は理解できない。

 (4)やたら日本への対立姿勢を強めている韓国大統領へ勢い、口実を与えるだけの意味しかない。
 断っておくが、橋下さんの政治姿勢、理念には独断偏見思想があって共感できないし、支持もしない。

 しかし、橋下さんが一国民、市民として国政の重要な外交問題に持論を展開することまで否定するものではないし、できないことだ。

 (5)大阪市長としてのメディア取材で語った形式が問題だったのか、市長を離れて一国民、市民としての立場から持論を語るべきではあった。
 国内社会としては、国会議員でもない支持率4%の野党共同代表、市長としての外交上の問題発言、持論という捉え方で理解すべきことだ。そういう意味では安倍首相の理解は一定の常識論だ。

 (6)橋下さんを過剰に擁護するつもりはないが、いくら「あきれた」発言ではあっても橋下さんの生きてきた「人生」観の中で培(つちか)われてきた信念、信条はあるなずだし、それも理解せずにただ一方向性で批判、否定するばかりでは成熟した自由主義国家とはいえない。

 あきれた発言の出る社会的背景(horizontal of amazing speech)、発言の比較検証、考証で事態の真相に迫ることが大切だ。

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子育て支援と待機児童。 bringing up support & watch and wait children

2013-05-21 19:35:54 | 日記
 (1)10年に全国最多(1552人)の保育所待機児童(watch and wait children)を抱えていた横浜市が今年4月時点で待機児童が「ゼロ」になったと発表した。
 前民主党政権が子育て支援を重要政策に打ち出して、これが財源問題の不備から政策全面実施とはいかなかったが、その後の自民党安倍政権も児童手当と名称を旧名に戻して少子高年令化社会の中で未来の人材投資を継続支援している。

 (2)待機児童問題は、男女共同参画社会を目指す(あるいは生活苦解消)中で、両親共働き家庭の子育て負担を解消するために就労時間中の子どもを保育所に預ける制度が、都市部では需要過多になって順番待ちが続いている社会現象だ。

 子育て支援策に男女の育児休暇制度と社会制度の整備が進んでいる中で、「子育て」の概念が親の都合、事情で測られている時代観には見直しも必要だ。

 (3)横浜市の場合、親が自宅で求職中の児童(つまり、自宅で親が子育てするという当たり前の概念)100人は、昨年からようやく「待機児童」数からは除外された(報道)。

 親の求職活動はそれぞれの事情もあって、国の雇用促進政策の成果に期待するものだが、両親どちらかが自宅で「ある時期」子育てをすることは極めて自然な営み、人生観であり、これまで「待機児童」と言うのでは(一昨年まではそうだった)本末転倒現象だ。

 (4)子どもは「ある時期」は両親どちらかが肌身離さず子育てすることは、子どもの健全な生育には必要な環境であることは、専門的分析、考察、研究から実証されている。
 男女共同参画社会の必要性は、とりわけ比較人口比率の高い女性を社会参画に活用することは社会活動活性化のためには大切な要素でもあり、安倍政権も成長戦略政策の重要課題にしたばかりだ。

 (5)男女共同参画社会も成長戦略社会も子育て社会も、本来すべてが同列で同じ生活領域を同時進行するものではない。
 子育て時代もあれば男女共同参画時代もあり、また成長戦略推進時代もあっての共同参画複合社会の成立だ。

 (6)待機児童問題が、「生活」に見合った「収入」のためなのか、「収入」に見合った「生活」のためなのかの自己点検評価(self inspection assessment)が必要だ。
 自己点検評価もない待機児童対応問題は、国民投資による社会政策の効果性、効率性を損なうものだ。

 一方で国民投資で子育て給付策、企業投資で育児休暇制度で子育て支援をしながら、「ある時期」の待機児童問題解消に迫られる無軌道なパラドックス(paradox)社会だ。

 (7)子育ての「ある時期」は、家庭で両親どちらかが肌身離さず子育てする社会が本来の国づくり支援でなければならない。そのための家族、家庭の自己点検評価の必要性だ。

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